されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

『アンの世界地図』全話再読(16)

『アンの世界地図』3巻16話の感想です。ネタバレを含みますのでご注意ください。

 ゆっくりやってきる『アンの世界地図』の全話感想もそろそろ折り返し地点です。

自分を何かリセットしたいときに、この作品の感想を書くととても元気が出ます。なぜでしょうか、本当にありがたいです。

 

扉絵

雨の日の窓に張り出された英語の新聞記事。

木造の建物のようですが、バラック(俘虜収容所の兵舎)なのでしょうか。

そう考えてページをめくると、呆然と掲示を見上げるドイツ兵たちの姿が目に入ります。やはりバラックでよいのでしょう。

 

16話の流れ

マイズナーは椅子の上にたって皆に報道を聞かせます。フッペが詰め寄りますが、彼はただ、「これ以上は続報を待ちましょう」「ゾルゲル予備少尉たちの説明を待ちましょう」と応じることしかできませんでした。

自室に戻ってため息をつき、コーヒーを、とルームメイトのユーハイムに声をかけます。しかしユーハイムは、毛布をかぶって身じろぎもしません。

 

説明を待つことができてしまう余裕、コーヒーと甘いものがほしいと感じられてしまう余裕は、このとき他の兵士たちの目にどう映ったでしょうか。

取り乱すことも沈み切ることもできない、お人よしの通訳・マイズナー氏は、さびしい人です。

 

周りがこうでは収容所の中にいづらいのでしょう。マイズナー氏は外出許可を求めます。出入りを管理する日本軍の兵士も、「気晴らし」かと、すぐに汲んでくれました。監視もつけられなかったことに、最初「ゆるすぎる…」と苦笑したマイズナーですが、「今さら」逃亡したところで、ということなのだとすぐに思い直します(35ページ)。

ドイツ帝国に熱狂できないマイズナーは、ただひとり、醒めた人間でいるほかありません。その醒めた目は、しばしば彼に現実を酷いほどまっすぐに見せてしまうようです。 

 

 

その彼も、前回の第九には高揚した顔を見せていました。収容所内の郵便局を作ったときの、エネルギッシュな様子も記憶に残っています。

ドイツ帝国に酔えない彼の目には、収容所を何か友愛に満ちた、理想郷のようなところのように見ていたのかもしれません。あるいは鉄条網をまたぎ、民族をこえる美しい交流の夢に、酔っていたのかもしれません。

平常性バイアスの影響もあったのでしょうか、なんともはかない、しかし美しいものをよすがとしてしまったものです。

 

 

本筋に戻りますと、外出中のマイズナーは、ドイツのことを思って涙する秋さんに出会いました。彼は一気に「言うんだ!結婚しようって!戦争は終わったんだ!」というところまで一気に盛り上がります。本当にドイツ帝国のことは痛くもかゆくもないようです。

しかしそこに手痛い一撃を受けて、「そうだった……収容所の外は戦争をしていたんだ……」とモノローグで語ります(37ページ)。

「そうだった……」にはさすがに読者のほうが、「そうだったんだ?」と驚いてしまいました。マイズナーが一歩引いた位置にいることはわかっていましたが、まさかそこまでふわふわした認識だったとは。

 

ドイツ帝国に入れ込むことのなかったマイズナーは、帝国の戦争という物語にも入れ込みませんでした。そしてだからこそ、今、この苦しい現実がむき出しになったときに、それに正面から向き合わざるをえません。

悲しみや驚きといった感情のクッションを挟むことなく、ただ、ドイツ俘虜をとりまく状況を直視することになります。

貝ひとつない砂浜に立ち尽くすような、骨の白のような明るさ、空しいさびしさが印象に残りました。収容所の人々のみならず、収容所の外の人々の様子までもいちはやく目にしてしまう彼の姿には、観察者という位置の苦しさを思わずにいられませんでした。

 

 

そんなマイズナーが負った傷をみてやり、手厳しい指摘を加えるゾルゲル。辛辣な口ぶりにあらわれた二人の親しさをうれしく見ていたら、さらにゾルゲルがうれしいことを言ってくれました。

知性というのはたくましく、明るく、優しいですね。私は何度も書いているとおりゾルゲルが好きなのですが、この場面は地味なようでいて、ゾルゲルの人となりがよくでているように思います。

