されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

『アンの世界地図』全話再読(6)

※『アンの世界地図』第六話のネタバレを含みます。

 

不意に思い立って始めたこの全話感想シリーズも第六話まできました。一巻ももう1話で終わりです。この作品は全五巻なので、もうすでにお名残おしい……!

 

扉絵

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第六話扉絵

今回はアンが一人だけ。ジョン・テニエルの挿絵の不思議の国のアリスを思わせる雰囲気風で、きのこの上に立っています。左手に手にした布か旗のようなものには、どういう仕組みのものなのかわからないのですが、NO MORE BOYSの字が書かれています。そして彼女の右上には、薔薇に囲まれて「そういえばわたしは殿方がたいへん苦手なのでした」というアンの言葉が。

私は不思議の国のアリスのような児童文学をまるで読んだことがなくて、パロディであることはわかるものの(ここでいうパロディは文学用語のパロディであり批判や揶揄を旨としたそれとはちがいます)、その表現効果を考えることができなくて残念なのですが……

ともあれ、今回はアンの語りから幕をあけました。

 

第六話の流れ

前回の最後に登場したマサ兄は、おやつの席に通されています。しかしアンはまっくらな物陰、袋棚というのでしょうか、そこに潜って膝を抱えていました。アキいわく「男が苦手なんだってさ」とのことです。

マサ兄はアキときのこたけのこ戦争(冷戦)を繰り広げながら、アンと会話をもとうとします。マサ兄はここでアキの謎に関しても大いに核心に近づくのですが、アキはきのこの山開封する音を大きく立てつつ用件をたずねて、話を流してしまいました。

このあたりは、未読の方にはぜひ実際に読んで頂きたいところです。私は虫眼鏡まで出してきて頑張って読もうとしました。

 

マサ兄の用件は、梨の収穫を手伝うバイトをしてほしいということでした。「運動不足で引きこもり」のアキに、梨狩りをさせてやるというマサ兄に、「……ああ台風がきそうだってニュースで見たよ」と答えるアキは、すべてお見通しのようです。

即座に時給をたずねるアキに、「うちの梨に葡萄にかぼちゃなすにスイカシソ採り放題でお願いします」と付け足すマサ兄、気心の知れたしっかり者同士の会話が楽しい場面です。

 

アキはアンにバイトするよう持ちかけますが、アンはとても嫌そう。

場がしん…としてしまった中に、うだつの家が現れました。うだつの家は若者が三人もいてうれしいのだそうですが、「まさか彼女が男嫌いだったなんて……」と、アンの男嫌いには困惑しています。男性の少ない職場もありますし、生きていくには男嫌いでもそこまで困らないはずですが、うだつの家にとっては男嫌いだと何か不都合があるのでしょうか?

 

人物たちのほうに目線を戻すと、アキが幽霊のように冷たい笑みをうかべてアンに宿代・仕立て代・食事代を請求し、バイトするよう求めています。情に流されないアキ、立派なおかあさんぶりです。

アキは仕立ての注文をためてしまっているので行けないから、アンが……という話になったところで、時計が十二時を打ちました。

アキはさっとたすき掛けにして、マサ兄に昼食を食べていくよう声をかけます。アンは「えええええええええ」と不服そう。「アンいいかげんにして ちゃんと座りなさい」というアキが本当におかあさんです。

 

アンが知っている男性と一緒の部屋にいるのは中学校以来だそう。アンはこころの中で「こういう男性にはわたし嫌われるのに決まってるのにバイトなんて……」と警戒しています。

マサ兄がアンにどうして男嫌いなのか聞いたところ、淵源は子供時代の男子との関係にあるようです。ここから始まる二人それぞれの主張は妥当なのか妥当でないのかよくわからないのですが、とにかくふたりともよく舌が回ります。第三者として見ているぶんにはかわいいやり取りです。

算数ができない者同士の言い争いの中で、マサ兄はアンの世界の狭さを指摘します。それは正鵠を射た指摘であり、アンの世界はこれから広がっていくところなのでしょう。

 

そして話はそれてゆき、アキにはドイツ人の血が入っているという話題に行き着きました。アンがまた驚いたころで、アキがうどんを持ってきてくれます。

アキは「仲良くしていたみたいだね」、マサ兄は「普通にな」と返しました。アンはアキがドイツ人だというところに驚いていてそれどころでなくなっているようですが、私の目にも、十分男性と会話できているように見えました。

