されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

『アンの世界地図』全話再読(8)

※『アンの世界地図』第2巻のネタバレを含みます。

 

『アンの世界地図』全話再読、一度進め方に悩んでいましたが、再開しました。

進め方に悩んだのは、あまりネタバレしすぎるのが嫌だったためです。

私は作者さまや出版社の不利益になりうることをしたくありません。

しかし精読するとなると、一つ一つの作中の描写に沿っていくのが基本です。私は文学畑の人間なので、徹底して作品に寄り添い、作品の中の描写を根拠として論理的に読むことを是としています。

一行一行、一コマ一コマ引用して、1ページに最低数時間はかけて丁寧に読んでいくのが文学の流儀です。しかし今それをやったのではネタバレになってしまう……

2つの意志がぶつかってしまったわけです。

一巻ならばときどきプロモーションで無料公開される時期がありますからまだぎりぎりできたのですが、二巻となると悩んでしまったのでした。

  

今も、たしかな道筋が見えているわけではありませんが、とどのつまりはうまくバランスを取るほかないでしょう。 

今はただ、自分自身が、『アンの世界地図』のない今日に耐えられなくなってしまいました。どうしてもこの作品のことを考えたくなってしまったのです。

 

第八話扉絵

バス停にスーツケースを置き、その前に腰掛けるアンが描かれています。もともとはカラーだったのでしょうか。帽子のリボンと腰に巻いたリボンがよくあっていてかわいいです。ちょっと引用するのは遠慮しておくとしますが、この絵は今回の内容と対応しているような、そうでないような……。

第一巻でも、次の話を先取りしたような扉絵が描かれることがありましたから、今回は先に進みたいと思います。

 

第八話の流れ

扉絵をめくった先に待っているのは、印象的な一枚絵。

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第八話の1ページ目

今回はアンの語りがベースです。彼女の疑問とともに、堂々とした姿のうだつの家がうつっており、アキという人物とうだつの家とが紐付いていることがよく感じられます。八話の主な舞台はマサ兄の家ですから、これはアンが心に思い浮かべた景色なのでしょう。

アキは何者なのかという問いは、実は第二話で早くも登場していました。そのときは居候になってすぐの頃の疑問でしたが、今はもう少しアキのことを知った上で浮上してきたわけです。

 

ストーリーのほうは第七話に続いて、アンのアルバイトの話です。

アンは室内に戻り、扇風機の前でもくもくと梨を計量しています。しかし考えているのはアキのこと、そして「これは もしかすると 誰の言葉を信じるか という話なのかもしれません」ということ。

このときアンが思い出している、彼女の母の言葉が痛いです。

 

アンは「悪意から出た言葉をいちいち信じていたら生きていけません」「心をかたくして五感をぼーっとまひさせて なんにも感じないのがいちばんです」とバリヤーを張り始めます。

それを見てキヨヒコがなにかしたと気づくマサ兄。マサ兄はアキのようなおかあさん力と他者に対する受容性を持つわけでもなく、キヨ兄のような妙な鋭さと攻撃性があるわけでもなく、普通にいい人です。普通にいい人のありがたさたるや……

美代ばあもアンの異変に気づいておろおろとしています。アンは一応小さくほほえんでいるのですが、それをみて「どうしょうこの子急に笑顔が無うなった…」と思ってくれる美代ばあがうれしいです。

 

 

作業が一段落して、マサじいは美代ばあ、マサ兄、キヨ兄、アンにお茶を入れてあげます。いいご夫婦です。

マサじいは「おなごの分」はケーキがあるから孫やはほっといてこっちにおいでと、テレビの前に誘ってくれました。アンがやさしい人にたくさん出会ってくれて本当にうれしいです。アンも一度にほっとした様子で涙ぐみます。

1話の頃のアンは、ずっとバリヤーをはったような状態でした。今のアンのバリヤーは、その頃に比べたらきっと脆いのでしょう。それは、今のアンにとっては楽ではないかもしれませんが、はるかによいことなのだろうと思います。

 

アンとマサじいの会話は、ふっとアキのところに及びます。テレビも新聞もいらないというアキに呆れたような物言いのマサじい。アンは「そういえばそうです」、テレビも新聞も雑誌も、携帯も見たことがないと、また一つ疑問を深めかけたようです。

その場面の背景には、うだつの家の立派な仏壇が映っていました。

 

そこに不意に物騒なニュースが入ってきます。少女拉致監禁事件と、どこかの国の内戦の模様です。アンはドキドキが止まらず、ケーキが喉を通らなくなってしまいました。

ニュースなんて見なければよいのにと考えるアンとマサじいの会話の背景には「ドカン」「バリバリバリ」「キャーーー」「ドオン」といった擬音が描き込まれています。

これを見て、私はかつて、イラク戦争についての短歌、テレビの中に戦争を見るという短歌を読んだことがあったと思い出しました。失念してしまって歌を思い出せないのですが……印象深い一ページです。

 

マサじいは静かにアンの言葉を聞き、そっとテレビを消します。アンは消してほしいという意味ではなかったと慌てます。

きっとアンは、ただ考えていたのでしょう、わかります。6話でアキが「アンはものごとをよく考えるからいんだろうね」と言っていたのが改めて思い出されました。

ただマサじいは、アンに消してほしいと要求されたと思ったからではなくて、アンの言葉にハッとしたから消したのだそうです。アキはマサじいとアンは合うのではないかともいっていましたが、本当にそうなのかもしれません。

 