 

このときゾルゲルはジャケットをぬいで、シャツにネクタイ、ニットベストという出で立ち。彼はもともと予備少尉であって、本職の軍人ではありません。

前話のゾルゲルはずっとジャケットを着ていて、将官としての責務に従って動く姿を見せていました。そしてさらにその以前には、自ら洗濯に勤しんだり、およそ将官らしくない言動を見せつつ、ジャケットを脱いでいました。

 

そこから類推すれば、本話の彼も、きっともう前を向いているのでしょう。ドイツ帝国が滅んだ今、彼も国に戻れば軍人ではなくなります。この先の困難がゾルゲルに見えていないはずがありませんが、それでも進もうとしているのだろうと思います。

 

 

ゾルゲルが前を向くなら、誰よりもふさぎ込むのが大尉という人。ゾルゲルに頼まれてマイズナーは大尉の様子を見に行きます。

このあたりの、人々の様子を見て回るマイズナーの動きは、このドイツ俘虜篇の幕開けのときに重なります。それだけに、両場面のあいだに流れた四年の歳月が思われるとともに、一層彼此の落差が印象深く感じられます。

 

 

しかしあの頃と違っていたのは、戦争の状況だけではありませんでした。

ここにきて、スペイン風邪が流行したのです。

もともとカイゼルなしには生きる気力などどこにもなさそうだった大尉ですが、スペイン風邪にかかって虫の息です。

しかしそこに、秋が危篤だという知らせが入りました。大尉は止めるマイズナーを振り切って、貴重なアスピリンを彼女に譲ります。

 

 

そしてスペイン風邪の犠牲者たちを葬った日、フッペは大尉が日本人の女のために薬を譲ったという噂を耳にしました。

フッペはあわてた様子で学者先生、ゾルゲルに声をかけました。

会話の導入部で、「人が多く死ぬというそのただ一点において僕は 戦争がきらいだよ」というゾルゲル。「そう割り切れるもんでもねえよ 先生」というフッペ(56ページ)。このさりげない会話がとても好きです。

とはいえそれだけで終わるわけにもいきません。おずおずと話を切り出し、ゾルゲルに事の次第を教わったフッペは、色を変えたまま立ち尽くしていました。

 

 

まとめ

ドイツ帝国の滅亡と敗戦により、早晩収容所は存在意義を失います。その、戦後と戦中の端境期のような、宙に浮いた時間が描かれた一話でした。

何かの予兆のようなものが丁寧に描かれた本話は、劇的な前回といいコントラストをなしていたように思います。

 

時代が動いてゆくのと一緒に、収容所をとりまく人々の関係性も、静かに動き出してゆきました。

前半ではマイズナーという人のこと、後半ではゾルゲルと大尉と秋さんの関係にスポットがあたります。前回は大尉とゾルゲルが中心的な位置を占めていましたが、今回からは少しお久しぶりの、マイズナーとフッペのターンというわけです。しかし、どちらについてもすでに不安感が漂っています。

マイズナー氏のことはもう上にふれたので、ここではゾルゲルとフッペのこと、また大尉と秋さんとフッペの三角関係のことを整理してみたいと思います。

 

 

 

最後の場面で、フッペは秋さんが危篤だとの知らせが、自分のもとには届かず、大尉のもとに届いたことを気にしています。

それはマサやんが通訳のマイズナーさんを頼ったからであり、ちょうどマイズナーが大尉のそばにいたからにすぎません。しかしそれは読者の目からみてのことであって、フッペには知る由もないことです。

 

一方それどころではないゾルゲルは、(大尉と)「少しは仲良くしてくれ」「僕はもう争いを見るのは疲れた……」と応じます(58ページ)。

もはや囚われの身である意味もなくなり、帰国も視野に入ってきたというのに、仲間がばたばたと、戦ではなく病で死んでゆきました。ここはその、葬儀の場です。

フッペの、貴族野郎がどうとか女がどうとかいう話に、じっくり付き合う気にはなれなかったのでしょう。別にゾルゲルがそこまで強く突き放したわけでもないだろうと思います。

 

 

