※今回は『将国のアルタイル』原作未読の方に対する配慮はしていません。18巻までのストーリーに加えて、一部『将星の書』によって知り得た情報をふまえています。
『将国のアルタイル』はルメリアナ大陸という大きな陸塊の様相を描いており、そこには多種多様な人物たちがうごめいています。
今回は、そのキャラクターたちについて、「父子」というものに注目して考えたいと思います。もう少し具体的に言えば、「父親の存在に言及されているか、されていないか」です。
ただし、年齢的に父親への言及がなくとも不自然ではない人物というのも、当然います。例えばカリルパシャの場合、彼の年齢やマフムートとの関係性からみて、彼の父親が登場する機会というのはなかなかないでしょう。
そうした場合まで取り上げているとあらゆる人物を取り上げなくてはならなくなりますので、今気にするのは「父親の存在に言及されたほうが自然であるにもかかわらず、なぜか言及がない」人物たちのことです。
ただ、なぜか父親への言及がない人物たちの輪郭を明瞭にするためには、「父親への言及がある」人物たちの事例も集めておく必要があります。煩雑ではありますが、まずはデータの整理からとりかかるべきでしょう。
とはいえ、網羅的に完璧なデータを仕上げるには、ずいぶん時間がかかりそうですし、網羅したところでさきほどのカリルパシャなどの例を拾っていては、方向性が拡散します。有意な線引きの方法が今の時点で見つかっていないので、この問題を考えようとしている自分の直感をまずは形にすることとして、気づいている限りの人物をあげておくにとどめたいと思います。考えがまとまれば順次補筆する予定です。
以下、
①父親の存在に言及されている人物
②父親の存在に言及されておらず、年齢が二十歳以上の人物
③父親の存在に言及されておらず、年齢が二十歳未満の人物
をそれぞれ列挙します。成人年齢は時代や文化圏によって違うものですが、便宜的に二十歳を基準としました。
形式は【子どもの名前/父親〈∵根拠となる描写のある巻〉】とし、
父親が故人である、または故人となる場合は行頭に☆をつけました。
本編中に父親が現れない場合は、全体を( )でくくっています。
記憶の不確かさ、お恥ずかしい限りです……
【追記】ザガノスとレレデリクの父の典拠は、ツイッター上で教えていただきました。
ありがとうございました♡
①父親の存在に言及されている人物
トルキエ将国
☆ザガノス(アストルフ)/カミュ侯爵家の誰か〈∵18巻94・95話〉
四将国
☆オルハン/セリム
☆イスマイル/ウズン
アイシェ/ファトマ
ケマル/ファトマ
(☆バラバン/ ウスマン〈18巻番外編〉)
(☆バヤジット/ウスマン〈18巻番外編〉)
ポイニキア
☆キュロス/市長アポロドロス〈∵2巻〉
ヴェネディック
☆アビリガ/彼を売った父〈∵4巻〉
アルギュロス
☆ニキ/手形商バフラームさん〈∵8巻〉
ウラド王国
マルギット/ジグモンド3世(∵9巻)
ゲルトルード/ジグモンド3世(∵9巻)
バルトライン帝国
☆ゴル・ド・バルト11世/エル・ド・ライン1世〈∵9巻〉
☆ジャック/ジョルダン前領主〈∵20巻〉
クオーレ地方
(☆ブリジッダ/リンチェ前団長〈∵将星の書〉)
ベルネット王国
☆オットー一世/ベルネット王国先王〈∵15巻「先王」「王の子」〉
②父親の存在に言及されておらず、年齢が二十歳以上の人物
現状未見
③父親の存在に言及されておらず、年齢が二十歳未満の人物
マフムート
アマデオ
バスコ
父なき子どもたち
手抜かりの多い一覧ですが、以上のようになりました。
王侯、市長や世襲制の仕事についている人物については、父親に言及されることが多いようです。それは当たり前といえば当たり前でしょう。
また若年の者たちについて親兄弟の描写があるのも、珍しいことではありません。
問題はそこから外れているトルキエのマフムート、リゾラーニのアマデオ、カンパーナのバスコです。
マフムートは自ら大陸を駆け回って、(作中の)現在に至る時代の流れを作った人物です。アマデオは逆に、極めて古代的な世界を背負って現れた人物であり、バスコはこれからの世界を一変させる、決定的な変化のポイントとして登場しました。
彼らは三者三様に天才であり、この時代に重要な影響を及ぼす子どもたちです。
このうちバスコ、マフムートについては、境遇に共通する点があります。二人はともに、ピノー将軍率いるバルトライン帝国の遠征軍によって、故郷を滅ぼされました。そのときマフムートは母、バスコは工房の親方との別れを経験しています。
しかし彼らはその後、自分の実父を探そうとはしません。おそらく両者とも、実の父親との再会を期待できる身の上ではなかったのでしょう。
