されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

アンの世界地図全話再読(4)

※『アンの世界地図』一巻第四話についてのネタバレを含みます。

 

『アンの世界地図』再読感想シリーズの第四回です。

第一回から三回までで、衣食住という人間の基本があらかた整ったアン。しかし第三話の最後に、マサじいというご近所さんに見咎められてしまいました。

第四回は第三話の翌朝から始まります。

 

扉絵

アキに髪をアレンジしてもらってうれしそうなアンが描かれています。フィッシュボーンでしょうか、アキは髪が短いのによくそんなものができますね。もしかしたら動画を見て練習したのでしょうか。だとしたら健気です。

 

第四話の流れ

扉絵の後には、また印象的な一枚絵。こういった表現をどう言語化すればよいのでしょうか、漫画という表現技法はつくづく複雑です。

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第4話1ページめ

今回は、最初は誰かが語り手となることなく、客観的な視点から描写が進んでいきます。

身支度を整えつつ、昨日アキと作ったコルセットをぎゅっと抱きしめるアン。「忘れてました…」「世界には人間がいっぱいいるんですよね…」と一人言をつぶやきます。

 

場面は変わり、仏壇の前にドン.と座るマサじいと、しとやかに座るアキ。アキは流水紋の着物に無地の帯でお太鼓というきちんとしたコーディネートです。帯揚げをほとんど見せないかわりに、帯締めは太め、半襟もやや太めに出すバランスがかっこいい。補整がききすぎていなくて、おはしょりもぎちぎちに作った感じではないのに、胸元や衣紋の抜き方がきれいで、つくづくアキはなんて着物と一緒に生きていくのが上手なのかしらと見入ってしまいます。

古いきものを着ていると、どうしても裄(袖丈)が足りなくて、半襟を大きく出さざるをえないときがあります。アキももしかしたらその理由で半襟を出しているのかもしれませんが、無理をしている雰囲気がまるでありません。雰囲気としては大正時代ぐらいのおおらかさです。

マサじいは仏壇にお線香をあげつつ、厳しい目でお供え物のごはんをみやりました。

 

そののちアキがアンの部屋に行ってみると、眦を決したアンが出ていこうとするところでした。アキはマサじいときちんと話して誤解を解こうと言いますが、アンは「ああいう声の大きな男性って女こどもの話を聞かないじゃないですか?」と言い募ります。

アンは色々なアルバイトをして色々な上司のもとについてきているはずであり、また離れて暮らしているとはいえ「お役立たず」(1話)の父がいたはずです。アンの言葉は経験則に基づくものでしょうから、これらの人や、小中学校の先生などが根拠でしょうか。

 

とはいえアンの言葉が偏っているのは事実ですから、さすがにアンの言葉を聞くアキも眉をひそめています。

しかしため息を一息ついて、「……アンがどんな不愉快な男と話してそう思ったのかそれは後でしっかり聞くけれど」「世の中の男性がみんなそういうものだと思い込むのは間違いだと思う」と、冷静に応じました。アキ、思ひ隈のある子です。

 

読者のわたしはアンのこれまでを見てきていますが、アンの語りは実はすべて声に発されたものではありません。もちろん、読者である私がアンとアキの数日間の全てを見ているわけではないので、知らないところでアンも詳しく身の上を話したのかもしれません。

しかし作中描かれた範囲から見るならば、アキはまだアンのバックグランドをほとんど知らないはずでしょう。アキがアンの言葉の裏をよく察していると見たほうが妥当な読解だろうと思います。私には、二話の、アンの髪の生え際の黒を見つめていたアキの眼差しが思い出されました。

 

言うべきことは言ったあとで、優しくアンを励ましてあげるアキ。マサじいと対話することにしたアンはお化粧をし、ヘッドドレスをつけて完全武装しました。着ているドレスは東京から着てきて前回洗ってもらったもの、室内なのに手袋までつけています。

アンは薔薇を背景に背負って丁寧に挨拶し、「はじめまして竹宮杏と申します」「アキさんの大切なおじいさま代わりの方にごあいさつするのが遅れまして……」とドレスの裾をつまみました。薔薇背景にまきこまれつつ、気圧されるマサじいがかわいいです。

