されど汝は踊らでやまず

Ich möchte schlafen, aber du mußt tanzen.

「LGBTが気持ち悪い人の本音」記事の批判記事がすき

時事ネタなんですけども、時事ネタというよりは、文章修行ですね。

Twitterで好評を博している記事を見かけたので、この記事のすばらしいところを、引用に着目して考えてみたいと思います。

絶賛炎上中の「LGBTが気持ち悪い人の本音」記事はなぜ完全にダメなのか | BUZZAP!(バザップ!)

以下、この記事を「当該記事」と呼びます。

前提:当該記事の目的の確認

当該記事は、4月6日に公開され、炎上した記事

LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」 - withnews(ウィズニュース)に対する批判です。

わたしはこの文章の引用のすばらしさを言いたいのですが、その前に、

当該記事の趣旨を確認すべく、その導入部をみておきます。

 

この文章はまずリード文で、批判とは具体的に何をすることなのか明示します。

4月6日に掲載されて炎上しているwithnewsの記事ですが、どこがどうダメなのか完全解説してみましょう。

そして、導入部の最後を

この記事には差別とは何かということ、多様性とはどういうことかということについて看過できない誤りを含んでいるため、徹底検証してみます。 

 と結んでいます。(どちらも下線は引用者たのしいの所業です)

導入部分最後の下線部が、最初の下線部をわかりやすく具体化して示しているわけですね。

先まで読まなかった人にさえも、炎上した記事の問題点がわかる親切仕様です。

何より、批判の目的は「看過できない誤り」を正すことにあると明示するのがすばらしい。

炎上しているけれどもいまいち事情がわかっていない人もきっといると思うのですが、

(炎上記事を書いた記者の原田朱美氏がまずわかっていないようにみえるわけですし)

そうした人にも問題点を伝え、より適切な知識を提供する。建設的で意義ある批判です。

さて私は、その批判の中で、引用がどんな効果を発揮しているかみてみたいと思います。

第一段落:技ありなマタイ伝引用

ここで当該記事は、「差別というのはあくまで「表現行為」である」ということを大変わかりやすく語っています。

「心の中」でどれだけLGBTを「理解不能。気持ち悪い」と思おうと、それが心の中でだけ思っていて心の外に「表現」されなければ何ひとつ問題はありませんし、その人は差別主義者とは呼ばれません。 

その際、引き合いに出されるのが、新約聖書にみえる「女を情欲を抱いて見つめる者はみな,心の中ですでにその女と姦淫を犯したのだ」(マタイによる福音書 5:28)。

当該記事は、マタイ伝のいうことは差別にはあてはまらない、法治国家である日本では、心の内にあるものをおしはかることはしない。ただ、差別する心を表現するとき、差別になるのだと言っています。

ちょっと思いがけないものが引用されてきてぐっと引き込まれましたが、この引用の効果はそれだけではないでしょう。

 

これは思うに、「LGBTQ差別について云々するのはアメリカ等からの輸入品で日本には合わない」というような言説を、それとなく牽制しているのではないでしょうか?

海外のものだから輸入してきているわけではない、海外発祥のものだから日本に合わないわけではない。たとえば欧米文化の根幹をなすキリスト教の教えは、差別への対処にはそぐわないのだから、この考え方は欧米の文化に根ざしたものではない。

これは特定の文化の問題ではなく普遍的な問題である、と。

法治国家である日本が、日本の法にのっとってまっとうに対処できることなのだと。

 

炎上した記事には、タイトルにあるとおり、「ポリコレ棒」という言葉がでてきます。そのもとになった「ポリティカル・コレクトネス」という言葉は、適用される範囲が広く、議論に持ち出すと混乱を招きうる言葉です。

炎上記事で「ポリコレ棒」の話をする男性にも、わたしは混乱している印象を受けました。それに付き合ってしまえば、こちらの話にも隙ができます。

その隙の埋め方として、マタイ伝の非肯定的引用(変な言い方ですが、批判したり非難しているわけではないですからね)は実にスマートです。

問題のありかに集中させてくれる上に、後々語られるような差別一般への展開の可能性もきちんと残しています。

第二段落:愛しさしかない谷川俊太郎引用

第二段落では、タイトルに

LGBTを「理解」する必要は無い

と掲げ、「ではどうすればいいの?」という問いへの答え、

マイノリティがその属性によって不都合を被っている時に、それを解消すべきだと考えられること。これは社会に公正さを求める態度ですが、LGBTを(そしていかなる属性の人も)差別しないために必要なのは「理解」ではなくこの考え方です。

で文章を締めくくります。すばらしい。

しかもこの結論を、炎上記事でインタビューを受けた男性の言葉から導いています。

炎上記事はその男性の差別への誤解、望ましい部分、望ましくない部分、どれにも十分補足しないまま文字にしてしまっていますが、

こちらのBuzzap!の記事のように適切な補足があれば、その男性にとっても有意義なインタビューになったでしょうに。

 

その上で、やはり見過ごせないのはここ!!!

