されど汝は踊らでやまず

Ich möchte schlafen, aber du mußt tanzen.

アンとアキ①誰かを大切にすること

アンとアキの関係性についてのはなしです。

アキとアン②につづきます。

 

アキの性については、早い段階から何かしらの謎があることが示唆されていました。
アキは、おはしょりを作って胸高に帯をしめ、衣紋を抜いています。
もちろんすべてが女物の着方です。しかし一人称は「ぼく」。
話し方はやわらかいものの、女言葉は使わず、時折男言葉が出ます。
当然気になりますが、本作は最後まで、アキのセクシャリティをあからさまにしません。

作品の戦略

この選択は、戦略的なものでもあるでしょう。
謎解きをひっぱればひっぱるだけ読者をsuspendできます。

またざっくり見積もって、この作品を買い支えた読者の中には、
つぎの、3つの大きなグループがありそうです。

  1. アキを女装する少年だとみなし、アンとのヘテロの恋愛を期待した層。
  2. アキとアンとが女性同士で結ばれることを期待した層。いわゆる「百合」。
  3. 素朴な異性愛か同性愛かという二択からはずれた、別のルートを期待した層。

③は、たとえば身体的には異性愛、精神的(性自認など)には同性愛といった場合や、『少女革命ウテナ』に描かれたような女性同士の連帯を期待した層などです。

基本的にこの三者は並び立ちません。

本作がいずれかの展開を選べば他は離れていくでしょうから(特に①②の相克が問題)、
この作品がどれか1つを選ばなかったのは当然でしょう。
なお、私は、①②も好きだけど③を期待していました(得するタイプ♡)


しかしもちろん、この作品の外側の事情だけで、アキの描写が説明され尽くしてしまうことはありません(そういう切実さのない表現を己に許すような作品ではないと思います)。
アキのセクシュアリティが明かされないことが、作品に何をもたらしたのか。

この点について、2、3考えたいと思います。

アンの選択


さて、まずはアキの謎めいたセクシャリティに対するアンの反応をみてみます。
アンは初期はまったくアキを女性と信じて疑っていません。しかし、最終話では明らかに、
アキが生まれついての女性でないことに気づいています。

「自分を女の子だと思えば女の子ですし

 貴族だと思えばどんなところでも貴族でいられます」


このせりふは後半がアンのこと、前半はアキのことをいっているのでしょう。
アンが生まれついての貴族ではないが貴族のように生きていこうとしているのと同じく、
アキも自分の生き方を選ぶことができると言っているのです。

 

では、どこでアキの体のことに気づいたか。
おそらく、確信を持ったのは4巻25話でアキを看病したときだと思います。
99ページの一番上のコマで、胃をいためたアキは、胸紐・帯を解いて寝ています。
その状態でアキの体を抱き起こせば、アンからはアキの胸元が見えたはずで、
ポカリを飲ませようとしたアンの目線は、アキの口元よりも下に落ちています。

 

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(弱りアキさんは美しすぎるのでのせられません。ぜひご購入の上、このコマの全貌をごらんいただきたく!)

 

しかしアンは、アキがどう生まれたかではなく、

今、どのようにあるかを尊重することを選びます。
その後、28話の172ページで「女の子同士」と言っていますし、先程引いたせりふもそう。
最終話で「アキと一緒にいられる進路についてがんばって考える」つもりだというアンに、
アキが「あのっぼくアンに言わなくちゃいけないことが」と言いかけたのは、
おそらくセクシュアリティについて打ち明けようとしたのでしょう。
しかしそのときも、アンはアキを制して聞きません。

 

アンは、「女の子同士」で結婚できなくても、アキと家族になりたかったし、
結局アキの身体的な性が何であろうと、アキがどうありたいかだけを重んじました。

本作では、アキのセクシュアリティが明言されなかったことで、

どんなアキのことも受け入れる、アンの愛情のあり方が示されているといえそうです。
本作は、シェイクスピアの『十二夜』のような、
「なんだお前男だったの!ちょうどよかった!」エンドにはしないのですね。
(断っておきますが『十二夜』を難じているのではありません、
十二夜』はそうだからこそ至高のきらめきを放つのです、わたしのバイブルです!)

 

人を大切にすること


しかしわたしは、アキのセクシュアリティをアンが問題にしなかったことに、

もっと大切な意味を見出せると思っています。

さきほど述べた、アンがアキのことを制止して黙らせるシーン。
わたしはここがめちゃくちゃに好きです。
アンはこのとき、他人のつけた名前やカテゴリーを名乗らせないことで、
アキに自分自身のことを尊重させたのだと思うからです。
アキがどうであるかに、アキ以外の誰かがつけたカテゴリーをかぶせる必要はありません。

 

美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』180話に、似た会話があります。
わが最愛のハイスペックお嬢様・海王みちるさんは
守るべき主人であるうさぎちゃん(セーラームーン)、相棒のはるかさん(ウラヌス)
そしてほぼ初対面の男性(という認識だったはずです)、星矢の4人で会話することになります。
そこで、星矢ははるかさんとともに現れたうさぎちゃんに
「いい男連れてんじゃん」と声を掛けるのですが、
みちるさんは、「失礼ね、はるかさんは」と言いかけたうさぎちゃんを遮って、
「わたしの大切な人よ」というのです。

 

はるかのプライバシーにはるか自身にも他人(うさぎちゃんたち)にも触れさせず、
ただ、その存在を全肯定してみせたみちるさん。
はるかさんのセクシュアリティも実はあまりはっきりしないのですが、
みちるさんははるかさんが何であれ、とにかく彼女を大切にする点で一貫しています。

そして、みちるさんがいっさいの干渉を拒むことではるかを守ったのと同じように、

アンはアキ自身が内面化してしまっているものから、アキのことを守ったのだと思います。

 

わたしはストレートの女性ですが、ストレートであろうとなかろうと、
男女その他いずれであろうと、すべての人がこんなふうに、
自分の大切な人、他の人の大切な人を尊重できたらどんなにかいいだろうと思います。

 誰かを大切にするということはとても難しいことで、
望まずして相手を損なった上に、損なわれた相手の方もそれに気づかず、
幸せだと思い込むようなことさえあります ( 本作だとキヨ兄が少しそんな感じ )。


大切な誰かのために、相手にとってほんとうの幸いを差し出すことができたら、
それは本当に稀有な、たった一度あるだけで、
この世の思い出にもなることではないかと思うのです。
(…『往生要集』の十楽のくだり、そして『宝石の国』が思い出されます。なみだ。)
アキの告白をさえぎったアンは、その類まれなものを、私に見せてくれた気がします。

 

まとめ

 

ここまで述べたことをまとめると、

  • アンがアキのセクシュアリティを問題にしなかったことは、アンのアキを全肯定する愛情のあり方の現れであろうこと、
  • さらにいえば、アキのセクシュアリティに干渉し、誰かが決めたあるカテゴリーの中に自身を押し込めてしまうものから、アキを救うことだということ

の3点でしょうか。このつづき(https://youmustdance.hatenablog.com/entry/2018/04/07/212604)は、

  • アンとアキの普遍性・個別性
  • 『アンの世界地図』の家族観

の2本立てです。

よければお付き合いくださいませ。