 

アンがこどものころに傷ついたことは、とても大切で、軽んじられてはならないことだと思いますが、だからといって今後のアンがそれにずっと縛られ続けないといけないということはないでしょう。アキ、マサじい、マサ兄と段階をふむ形で会話できて、よかったねと嬉しくなりました。

 

しかしアンはそれよりもアキのルーツの方にとらわれていて、「信じられません!!!」「どう見てもヤマトナデシコです!」と叫んでいます。「うわっなに!」と驚くマサ兄の隣で、?マークを浮かべながらアキは「……ああごめんアン 県外からきた人はびっくりするよね」とうどんの食べ方を説明してくれました。

アキの状況適応能力と受容性の高さはすばらしいですが、アキはアンの行間を、堅実なアキの思考回路に基づいて埋めようとするので、結果的に天然ボケに真面目ボケを重ねがけするような状況に陥っています。ツッコミが足りていない二人の会話が好きです。

そしてまた、ごく自然な形で読者に徳島の食文化を伝えてくれる、本作の表現も実に見事です。

 

話題はうどんの話にうつろい、そしてまたアンのバイトの話に戻りました。ぶれずにバイトを嫌がるアンに、マサ兄は麻雀勝負を持ちかけました。アキの秘密を教えてやるという餌につられたアンは、ピンズ麻雀の勝負を受けます。

しかしこの様子を見ると、うだつの家にも麻雀セットがあるようですし、アキもマサじいのもとで相当麻雀教育を受けていますね。善哉。

 

というわけで、場面はかわってピンズ麻雀の始まりです。

まずはルール説明、カジノのディーラーのような黒いベスト姿のマサ兄が、ローブ・ア・ラ・フランセーズをまとい、ジャポネズリな扇子をかざしたアンに教えてくれます。煙管を手にした花魁姿のアキは励ます係。第三話の扉絵のファッションと似ています(全く同じではないのですが)

ほめて育てるタイプのアキと、演技上手のマサ兄に見事にのせられる、ほめられて育つタイプのアンがかわいいです。マサ兄のいいお兄さんぶりが実感できる場面でもあり、またさすがマサじいに育てられた人だ、と思う場面でもあります。

しかしこのパターンは本物のカジノならば間違いなくはめられるので、アンは本当の賭け事はやらないほうがよさそうです。

 

場の流れが軌道に乗ったのを見て取ったアキはさりげなく場を離れます。前回のマサじいとの会話においてもそうでしたが、アシスト上手です。

そうして別室におもむき、きれいにたたまれた布地を取り出したアキ。何を作り始めたのでしょうか?

 

アキがお茶をいれて戻ると、そこにはアキの予想通り、手ひどくやられたアンと勝利の笑みを浮かべたマサ兄がいました。

最後にはうだつの家が「……すっかり仲良しになったところで次回は農家バイト編です♡」と嬉しそうに締めくくります。

アンはまだ「いやあああ……」と悲鳴をあげていますが、うまくこの安寧の地から外にでて、マサキ宅という新たな社会に馴染めるでしょうか。

次回のアン、頑張って!

 

 

まとめ

今回のうだつの家の登場場面は中盤と最後の二箇所。それ以外は基本的に三人称的な目線から物語が進んでゆきました。

ケンカをしつつも、麻雀を通して客観的に見ればだいぶん仲良くなったマサキとアン。

前回マサじいが話してくれた話が、アンとマサじいではなくアンとマサ兄のあいだの出来事に、絶妙にずらされて実現したわけですね。

 

マサ兄という遠慮のない第三者が登場したことで、アキの秘密についても少し話が進展しました。一つは「男」に関わること、もう一つはルーツに関わること。

小さな言動のはしばしに、しっかり者のアキがマサ兄という年長者に甘えている様子が少し見て取れて、読者としては安心する回でもありました。

 

アンについては、男嫌いという側面について、前回に続き掘り下げられました。

アンの男嫌いはたしかにゆきすぎていたのでしょうが、描写をよく見ると、最初にまず「怒っている」男性に対する苦手意識を見せているのに気が付きます。前回も、最初はまずマサじいが怒っていると気にしていました。