父を持たないということは、(そこが父系社会であるならば)相続すべきものを持たないということです。それが、彼らの自在な活動を許したのかもしれません。
もちろんマフムートには養い親のカリル将軍がいましたが、カリル将軍には(自称とはいえ)盟友と呼ばれる有力者や、めざましい功績を上げている年長の弟子が他にいます。カリル将軍の死後、マフムートは彼の職務を受け継いでいません。天上州の属州総督に任じられたときには「マフムート将軍は天上の都最大の功労者」「カリル将軍の第7州を継ぐ以上にこれは適任であろう!!」との声があがりました。
マフムートとカリル将軍の個人的な関係がどうであるかはさておいて、マフムートはカリル将軍の唯一の後継者というわけではないのです。これは『将星の書』において開示された事実ですが、カリル将軍には別に妻子もいます。
古代ポイニキア帝国以来の大城壁が、新兵器である大砲によって破壊されるという事態は、時代の移り変わりの象徴ともいうべき大事件でした。
この大事件はマフムートとバスコ、どちらが欠けても生じていません。ともに年若く、天涯孤独の身の上の二人が時代を動かしたということの意味を、現時点の筆者はあまり深められていませんが、それはとても示唆的な事実のように思うのです。
さらにもう一つ付言しなくてはならないことがあります。
マフムートとバスコにもまして特殊な、アマデオ・ボッカネグラのことです。
彼は海洋都市国家リゾラーニ(島の都)の名門、ボッカネグラ家の生まれ。伯父にロニ・ボッカネグラ、叔父にジーノ・ボッカネグラがいますが、ジーノはリゾラーニから離反してヴェネディックの住民となっています。
伯父と叔父という漢字の書き分け(13巻66話)からして、アマデオの実の両親のどちらかは、ロニの弟妹、ジーノの兄姉であるはずです。しかしその人物は作中姿を見せません。それどころか言及されることさえなく、作中そのことに気を留める者はありません。
幼少の頃から今際の際まで、アマデオの親は影も形もないのです。実質的な親代わりだったのは作中の描写からしてロニでしょうし、両者の間には確かな信頼関係が見てとれますが、アマデオはロニのことを「ロニ伯父」と呼びます。アマデオが「父」と呼ぶ者はいません。
ただかわりに唯一、彼を「子」に持つ存在だとして描かれるものがあります。それが海神です。「海神の子」というのはリゾラーニの別称ですが、アマデオはとりたてて「海神に愛された子」(13巻66話)と呼ばれていました。
アマデオに父親・母親の影がないということは、一層彼が海神の子であるという印象を強め、その人間離れした特別さを強調しているように思います。それでいて、ロニやジーノのように海神に「父」と呼びかけたりなどしないところが、またアマデオらしい。神の子は神の子らしく、唯我独尊を貫いたのでした。
これは個人的な感想なのかもしれないのですが、アマデオの死も、ポイニキアの大城壁の破壊と並んで古代の終わりを感じさせる出来事でした。古代的な、粗暴で、傲慢で、不可思議な力を持ち、人の世にはなじまなかった英雄、最期には敗れて散ってゆく英雄……あまり具体的によい例を出せないのですが、日本神話のヤマトタケルの他にも、類例はありそうに思うのです。アマデオは己自身の死によって、時代の画期点を形作った人物だと、私は捉えています。
そこから考えは飛躍して、古き時代の終わりを体現したマフムート、バスコ、そしてアマデオがみな父なき子どもとして描かれているということは、もしかしたら彼らが人の子ではなく、時代の子だったということの表れなのだろうか……
などと私は思ってしまいました。根拠がないことを書くのはあまり好きではないのですが……
アマデオはすでに世にありませんが、マフムートとバスコの人生はまだまだ続いています。また本作にはマフムートの一歳年下の将王イスマイル、さらに年少の将王ケマルが登場しており、敵国バルトラインでは、ルイ大臣に近侍する小姓ニコロがいます。
残った二人の時代の子と、彼らのあとにさらに続く子どもたちのことを、引き続き見守っていきたいと思います。
【追記】
せっかくなのでごりごり宣伝することにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。
バスコくんは南ルメリアナの出身ですが、この地域にスポットがあたる12巻からは本作の魅力がぎゅっと詰まったパートです。
一巻から入るよりももしかしたら入りやすいくらいかもしれないので、ここまで読んで下さった奇特な未読の方がいらっしゃったらぜひ……!
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