※未読の方にも本作の魅力の一端が伝わることを願ってブログを書いていますが、本記事では14巻までの大まかなあらすじをたどっています。人物の生死や具体的なことの顛末はわからないように書いていますので、物語の魅力が完全に損なわれてしまうことはないかと思いますが、大筋を知りたくない方はご注意下さい。
マフムートと同盟のみちのり
『将国のアルタイル』は、騎馬遊牧民の国家であるトルキエと、バルトライン帝国との対立を軸に、架空の大陸であるルメリアナ大陸を二分する戦いを描く物語である。
トルキエは長年対外戦争を避けてきたが、バルトラインの攻勢に応じて方針を転換。周辺の商業国と同盟を結んでバルトライン帝国領に侵攻した。
22巻現在、両国は凄惨な戦いを繰り広げているが、今回考えたいのはその前の、帝国に抗う同盟を組んでゆく過程のことである。外交や経済による戦争は、本作の醍醐味といってよい部分だろう。
本作の主人公マフムートは若くして将軍(パシャ:トルキエでは一軍の指揮官であるとともに行政にも参加する)の位にのぼった英才だが、物語の始まった当初は、いかんせん若すぎた。
もう少し研鑽をとのことで降格された彼は、庶民文化や演劇というメディアの力を知る。ザガノス将軍の意も受けて、さらに広い世界を求めて国外へと旅立っていった。そうしてマフムートは劇的な成長をとげつつ、出会う人びととのあいだに縁を結んでゆく。
そんな彼の足取りを軽くたどるところから始めて、二、三考えてみたい。
~4巻 対外関係の礎を築く
マフムートが最初に交渉を持った国は反帝国感情が強いポイニキア、そして合理主義に徹するヴェネディックである。この二国はトルキエに対する反発を(少なくとも表面上は)見せなかった。
ポイニキアにとってのトルキエは〈敵の敵は味方〉であったし、ヴェネディックは「等しく他国に肩入れしない」(4巻18話)国だったからだろう。
~8巻 陰に陽に帝国の侵攻を阻む
マフムートが遊学していたあいだに、帝国は調略によってトルキエ侵攻の準備を進めていた。マフムートは内乱の芽をつむことに尽力したのち、東に転身。
商業民の都市、アルギュロスを足がかりとして帝国に経済的圧力をかけ、対外関係にヒビを入れることで帝国の侵攻の足を止めさせた。
トルキエが帝国に抗う力を十分につけない限り、帝国は早晩トルキエに仕掛けてくる。マフムートは帝国に対抗するためには同盟国が必要だと考え、交渉のための下準備を行ったのだった。
~9巻 反帝同盟の成立
マフムートはその後北方のウラド王国に向かう。他国との干渉を避け、徹底した鎖国政策をとる国に対し、マフムートは平和を必要とする商業国と、領土拡張を必要とする農業国の違いのあり様を説く。
商業国に与するほうが自立を望むウラドの国益にかなうとして、国王を説得した。
トルキエがウラドと組んだことを知ったヴェネディックは、この三国による同盟締結を提案した(9巻48話)。
セントロ屈指の経済力と海軍、情報網を備え、すでに帝国海軍を破っている(9巻42話)ヴェネディック。
バルトラインと国境を接していながら、地の利と練度の高い騎兵によって侵略を阻んできたウラド。そして交易によって巨万の富を得ており、その生活様式ゆえに国民全員が生まれついての騎兵といってもよい国、トルキエ。数では帝国に劣るものの、海陸ともに強力で、背後も盤石の備えだ。
この三国が結ぶことで、バルトラインへの抑止としようとしたのである。
~11巻 ルメリアナ大陸南部との交渉
しかしこの「反帝同盟」の締結は一歩遅かった。帝国はヴェネディックに対抗心をいだくリゾラーニを抱き込み、西央海の制海権を握る。
ヴェネディックが海戦に備える一方、マフムートはザガノス将軍のはなった密偵と協調して西の心臓地方(クオーレ)、またさらに西の南ルメリアナ地方との同盟締結を急いだ。
クオーレも富裕な商業都市国家群からなる地域であり、トルキエとその点では協調可能である。しかしクオーレの領袖、フローレンスはソフトパワーの国であり、クオーレ諸国の同盟を第三の勢力として、権力の均衡をはかろうとしていた。
最終的には反帝同盟と結ぶものの、クオーレの市民の反トルキエ感情や蔑視・偏見は根強い。少し先の15巻ですら、ご覧の有様である。
~14巻 帝国遠征軍と反帝同盟の衝突
その中でもバルトラインの侵攻は止まらず、南ルメリアナの大部分が帝国に降った(地図中のカンパーナ、スコグリオ公国等)。
そして南ルメリアナの諸国家のうち、天上の都(チェロ)がバルトラインの遠征軍と反帝同盟との最前線に立たされた。天上の都は、トルキエやクオーレの支援のもとに抗戦しぬいたものの、国力の限界を迎える(14巻76話)。
