されど汝は踊らでやまず

Ich möchte schlafen, aber du mußt tanzen.

アンとアキ③自然と不自然

さて、「自然と不自然」。
このように並べれば、きっと前者のほうがよく見えるでしょう。
しかし当然、前者に従うのみでは人は生きられませんし、
ときには自然であることが不自然だったり、
不自然であることが自然なときもあるんですよね。

そのことを体現しているのが2人の主人公、アキとアンです。
ここでは、与えられた現実や、それに従う生き方のことを、「自然」と呼んでみます。
そして、それに対するものを「不自然」と呼ぶとするとき、
前者はアキ、後者はアンに相応します。
アキ静、アンは動と言ってもいいかもしれません。
すこし、具体的に列挙してみます。

アンとアキ―箇条書きってべんりだ―

それぞれの特徴を箇条書きであげると、こんなところでしょうか。
なお、自然・不自然からそれる部分などもわざと入れてます。
そうしないと、自分が二項対立の枠組みにはまるので……。
わたしの煩悩もときどきもれでています。かけはぎはすごすぎるよかけはぎは!

アン
・自らの生存を懸けてクラロリ
・東京から逃げてきたネグレクト被害者
・家なし、家族のしがらみなし、家庭教育なし
・何も持たない、ゆえに貧しい
・生活能力低め
・自然ななりゆきに抗わないと生きられない
・理不尽に抗うスキル高め
・置かれた環境から逃げる力あり(大事!!)
・よく泣く
・怒ると言葉に出る
・まず形から入る、形に力をもらう
・だんだんまとめ髪派になる
・自分を塗り替えていく努力を惜しまない
・貧乏なのに貴族な語彙(「まいらす」を使いこなす!)
・でも3話のお風呂中だけ敬語じゃなかったの気になってる…
・本は好きみたい
・お裁縫もできる、ロココの知識もある
・小中学校にはきちんと行ってたたみたい(なんてえらいの、なみだ)
・でも高校には当然いけてないんだろうな…
・お胸の成長速度がとんでもない(栄養状態が改善したから…?)
・けっこうボディタッチ激しい(アキもだけど)

アキ
・着るものがないので和服
・徳島の引きこもり
・立派すぎる家あり、後ろ暗い歴史あり、厳しい教育あり
・何も持たない、ゆえに豊か
・生活能力尋常でなく高め
・自然ななりゆきに従うと自ずから美しくなってしまう子
・理不尽に忍従・同化してしまうタイプ
・泣かない、泣かれるとオロオロする
・行動力なし
・動揺すると作中随一の凶暴さを見せる
・お箸の持ち方などかたちにこだわらない
・案外見た目に無頓着
・かけはぎが得意(とんでもねえな)(今すぐうちに来て!)
・小学校以後の学歴が不明(ひきこもり?)
幸田文は読んでる
・アンが来るまでは原付で移動してたぽい(もっと見たかった)
・年長者とのコミュニケーション能力高め(かわいい)
・ちょびっと照れ屋さん?

さて、いくつか比べてみます!

比べてみると


まず大きな傾向の自然・不自然、静と動というところ。
アキはアンに心安らげる家、食事、衣服を与えてくれます。
ずっと不安の中で暮らしてきたアンに、安定をくれるのがアキ。
その反面、大きな家の歴史に潰されかけながらも、
そこから動くことができずにいたアキを、
さっそうと連れ出したのがアン。

この、お互いをほんとうの意味で助け合う2人が好きすぎるんですが、
わたしはやっぱりアンに感動しきり。
理不尽な環境から逃げ出すことは、
とても大事で、とてもむずかしいことです。
そのただ中に生まれ育っていながら、逃げ出せるだけの力をずっと失わず、
アキまでも救ったアン、ほんとうにすごい。

アンはとにかく生き方が人工的なのです。
ドレスの鎧、金髪の兜、そしてカラコン(…の何かしら…)で自分の現実に立ち向かう。
言葉遣い、お箸の持ち方、おわんの持ち方、
なりたい自分になるために、なんでも直そうと努力します。
自然のままでは餓死するほかなかっただろう環境が
アンをそう育てたのかもしれませんが、
アンが発しているメッセージは、
ほんとうに強力な人間の肯定で、わたしはもう何度も泣かされました。
アンは現実をはねのけるときにこそ、力を出すのですね。