 

さて、今アンは「はじめまして竹宮杏と申します」と名乗りました。

第一話で注目したアンの名乗り方ですが、今回は戸籍にのっているだろう名前で名乗っています。もちろん「アン」と「杏」は同音で、耳で聞くと区別はつかないはずなのですが、この作品は漫画であり、活字印刷を前提とした総合芸術なのですから、ここで「杏」と表記されていることを私は見過ごせません。

気合が入りすぎている装いとあわせて、アンの覚悟のほどが見えるようです。

 

しかしやはり、子供が虐待される可能性を考慮していないかのようなマサじいの言葉に、アンは耐えられません。

このときアンは、小学生のころ「やだ……あの服何日め?」と陰口を叩かれていたときのことを思い出しています。口調からして陰口の主は大人の女性でしょう。前回アキに洗濯してもらったのが、うまく響き合っています。

 

アンが限界だとみてとって、二人のあいだに割って入ったアキ。アンはアキのかげで震えながら、自分の実態を少しばかりこぼします。ですます体は守っていますが、さきほどまで「おじいさま」と呼んでいたのが、「おじいさん」になるまで口調が崩れていました。

 

私はここで、アンが「ま……まともな常識とか口の利き方とかも教わったりできないし……!」と言っているのにはっとさせられました。

1話の感想のときに書いたように、アンのことばづかいはもちろん作ったもので、現代日本の日常語としては丁寧すぎます。それはきっと自分自身の言葉を美しい物語の中から選び取り、学びとってきたからこそなのでしょう。生まれ落ちた家庭の言葉は、学びたくなかったのでしょう。

そしてきっとその美しい物語には、アンが経験してきた苦しいこと、醜いこと、ひどいことを語る語彙はなかったのではないでしょうか。

 

アンは1話で、夜なべするアキに「ドレイみたいに働くときの気持ちはよく知ってるの」「お願いあなたも寝てください」と頼んでいました。 この「ドレイみたいに働く気持ち」というのは、私は初読のときぴんとこなかったのです。しかし、アンの語彙の幅を考えた今、急に腑に落ちました。

アンは「仕事がつらかった」ということを言おうにも、きっとそう言うための美しい言葉を持っていないのです。現代日本に根ざした言葉ではなく、「ドレイみたいに働く」と表現することになるのです。それは何重にも辛いことだと切に感じました。

アンは自分がどんな体験をしてきたのか、アキには十分語っていません。しかしそれは、おそらく語らないのではなく語れないのでしょう。

 

また以前どこかで、入学試験において学力試験よりも面接試験を重視するのは、一見貧困家庭や両親に恵まれなかった子供に有利なようだけれども実態は逆だ、大人に評価されるふるまい、相手を不快にさせないふるまいやを身につけられているのはその子が文化資本に恵まれている証なのだから、ということを目にしました。

今回アンが語ったのは、つまりそういうことです。小学生のころ、彼女が身なりのことで陰口を叩かれていたのも同根のことでしょう。

私は仕事で年下の人と関わることもあるのですが、その大切なことを忘れてはいなかったか、大人に都合のいいこどもの言葉に、上辺の印象に騙されてこなかったかと、今反省しています。心から自分が恥ずかしいです。

 

閑話休題。アンにとっての美しい言葉遣いはファンタジーであり、ファンタジーはよろいそのもの。それが崩れかけている中でも、アンは一生懸命しゃべりました。

そして「うちは……お酒のせいだから仕方なかったけど……」と言い添えたとき、画面にははっとしたようなマサじいの表情が映ります。アンは涙をこぼしながら、「アキがわたしのはじめてのおかあさんです」と訴え、どうかアキから離さないでほしいと頼みました。

 