この国の命運が、以後のトルキエ、そして大陸全体の去就を左右することになるのだが、それについてはぜひ14、15巻以降をご覧いただきたい。
その後の戦いについても述べたいことはあるのだが、それはまたの機会に譲るとして、今注目したいのはトルキエと周辺諸国を結んだものである。
金で戦うマフムート
トルキエと周辺諸国を結んだもの、それは金だった。
マフムートが同盟を組んだ、あるいは協力を得た国や都市は、次の二種類に大別される(例外もあるが、後ほど言及する)。
①他国をひとしなみに拒むか、あるいは肩入れしない国や都市
……ヴェネディック、アルギュロス、ウラド
②反トルキエ感情が根強く、トルキエを「蛮族」とみる国
……クオーレ・南ルメリアナの諸国
この二種類の国々と結ぶためにマフムートが持ち出したものは、すべて経済的な利害関係だった。
例外はポイニキア、タウロの二都市なのだが、ポイニキアは衆愚政に陥りかけていたこともあり、他とは性質が違う。いずれにせよネタバレを避けここでは詳述しない。
タウロは南ルメリアナの傭兵の産地であり、南ルメリアナ・クオーレ地方の軍事力の要である。この国も当初はマフムートに冷淡な態度をとるが、それは実力主義ゆえに、若輩のマフムートを重用するトルキエ将国に不信感を抱いてのことであり(本当はさらに狙いがあったのだが)、②とは性質が違うので例外とした。
ただ例外とはいえど、そのタウロのことも、マフムートは金でもって味方につけている。
クオーレ・南ルメリアナ諸国とは利害関係の一致でむすんだものの、ヴェネディック・アルギュロス・ウラド・タウロについては、実際にマフムートの私費またはトルキエの国費から何らかの支払いをしている。
先ほど述べてきた、これまでの経緯をたどれば、この4つの国や都市との関係が帝国に抗うための要であることが理解できるだけに、この「買い物」は大きい。これだけ金で戦う漫画というのも、なかなか珍しいのではないかと思う。
マフムートがトルキエの巨万の富でもって帝国の陰謀をなぎたおしていく様子は、一読者として爽快感を覚えるものだ。
大ゴマで描写されることが多い点からしても、筆者の感想は多くの読者に共有されているものなのではないかと思う(商業出版であり連載されているものである以上、読者の反応が作品と無関係であろうはずがない)。
少しでも本作の販促になることを願い、また「金で同盟を買う」というのが筆者の誇張でないことを示すために、一箇所だけ引用しておく。ちなみにこれは手付金で、のちに本国から追加の金を運ばせたのだそうだ。
またそもそも、マフムートが本作前半~中盤にかけて金で戦っているのは、彼の原点と深く関わっている。マフムートはトルキエの国境近くの村の出身で、帝国の侵略により壊滅した。一族が惨殺された中生き残ったマフムートは、トルキエの穏健派の筆頭である、カリル将軍に拾われ育てられている。
マフムートにとっての仇はバルトラインであるとともに戦争そのものだ。マフムートが金で戦ってきたのは、二重の意味で敵討ちだったといえよう。
マフムートは22巻現在、戦場においても才腕をふるっているが、それはもともと彼が望んだものではない。
だが、今筆者が注目しているのは、作品の外部の読者のことでもなければ、マフムートの内面でもない。文化的に異質なトルキエを、諸国と結ばせたもののことである。
トルキエと周辺諸国を結んだもの
トルキエはかつて大陸西方を脅かした過去を持っている。これは後日詳述したいのだが、生活文化からしても、トルキエは異質であった。
クオーレや南ルメリアナの中にはトルキエの侵入を契機に建国した国もあり、彼の地の人びとはトルキエに対する抵抗感や偏見を隠さなかった。トルキエの蛮行は、画題にすらなっている。
そもそものモデルを考えても、フローレンスはフィレンツェ、トルキエはオスマン帝国だろうから、両者が文化的に相容れないのは容易に理解できる。
「フローレンス」「トルキエ」はフィレンツェの英語読み、トルキエはテュルク系そのものだから、連想するのは極めて当然のことだ。というよりもむしろ、モデルを連想させるためにわざとこのような命名法をとっているのだろう。
紙幅が限られている中で、読者に文化的な溝の深さを感じさせるためにはとても有効な方法なのではないだろうか(しかし先行きの鍵を握るバルトライン帝国はヨーロッパ各地の地名や帝国が合体しているかのようなありさまになっているので、先が見えてしまうということはない。)。