一方アキはアンとは逆に、
自然に生きているだけで美しく、豊かになってしまう。
着物の着方もそう、暮らしぶりや食事の取り方もそう。
節約の結果、昔からあった着物やいい器を使う方向に向かうアキ。
現実に適応すると、ドレイのようなアルバイトに
割引コンビニご飯の暮らしとなってしまうアンとは正反対です。

だからアキは形にこだわらないし、
与えられた環境を変える方向に目がゆかないのでしょう、
環境ではなく自分のことを押し込めてしまうのでしょう。
たしかに、生まれ落ちたところに豊かな文化が息づいているのなら、
そこに染まって生きるのは自然なこと。
(仏教で言う天界の悲哀を思い出します。あまりうつくしいところに生まれ落ちると、

そこが不完全な場所であることに気づけない。)

しかし、アンが力を発揮できたのは、アキの助けがあったからです。
アンにとって不自然だった、お箸やおわんの持ち方は、
(現在の)アキにとっては自然なもの。
アキとアン、自然と不自然は二項対立的に重ならないものではなくて、
お互い支え合い、行き来し合うようなものなのです。
それが一層すばらしいと思います。



『アンの世界地図』の人間観


 わたしは本作を、所与の現実を乗りこえ生きていく、人間への賛歌だと思っています。
この作品は生まれもったもの、与えられたもので人を説明しません、縛りません。
つねに、彼らがそれをどう乗り越えていったかでその人を語ります。
このことは、アキのセクシュアリティについて書いた記事(アンとアキ①誰かを大切にすること - 海のはてはありけるものを)でも述べましたが、
自然・不自然という観点からもう少し言い直してみたいと思います。

アンの不自然な生き方は、作品全体を貫くテーマになっています。
日々の楽しみを自ら見出し作り上げることでもって、
苦しい境遇を覆っていったドイツ俘虜たちだってそうです。
母国の落日の中、将官2人が第九、歓喜の歌を
演奏会の曲目に選んだのと同じことです。
与えられたものを乗り越えようとすることはとても不自然で、
母国の危機の最中も歌を歌わなくてはいけませんし、
貧乏生活の中ロココスタイルのドレスを纏わなくてはいけません。

そんな姿は滑稽で儚くて、ときにぎこちなく無様です。
アンは箸使いを追求する中でアウストラロピテクスの姿にまでなります。
大の大人が郵便ごっこに興じたりもします。
そんな、自分たちの暮らしを作り上げていく
ぎこちない姿を肯定する方針が、作品全体を貫いています。
わたしはこの、人間へのまなざしが、あまりにも好きなのです。

アキの自然な生き方はとても美しく、魅力的です。
(実は私も、ちょっと着物再開しようかと思ったり…)
でもそこに力をもらったら、
今度は思い切って飛び出してゆく番。
安住しては飛び出しまた安住する、
きっとその繰り返しなんだろうなと思います。

おまけ


アンとアキを比べていて気づいたことがもう一つありまして…
アキは怒るとけっこうすぐ手が出ますね。
キヨヒコのこと傘でどつくし衿掴んで殴ろうとするし、ちょっとだいぶ暴力的です。
普段とのギャップや、周りの穏やかな人々からの浮きっぷりがなかなか。

一方アンはアキがちょっとお買い物に一緒に来てくれないだけで、
放送禁止用語(のちキヨヒコも被害にあう)。
これは、アンが言葉の暴力に走るタイプだというわけではないと思います。
ロココな語彙には、人を難じる言葉がないでしょうから、
生まれた家で身につけた言葉を使う他なくなるのでしょう。
そこには、アンにひどい言葉をぶつけてきたお母さんの影響が、
あるのかもしれません(それは喜ばしいことではありませんが、少しほっとしてしまうというか、この親子のことがやっぱり切なくていとしくなるような感じもありますね)。

そう思うとなんとなく、アキがどのように育ってきたかも…
アキはお母さんが亡くなって日本に定住することになったわけですから、
お父さんに育児放棄されたも同然なわけですよね。
その後のあおいちゃんは厳しくも愛情持って育ててますし、
描写を見るに、手を挙げることはあっても、
めちゃくちゃな暴力はふるわなかったでしょうから…
 
もしかしてお父さんがそんな人だったのかな、
と思ってしまうと、なんだかとても切ないところです。
1巻のマサじいの、この言葉も思い出したりして。
 

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うーん、そうだったら辛いです、幼少アキはあんなにかわいいのに……
自分の想像ですが、はずれててほしいな。