アンは言語化していませんが、「怒られる」ことへの過剰な恐怖感は、それはやはりアンの境遇ゆえのものなのでしょう。実際のところ、マサ兄は怒っていたわけではないはずでしょうし、前回のマサじいも、私の目には怒りより驚きのほうがまさった反応のように見えました。

 

こうした一連の描写によって、アンとアキの境遇が、より立体的に見えてきた回だったように思います。

またアンとアキのあいだの二人だけの関係は、前回マサじいという、アキの身内も同然の年長者に開かれていました。今回ではそれがさらにマサ兄にまで広がります。

 

アンの視界の広がりに注目してみると、うだつの家という安住の地とアキという理解者を得たアンは、前回と今回とでマサじい・マサ兄に出会い、少しずつ他者と共存する社会性を得ていったといえそうです。

とはいえアンはまだうだつの家の庇護から出ていません。次回うだつの家から旅立ってゆくことで、いよいよ世界を広げていくわけです。それが一巻の最後である第七話にあたるというのが、これまた見事な構成です。

 

 

また、第一話から第三話までで、衣食住の描写に注目してきましたが、今回は再び「食」のターンでした。アキはおうどんを作るのにも、びっくりするほどたくさんの付け合せを用意しました。

きのこの里をお懐紙にのせて出すし、針を取る手を休めてお茶を出すし……私はアンのような家庭に育ったわけではなく、むしろ家族に恵まれたほうだと思っていますが、それにしてもアキの生活文化の豊かさには驚いてばかりです。

私だったら、お皿の上にパッケージごときのこの里を置いて、お茶はピッチャーでした。おうどん?おつゆがあればそれでOKです。

そんな私でも、こういう描写を見ているとこんな生活ができたら一分一秒がしあわせなのだろうなと思います。わたしは何のために生きているのだろう、いやいや家事をしていやいや食事をするのは、それは本末転倒ではないか……とつくづく考えました。

私はもちもちした小麦食品を食べるとお腹をこわすので、うどんを食べられないのですが、ちょっと一工夫しておいしく食べる知恵を、アキから学びたいなと思います。

 

 

もう一つ注目したいのは、ほめて育てるアキの「アンはものごとをよく考えるからいんだろうね」という言葉。これはきっと前回の、アンのルールについての話でしょうか。

マサじいが語ってくれたことは家族の歴史であり、ゲームの効能の具体例です。

それを、ただ「いい話だったな~」と情緒的に受け取ることもできる中、アンは「ルール」に注目し、「自分の家もそうだったらよかった」と、一般化した上で身近にひきつけて考えていました。それは立派な抽象的思考です。

ふわふわして見えるアンが、「ものごとをよく考える」子なのだと、アキがわかってくれているのをとてもうれしく思いました。

 

いえむしろ、私はそんな呑気なことを言えた立場ではありません。

もしアキが前回・今回とアンの思考回路に目を向けさせてくれなければ、私はアンの思考の豊かさに気が付かなかったでしょう。いつまでもアンのことを「ネグレクトされた子である」という外形的な状況によってばかり説明して、アン自身が感じ、考えていることに目を向けられなかったのではないかと思います。

こういった、読者の眼差しをコントロールする表現こそが芸術なのだと、強く感じます。メッセージを伝えるのではなく体験させてこそ表現であり、詩であり芸術です。伝えるだけではスローガンでしかありません。

 

こう考えてみて、私が好む作品というのはいずれもスローガンではなく、体験させる表現力を持った作品なのだと実感しました。

このブログではいまのところ、『アンの世界地図』と並んで『将国のアルタイル』の記事を多く書いています(吟先生の『きみを死なせないための物語』に間に合わない自分が不甲斐ない……!)。

まだあまり一番書きたいことを書けておらず、なぜ私は『将国のアルタイル』のことをこんなに一生懸命考えていたのだろう……?などと思っていましたが、この体験させる力が軸であり、私を動かすものなのだと、改めて気づかせてもらった思いです。

 

明日の第七話で、アンの世界はどう広がっていくのか、そして私の世界もどう広がっていくのか、知っているはずなのにとても楽しみです!

 

【追記】せっかく感想を書いているのだから、もうごりごり宣伝しようと思ってリンクを貼ることにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。よろしければぜひ。