場面はうつろって縁側。みんみんぜみの鳴く中でお茶をのむアキと、タバコをふかすマサじい。マサじいはアキに、アンの両親のことを確認します。

アキは「マサじいは一体何を心配してるのかな?」と説得にかかりました。対するマサじいは「心配ばっかりじゃわ こどもがこどもを育てるようなマネしてからにぃ」。アキは笑って「16歳だけどね」と返します。この16歳はアンのことなのでしょうか、それともアキでしょうか。「こどもがこどもを育てるようなマネして」いるのはアキですから、やはりアキでしょうか。

余談ですが、このやりとりが描かれたページ(111ページ)で、アキはアンのことを二回も珍妙だと言います。前回よほど翻弄されたのでしょう。しかし私はアンがそんなに珍妙だと思えないので、そうか……珍妙なのか……わたしもずれてる……?と少し焦りを覚えました。

 

そしてさらにマサじいは、「仏壇の…仏さんのごはんがな…朝の炊きたてだったけん…」「ほんでな……生活の乱れや人間の荒れやはほこらへんから始まるけんなぁ」「ほなけん……まぁ最初っから余計な心配はしとれへんわ」と言います。

 

この部分が、大変お恥ずかしながら私にはぴんとこないのです。

お仏壇は実家にはなく、祖父母の家にしかありませんでした。帰省したときは、着いたときと発つときに手を合わせていましたが、あまりお供えものの作法や習慣などがわかりません。

アキの家にきたとき、どうして他人のはずのマサじいが手をあわせていたのかも、お供えもののご飯が炊きたてだと生活が乱れているのか乱れていないのかもわかりませんでした。

きっと生活は乱れていない、だから余計な心配はしない方がいいとマサじいは判断したのだろうと、文脈から考えましたが……私にはこういった生活文化が身についていないのだと身にしみて、また少し焦りました。

 

しかしそんなことよりも大好きなのは113ページ。マサじいの「ほれを見るたびにわしは……気ぜこい」という言葉を聞いたとき、この聞き慣れない徳島弁が大好きになりました。「ほれ」「気ぜこい」、いい言葉です。漫画ですから私は自分の耳でマサじいの声を聞いたわけではないのに、何か彼の肉声を耳にしたような気持ちになります。

マサじいが心配していた理由の一番は、「お前や竹宮さんのような親をかばう子ぉは心配なんじゃ」ということでした。アキは穏やかに返答しますが、しかし実はその返答は、親という話題に応じたものではなく、少しずらしたものです。そのことを、「年金」という一言でもって読者に伝える台詞回しが魅力的な一幕です。

 

とまれ、ここにきて初めて、アキのバックグラウンドが具体的にほのめかされました。 これもマサじいという第三者を、うだつの家という演劇空間に引き入れた効能でしょう。『アンの世界地図』の家という装置の活かし方は実に巧みです。

 

 

さて、お仏壇のある部屋で涙を拭いていたアンのもとに、アキとマサじいが戻ってきました。マサじいいわく、「あー……アンさんとも家族になるために今日はケンカしたと思うことにした!」

このコマ以降、マサじいはアンを「アンさん」と呼ぶようになりました。

 

そして「ほんで家族はおもっしょうに遊んでこそいい家族になる!とゆう訳で!わしと遊ぼうアンさん!」とのこと。次回はボードゲーム大会になるようです。この作品が連載されていたころは、私のような者でも多少有名なゲームの名前を聞き及ぶくらいに、ボードゲームが盛り上がっていた頃でした。なかなかハイカラなおじいさまです。

 

かくして最後は、うだつの家が「一件落着」と語り収めました。途中、「大岡裁き」が出てきたので、もしかしたらそれを意識した語りなのでしょうか。私は「大岡裁き」がどういうものかあまり見たことがないのでやはりよくわかっていないのですが……

 

まとめ

語りとしては、今回はうだつの家の語りもアンの語りも控えめ。マサじいという第三者が登場したためか、視点も第三者的な、いわゆる神の目線に近いものになりました。

この視線のうつろいが、そのままアンが社会性を身に着けていく途上かのようで、非常に効果的に感じられました。読者としても、最初はうだつの家の介入を受けながら一人称の語りによりそい、次第次第に三人称的な目線に移っていくというのはなじみやすい構造だと思います。

 

