されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

映画『この世界の片隅に』との個人的な出会い

※主に作品の外側(作品と享受者の関係)の話と、個人的な思い出です。ストーリー上のネタバレはありません。

 

映画との出会い

筆者とこの作品とのなれそめを、語らせてもらいたい。

筆者は、もともとこうの史代作品が好きだった。『この世界の片隅に』が映画化されるのでクラウドファンディングにより支援を募っていると知ったときは、胸が踊った。

実際のところ、交通費のでない最低賃金の倉庫で働いて自分の書籍代を稼ぐ学生であった私には、支援は手がでなかった。しかし友人が出資していたので、支援者向けの制作過程の中間報告のようなイベントに連れて行ってくれた。

 

そのときはまだ製作途中だったはずなのだが、上巻の「大潮の頃」など、序盤のシーンはもうすでに映像になっていた。

 

当時を知る人々への聞き取りや、古写真等に基づく調査と情景の再現過程について詳しい報告があった。

現地の、当時を知る人々を相手に、上映会も行ったとお話があったような……少し記憶が不確かだが、私が持っていない当事者性というものを感じて少し驚いた。文学作品を読むときには、誰だって同じ条件のもとにある読者だと思いがちだったから……この映画が、たしかに存在していた景色を映像にとどめる使命を帯びていることを知って、これはこうの史代の作品ではないのだ、そこからおのずからに離れてゆくものなのだと感じた。

 

それからこうの先生が登壇されて、戦時下の暮らしを体感すべく実際に野草を摘んで食べてみたときのことを、笑いながらお話されていた。私はその笑いの「不適切さ」をよく覚えている。

戦時下に苦しい暮らしを送った人のことを、こんなふうにおもしろがってはいけないのではないか……そんなさかしらや無意識の奢りを吹き飛ばしてしまう笑いだった。どんな場、どんな人の間で、どんなものに対しても、きっとこうの先生は、ご自分の中の軸にもとづいて笑えるのだろうと、そう勝手に思った。

それは、どんな人間とも、同じ人間として、一対一で向き合っているからこそのものではないかと感じる、むきだしの笑いだった。何もかもを相対化してしまうような、それでいて諦めや冷笑とは無縁の強い笑いだった。

どんな経験を積み重ねれば、あの境地に到れるものだろうか。一瞬でも触れれば手がびりびりしてたまらない真実の骨の中の髄を、ずっとわしづかみにされているような印象を受けた。

 

だが私は不安だった。同行者は私と友人の他にもう二人いた。一人は共通の友人、もうひとりは初めて会う人で、同じく出資したのだそうだ。

こうの作品は読んだことがないという。それではどうしてファンディングを、と聞いたら「軍艦が出ると聞いたから」との返事が返ってきた。

その人がいうには、この映画には軍艦がたくさん出る、なかなかしっかり描かれるようだ、いや描いてもらわねばということで、軍艦好きの間で話題になり、出資者がたくさん出たのだそうだ。何と返事すればよいのかわからなくて、困り果ててしまった。

軍艦が好き、戦争ものが好き、戦闘描写に期待しているというその人と、私はもっと話をしておけばよかったと、今になって思う。

 

そのときはただ不安だった。クラウドファンディングは、限られたスポンサーをつけるのに比べれば、出資者の意向に左右されにくいだろう。しかしそれでも、彼らの「誠意」が制作陣を動かしはしなかったものかと、不安だった。

 

 

映画館での感想

それから私は、先述の友人二人と一緒に、完成した映画を見に行った。

白木リンさんがすべてカットされてしまったのは、この尺ではいたしかたなかろうと思った、エンドロールにのせてもらえてよかった。

しかしリンさんの名札の形に破られたノートなんかは、原作既読者を黙らせるための猪口才なやり方だ、表現ではない。コンテクストから切り離されたわずかなシーンから意味を読み取ろうとしたら、それは曲解だ。そこからなにか読み取った気になって「深い」などというのはどうかしている。