マサじいはてれてれとのろけたりした後、「アキがあんなにリラックスしておれる人間はおまはんぐらいよ」「おまはんが何者かどうでもようなるわ」といいます。

アンはなにか引っかかっていたものが落ちたような、キラキラとしたきれいな目でマサじいを見上げます。「優しくしてくれる人が何者かなんてどうでもいいことではないでしょうか」と、アキ何者か問題を棚上げしました。

 

この一連の会話にはやっぱり!そうですよねマサじい!とうなずきましたが、同時に、アキがアンを何者かと思っているとき、徳島の人々はアンの方をこそ何者かと思っていたのだと思い出させてくれました。

アンがアキについて詮索するのをやめるとき、アンの方もまた、少し徳島の人々の中に溶け込めていくのでしょう。

 

 

そんないい場面を、後ろから不機嫌そうに見ている人がいます。キヨヒコです。アンがマサじいや美代ばあになついている様子を見て、あれこれ邪推しています。

マサ兄とキヨ兄の会話は女性の好みにそれていきました。そこで「それやったらむしろアキか」といったキヨ兄に、「あほか」と返したマサ兄が気になります。

 

前のページで、アンはどうかと水を向けられたとき、マサ兄は少し顔をしかめて「あほか」と言っていました。一方、アキについて言われたこの場面では、マサ兄の表情はうつりません。そのコマに描かれたのは、雲のたちこめるうだつの家です。

同じ言葉の反復はその言葉を印象づける効果を持ちます。マサ兄のこの「あほか」はどのようなニュアンスなのでしょうか。アキが何者なのか問題に関して、含みがあるように思われました。

アキ何者か問題をアンが棚上げしたのはとても素晴らしいことだと思うのですが、それはそれとして、読者の元には疑問が残り続けます。この場面はそんな読者に対して、少し情報提供してくれたもののように見えました。

 

 

ページをめくると場面はきりかわってうだつの家。風の音に起き上がったアキが、寝すごしてしまったと慌てています。

アンも同じ空を見上げて、雲の速さに見入っていました。そろそろ天気が危ういということで、バイトもおしまいになります。アンは「深夜までバイトかなと思っていたのですが……」とのこと。マサじいの働き方を知れたアンにとって、この日は働くということについてずいぶん色々なことを知れた一日になりました。

 

アンを帰すにあたり、キヨ兄がアキに連絡することになります。

キヨ兄はアキに電話をかけて、ここぞとばかりにアンは愛着障害だ、他人との距離感がわかっていない、などと言い出しました。

目の前でそんなことを言われたアンは、最初はバリヤーをはっていましたがすぐに傷ついた表情を見せます。

アンの脳裏には、母に手をつないでもらえなかったときのことが浮かんでいました。アンの顔は見ている私のほうも悲しくなりますが、ただ悲しんでいるのではなく、驚きと怒りをたたえた表情のように見えます。

 

しかしさらに怒っているのがアキです。完全に目を釣り上げて手を震わせたアキ、蛇の目傘と下駄で飛び出しました。いでたちがすっかりタイムスリップしているのでよけいに迫力があります。

第八話は、怒りのアキがマサ兄の家に到着したところで幕を閉じました。

 

 

まとめ

今回うだつの家の登場はなし。久々にアンの語りが中心でした。前話あたりから少しずつアンの語りの比重が増えつつあったので、つながりが自然です。

『アンの世界地図』は作中の会話が非常に自然なのが特徴的ですが、今回もその話題の移り変わりのなめらかさを堪能できるエピソードでした。

その中ではキヨ兄のアンに向けた悪意が突出していて、やはり印象に残ります。しかしまだ、どうしてキヨ兄がそんな態度を取るのか、ここまででは見えてきません。これから先が気になるところです。

 

 

アキが何者なのかという問題については、アンは疑問を棚上げしました。もとはといえばアキの秘密に釣られたところからこのバイトをすることになったのですが、もうそんな詮索はやめることにしたのですね。賢明です。

そして何より、相手が何者なのかかまわないというのは――私も以前このブログで書いたのですが(まだ公開記事に戻していませんが……)――、アンとアキの関係性においてとても重要なことです。

それがやはりこんな早くに描かれ始めていたとは、あらためて驚きました。

 

もちろん、自分に優しくしてくれたのだから相手の素性は気にしない、という考え方は、状況次第では大変危ういものになりますが、ここでの場合はそういう話ではありません。

ここまで共に暮らしてきたアンが、うだつの家の外の世界を見て、他の人から見たアキ像にも多少触れた上で、改めてアキを信じると決めた、ということなのだと思います。

きっとそれは冒頭の「これは もしかすると 誰の言葉を信じるか という話なのかもしれません」へのアンサーです。

 

 

ただアンの選択と立場はそれはそれとして、読者としては、よ登場人物が増えたぶん、り多様な視点に触れられる回でもありました。

キヨ兄の言葉はアンには酷でしたが、読者にとってはアンを理解する助けになる言葉であったと認めないといけないと思います。

たしかにアンは、ほとんど初対面のアキにすぐ飛びついていましたし、あっという間にアキになついてしまいました。キヨ兄がいったこととその根拠は、たしかに全く的を外したものではないのでしょう。

そもそも、キヨ兄のようなラベリングは悪意しかありませんが、アンを助けていくための情報としていかしてゆくならば、そのラベルはむしろ有益であり必要なものです。そのために、診断名というものがあるのでしょう。

キヨ兄も、これからその鋭さと的確さを、よい方向にいかしてゆけるとよいですねと願います。

 

 

 

【追記】せっかく感想を書いているのだから、もうごりごり宣伝しようと思ってリンクを貼ることにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。よろしければぜひ。