しかし、前の記事「『将国のアルタイル』の大陸――一神教なき世界で」でも述べたように、本作にはキリスト教世界とイスラム世界との宗教を軸とする対立が持ち込まれていない。
唯一の神を奉じつつ、〈みんな違ってみんないい〉という状態に至るのは難しい。
〈自分たちの神は唯一無二の存在である〉という信仰を論理的破綻から守るためには、「少し伝承は違っているようだけれども、同じ唯一神とみて許容する」(オスマン帝国など、イスラーム世界の大勢の態度)か、「我々のいただく神の唯一性を脅かす異端や異教徒は徹底して排除する」(十字軍などの態度)かのどちらかになってしまうのではないだろうか。
しかしこの対立軸が存在しないルメリアナ大陸では、人びとは違う者同士、違う者のままで併存が可能である。
強い反トルキエ感情を抱えていたフローレンスも、その感情を抱えたそのままに、利をとった。だから天上の都をトルキエの保護下に入れるという提案がなされたときの、フローレンスの大統領はこんな態度である。
一般に、金と心どちらがすばらしいものかと言われたとき、前者と答えたら、人間性を疑われるだろう。しかし、心が誤らないとは限らない。
フローレンスの反トルキエ感情にも理由がある。歴史を忘れていないから、クオーレの文化の継承者としての矜持を持っているからだ。それは何も悪いことではない。
だがその感情だけに舵を任せていると、妥協することができないから先の道もおのずと絞られる。ここでは詳述していないが、ポイニキアがそうだった。
一方感情を抱えたまま、それとは別の道をとることができるなら、未来には変化の可能性がひらく。
経済など学んだことがないので極めて粗雑なことをいうけれども、金というものの本質は、差異をのりこえて人と人のあいだに交換を成立させるところにあると思う。
自己同一性というものを持っているがゆえに、人は自分の力だけでは変われないことがある。
交渉の席につかなくては相手を知ることができない。相手を知ることができない限り、自分自身が抱いている相手の像に囚われ続けるからだ。だがしかし、相容れない相手と交渉を行うこと自体がそもそも難しい。八方塞がりだ。
交換は、その出口がない枠組みから自分を解き放ち、変化の可能性を与えてくれる。自己を他者に向けて開いてくれる。そして金というものが、面従腹背を許し、今のあり様を咎めることなく交換を成立させてくれる。
いわば金は、交渉の機会と未来の変化の可能性を提供しているもののように思える。
かくしてルメリアナの諸国は各々の信条はそのままに、利によって結ぶ道を選んだ。
その結果、大陸の国々は文化的な多様性を保ちつつも相互に受け入れつつある(各々の文化の違いは、明言されずとも作中しっかり描き込まれている)。
その模様は、今回スポットをあてたフローレンスだけではなく、ヴェネディックという国家の動きや、大陸の傭兵たちの様子からもよくわかる。
ヴェネディックやフローレンスは、服飾等のデザインからみて明らかに帝国と文化的に近い。ヴェネディックの元首にいたっては、キリスト教由来であることが一目瞭然のモチーフを身に着けている。そんな国が対等に、オスマン帝国をモデルとするトルキエと手を組んでいるのだ(この時代のオスマン帝国も領民のキリスト教徒には寛容だったが、キリスト教国と同盟を組んだことはなかったはずだ、たしか※)。
それは、ユーラシア大陸の歴史では叶わなかった、夢の世界地図である。
その夢の可能性をひらいたものの一つが前回述べた信仰の取り扱いであり、そして今回注目してきた、金だったのではないだろうか。
なお、信仰、金とならんでもう一つ、人と人をつなぐものが理念であろう。
これについてはポイニキアに関してまた考えていることがあるのだが、まとめるのにはなかなか骨が折れそうだ。後日頑張ってみることとする。
※追記
オスマン帝国がプロテスタントと結んだらしいというのは前に調べたことがあるのだが、おそらく『将国のアルタイル』がモデルとした時期のオスマン帝国(メフメト2世の時代)とは時代がずれると思う。詳しくないものでさっぱり自信がないのだが……
【追記】
せっかくなのでごりごり宣伝することにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。
経済を利用した戦略が見事にはまる巻といえば8~9巻です。この巻を一冊読むほうが、一巻を一冊読むよりも作品の方向性をつかめると思います。
『将国のアルタイル』らしい、本作の魅力を体感しやすいところだと思うので、ここまで読んで下さった奇特な未読の方、いらっしゃればぜひ……!