肯定的に言うなら、「あのシーンはどういう意味だったんだろう?原作を読めば分かるだろうか?」と、原作に誘うための撒き餌のような仕掛けだ。

 

 

クライマックスのせりふ改変はよく取りざたされる箇所だが、私の率直な感想としてはわけがわからなかった。

すずさんはたしかに主婦として台所を切り盛りしていた。だが彼女が野菜の産地などを気にしている描写は、それまで一度もなかった。外国の野菜を食べていることと敗戦との関係がまったくわからなかった。交戦相手の国のものでもあるまいに、それが慟哭するほどのことなのかと思った。

そもそも私には当時満州などの野菜が日本に入ってきていたという知識がないから、知識としても、作中示された描写としても、新情報の連続なのだ。あの短いシーンの中で受け止められる情報量ではなかった。

一応私は、日本史の専門ではないけれど高校までは勉強してきているし、高等教育を受けている。特別賢くもないが、教育に恵まれなかったと言ってしまったらそれは怠慢であり傲慢だ。そういう身分の人間だが、それでもわけがわからなかった。

 

 

原作で強い印象を残す最終話「しあはせの手紙」が、コトリンゴの歌う歌詞にのせられて落とし込まれたのは一つの方法なのだろう。なるほど、とは思ったが、それならばもっと聞き取りやすい歌い方をする人に曲を頼むか、せりふとかぶせずに流してもらいたかった、と思った。

だが「いま此れを読んだ貴方は死にます」という、呪いのような真実が聞こえてこなかったのは、歌い方の問題ではない。コトリンゴの歌う「みぎてのうた」の歌詞をみると、そもそも歌詞に入れられていなかったのだ。

 

 

 

つまり全体的には、原作とは違う話だった。それもよかった。媒体に合わせた方法、尺に合わせた方法というものがある。空襲のシーンはとても美しく苦しくて、躍動する表現に魅入られた。

問題は、ごくごく表面的に物事をみて、それだけで十分満足できる人に、あまりにも優しい作りだったことである。

 

伝え聞くところによると、片渕須直監督の作品理解は原作者お墨付きとのことだ。きっと少しのシーンにも、熟慮があるのだろう。

しかし残念ながら、たいがいの観客は映画のことしか見ない。みながみな、一つ一つのシーンの意味を考えてくれるわけではない。

 

戦時下の純愛物語だ、だとか、すずさんは健気でかわいい、だとか、日本は戦争の被害者だ、というような、非常に単純化した捉え方をこの作品は許容している。

むしろ、原作からの改変箇所を確認してゆくと、両手をあげて歓迎しているふうですらある。それは、世の「素朴な」右傾化、単純化が恐れられる今にあって、とても危ういと思った。

よりにもよってこうの史代を原作とする作品がその役割を果たしてしまうとは、この世は悪夢ではないかと思った。まだまだ本当の悪夢など知らなかったから。

 

それから私は、この映画のことがこわくて触れられなかった。今から考えれば悠長なことだった。懸念するだけで何もしないとは。

 

 

再度見てみて

2020年の夏の終わりに、私は勇気を出してもう一度みた。やはりよい映画ではあるのだろうと思った。原作の再構成は見事であったし、美しい自然の音に囲まれている。

だがこうの作品を土台にしたにしては、あまりにも複雑さが削ぎ落とされ、舌触りのよいものが追加されすぎていることには、たぶん映画館でみたときよりも大分具体的に気づけた。

 

 

今はもう私は逃げない。私が千回、2千回こうの史代はよいと言ったところで、私が作品のためにできることは微々たることだ。この映画が果たしてくれた役割には、比べようもない。映画として優れていることも疑わない。

それでも自分が抱いている違和感のことは、違和感で済ませずに言語化する。そう決めた。適当ないちゃもんをつけるのではなく、明確な根拠と論理を持って、私は映画に何を思うのかを言葉にする。そうすればきっと「さらにいくつもの」の方も見れるようになるだろう。こうの史代が参照した原案の岩波新書とも向き合えるだろう。

 

 

そう思って、映画『この世界の片隅に』の記事を書くことにした。