内容としては、アンがマサじいという第三者に出会い、マサじいいわく「ケンカ」をしました。その過程で、アキも実は肉親との関係がうまくいっていないこと、年金を振り込んでくれる「あおいちゃん」という人がいることが明かされます。

 

また今回は、第一話の「ドレイみたいに働く」という言葉、第二話のアンの生え際を見つめていたアキ、第三話の洗濯、今までの描写が少しずつ腑に落ちてくる回でした。

 

さらに2つのキーワードも登場します。1つは「おかあさん」。第一話でアキは自分のことを「おかあさん」だと言っていましたが、今回はアンのほうが、アキを「はじめてのおかあさん」「本物のおかあさん」だと言いました。

もう一つは、マサじいの口から出た「家族」という言葉です。先の話になりますが、家族の縁に薄いアンとアキに対して、家族というものをよく見せてくれたのがマサじいの一家でした。その彼が作中最初に「家族」という言葉を出した人物だというのは、実に示唆的です。四話でマサじいは、「結婚」という言葉も出していました。

 

今回は第四回。連歌俳諧でいうならば発句から第三までが終わり、これから自由な展開へと旅立っていこうというところです。

今回はそれにふさわしく、今までの描写に呼応し一層の説得力を示す表現と、今後に展開していくキーワードとの両方が示されました。今後が楽しみです。

 

 

それから、以下は未読の方はご覧にならないほうがよいかと思うのですが……

一つにはまず、ボードゲームのこと。ゲームというもの自体魅力的で掘り下げ甲斐のあるモチーフですが、今注目したいのは、ボードゲームがドイツを中心に発展したものであることです。

既読の方であれば、『アンの世界地図』の世界とドイツのゆかりの深さはよくわかるはずです。マサじいがどんなところからボードゲーム愛好家になったのかは作中語られませんでしたが、もしそれが、一次大戦ののちも徳島の地に残ったドイツへの親しみからくるものであったなら…と想像してしまいました。

 

 

それから、マサじいの心配の内実についてです。

マサじいの心配の核にあったのは、先述のとおり親との仲がうまくいかないアキやアンに対する心配でした。しかし、アンの両親がどんな様子か知る前から、彼は二人のことを心配し、アンがうだつの家で暮らすことに反対しています。マサじいは最初何に心配し、怒ったのでしょうか?

  

それは、第一には、アキに対する心配でしょう。そもそも身寄りがなく、不安定なアキがさらに厄介事を抱え込んでいるとなれば心配もします。

しかしマサじいは、「生活の乱れ」「人間の荒れ」も気にしていました。最初は人助けをして「生活の荒れ」……?と思ったのですが、これはきっとアキのセクシュアリティに関することなのだろうと思います。

 

第四話の時点まででも、アキのセクシュアリティには少し疑問符がつけられていました。この先を読んでいくと、アキはすくなくとも生まれた時には「女の子」とみなされていなかっただろうことが、ほぼ確信をもって理解できるようになります。

そうすると、マサじいの心配は、年若い、しかも身寄りのない男女が1つ屋根の下で暮らすことに対する心配だったのかもしれません。そう考えれば、なるほどまず反発から入るわけだと納得もいきます。

また、いささか生々しいようですけれども、朝の炊きたてご飯をみて安心するのがわかるような気がします。そのときのマサじいは少し顔を赤らめてもいました。そういえば、前日の夜はリラックスした姿で涼む二人を目撃してしまったのですから、何か色々考えてしまったのかもしれません。

 

しかし実際にアンと話してみたら、それどころかアキを「本物のおかあさん」と呼ぶ始末ですから、「最初っから余計な心配はしとれへんわ」ということになったのでしょう。

ただ、私はどうもマサじいやアキとは遠い生活感覚の中にいるようなので、本当にこれで妥当な理解なのかどうか自信がないのですが……読みすすめていく中で改めて考えたいと思います。

 

何度も読んだ作品だというのに、心の底から先が楽しみな自分がいて、驚いています。

 

【追記】せっかく感想を書いているのだから、もうごりごり宣伝しようと思ってリンクを貼ることにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。よろしければぜひ。