理解できない事と、差別をする事の間には20億光年程の距離があります。大切なのは誰が同性を好きになろうが(或いはネリリし、キルルし、ハララしようが)、そのことを理解できなくても放っておくことです。

こんなんもう恋に落ちますね?谷川俊太郎『二十億光年の孤独』表題作からの、

たいへんに気の利いた、示唆に富む引用です。

というのも、この炎上記事の男性、LGBTQの人を理解し、共感し、積極的に関わっていかないといけないという認識のようなのですが、

私はそれに、グループを求める姿勢を感じるからです。「みんな一緒でいたい」という。

「例えば先ほどの『保毛尾田保毛男』がはやったころ、僕は中学生でした。あの時傷ついていた人がいたなんて、当時想像もしていなかった。毎週木曜日の夜9時にあの番組を見て、大笑いして寝て、翌朝同級生と『見た?』と話して」

「当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした。そういう思い出って、心の原風景みたいなものなんです」

これは炎上記事のほうからの引用ですが、下線は私が引きました。

これを読むと、この男性にとって大事なのは「同級生」「僕ら」の思い出なのだろうな、という気がします。きっと彼はその、みんなで楽しんだ思い出を「心の原風景」、自分自身と不可分の地盤としてしまっているから、その地盤が揺らぐことを自分への攻撃とみなすのではないでしょうか。

そうして、その地盤が揺らいだら、今度は「LGBTQの人を理解しないといけない」というような、新たな「みんななかよし」幻想を固めようとして自縄自縛に陥るのではないかしら、と。

 

わたしの率直な感想は、「いつまでも子供時代にしがみついて自分をアップデートしようとしない、独立した個人として振る舞う気のないこの人の幼さはLGBTQの人々とは無関係かつどうでもいいから、自分ひとりでなんとかしてくれ」ですが、

その迷惑なナイーブさに、「ひき合う孤独の力」を語った名詩をそっと添える、当該記事の優しさ。わたしは虚をつかれました。

 

この詩が、たぶんもっとも現在よく知られている日本語現代詩の1つであろうことが、またよいのです。わざと出典をださないのもよい。

きっと少なくはないの数の人がわかり、きっとにっこりする。そんな力が、呪文のような「(或いはネリリし、キルルし、ハララしようが)」にはあります。わからない人は読み飛ばすけれど、それでも全然さしさわりがないでしょうし。

この詩の引用は文中話題になっている男性に対しても、文章を読む読者に対しても優しい。

 

炎上記事は上辺ばかりの男性によりそう言葉を見せていますが、優しさというのはそうではない。あなたのここは間違っている、ここは間違っていないと的確に示しながら、さりげなく一篇の詩をさしだす、これなんだなあと……

自分をかえりみて、ぜひこういう文章が書ける人間になりたいと思ったものです。

 

第五段落:トリはバンクシー

当該記事はその後第四段落まで、インタビューを受けた男性の認識にどんな問題があるかを述べています。そして最後の第五段落では、どうしてこの記事がダメなのかに進みます。

こちらも、結論は明快です。

差別問題という実際の被害者が存在する極めてセンシティブな問題において「LGBTが理解できない」と明言する「ただの差別主義者」の言い分に価値判断や批判を加えないままに垂れ流すことは、「こういう人もいる」「こういう意見もある」とした差別の再生産への荷担となり得ます。

 

そして最後に引用されるのが、バンクシーガザ地区で書き残した言葉。

「もし我々が強者と弱者の間の紛争に無視を決め込むなら、我々は強者に加担しているのだ。中立のままでいられるわけではない」

そしてその出典、Make this the year YOU discover a new destinationのリンクです。

理解できない他者と共存することが、LGBTQ差別の解消には欠かせないわけですが、理解できない他者同士の間に力の差があるとき、ガザ地区のような悲惨が生まれます。そしてたしかに、LGBTQとストレートの間には、力の差があります。

となれば、私達は中立ではいられないのですね

このバンクシー引用は、炎上した記事が両論併記の方法をとっていることに、厳しい問いをつきつけます。しかし、それだけでない。

 

このバンクシー引用がすばらしいのは、主語がWEに移ること

当事者が「わたしたち」に移るのです。

その前までは、インタビューの男性の発言の問題点が指摘されていました。

続いては書き手とメディアの問題点。

わたしはストレート女性ですが、もともとLGBTQ差別には関心のあったほうなので、

「そうだそうだ!」という気持ちで読んでいました。

 

しかしそれが、最後の段落に至って広がり、我が身にまで押し寄せてくるわけです。

Make this the year YOU discover a new destinationのYOUは大文字のyou。

わたしは、自分のことを改めて顧みざるを得ませんでしたし、

心の内では「こういうのやだな~」と思いながら、男友達に「彼女できた?」とか言っていた自分を認めざるをえませんでした。

まさにこの記事で書かれていたとおり、問題にすべきは心中ではなく表現です

わたしが男友達に彼女できた?と聞くことは、相手にヘテロの価値観を自明のもののように押し付けていますし、相手がストレートだったとしても、相手のプライベートに踏み込んでいます。

わたしはそのことをわかっていながら、我が身かわいさに、マジョリティの言動に過剰同化していました。

 

当該記事で語られたことは、LGBTQ差別以外の差別についてもあてはまります(当該記事は第四段落でそれに触れています)。

その記事の最後を、主語をWE=たくさんのI として締めくくる。

これはとても普遍的なことで、他人ではなく自分たちの問題なのだと、バンクシーの引用が扉を開いてくれます。

 

最後にもいちど引いときます。

絶賛炎上中の「LGBTが気持ち悪い人の本音」記事はなぜ完全にダメなのか | BUZZAP!(バザップ!)

 

わかった気になっていたわたしの、曇った目を洗ってもらいました。

おかげさまでいい記事が読めて、明日はもっと頑張れそうです。