しかし、もともと身よりもなく、アルザス出身という複雑なルーツを持っているフッペにとっては、小さい出来事ではなかったのではないでしょうか。

彼は海軍に所属しており、身体能力が自慢です。それでも、フッペの芝居を喜び、感想を言いに来るようなやわらかい心の持ち主でした。

海軍の仲間とは言い合えないこともゾルゲルには話せたのでしょうし、そもそも収容所に来ていなかったら「あんたみてえなインテリとは一生話もしなかったと思うぜ」(54ページ)という生い立ちなのです。

 

フッペにとってゾルゲルとの対話がどれだけ得難く、大切なものだったか。想像してみますが、おそらく恵まれた身の上の私の想像では、きっと不十分だと思います。 

これ一つだけなら、ゾルゲルとの不和というほどのことでもないことです。言ってしまえば些細な出来事です。

しかし他と重なると、ここで会話が打ち切られてしまったことにはなかなかの重みがあるように思います。

 

 

もう一つ気がかりな点があります。

実は、スペイン風邪流行が語られる直前の場面で、秋さんは、ドイツ俘虜に差し入れしようとして追い返されてしまい、フッペと接触していました。フッペと秋さんのあいだに何があったのか、詳しくは描かれていません。

しかし二人の関係性の中で、これまでになく大きな出来事だったのはたしかです。

 

しかも秋さんはその後すぐ、スペイン風邪を患います。

もしかしたらフッペと出会ったときに、収容所内で流行したスペイン風邪に感染したのでしょうか、それともあるいは、収容所の外でウイルスに触れたのでしょうか。

秋さんからフッペがウイルスをもらった可能性も排除できないでしょう。

確定できる描写はありませんし、病気のことなどは人の手の及ぶものではないと捉えておくのが一番だと思います。

ただそれでもあえて邪推をするならば、もしかしたら秋さんをめぐるフッペと大尉の関係は、一層皮肉なものになるかもしれません。

 

また事実としてどうかは置いておいても、フッペ自身の中に、「自分がうつしたかもしれない」「自分が病気にしてしまった秋さんを、大尉が救ったのかもしれない」という疑念は、うかんでおかしくないだろうと思います。

 

 

そうしたフッペとの因縁があること自体、大尉は知らないのでしょう。

もともと所属が違い、階級も違い、親しくもないのですから、見ているものが重ならないのです。フッペと秋さんの交流の模様も、目撃していません。

ただし、大尉がフッペを見ていなくても、フッペは将官である大尉を見ています。大尉の噂を聞いています。

このずれが、今後どうなるのか、です。

 

 

最後にもう少し、大尉と秋さんの関係性についても、みておきたいと思います。

大尉は自分の薬を秋さんに譲りました。その結果彼が生き延びるのは、何か示唆的であり、また二人の関係においても重要な出来事だったように思うのです。

 

 

大尉がどのようにしてスペイン風邪に打ち勝ったのかは、詳しくは語られません。

しかし、大尉はスペイン風邪などなくてもとうてい生きてゆけそうにないほど意気消沈していました。その中で、病身に鞭打ってマイズナーを振り切る姿が、一番いきいきしていました。

 

これは想像にすぎませんが、秋さんという、自分よりも年若く、かよわい命のことを思ったときに、大尉の中に何か奮起するところがあったのではないのでしょうか。

帝国が終わっても、まだ生きている命があり、これからを生きていくものがあると、秋さんの存在に思い出させてもらったのではないかと思ったのです。

そしてもしかしたら、「大尉は自分の身替りになった」と秋さんに思わせないように、なんとか自分も快癒しなくてはならないとも、思ったかもしれません。

 

これは私自身に引き寄せての感想になってしまうのですが、私も、自分より年若い人の存在を思ったときに、生きていかねばならない、と強く感じさせてもらったことがあるのです。その人が生きているという事実が、私の支えでした。

特にその人に恋をしていたわけでもなく、深い交友関係があったわけでもありません。ただ、自分が死んだあとも続いていく時間があるという事実が、私の身を引き締めてくれましたし、救ってくれました。それは私の一方的な思い込みであって、相手は知るよしもないことですが、心の中でずっと感謝しています。

 

もともと大尉は秋さんのことを「美しい」と言っていましたが、恋焦がれてたまらないという様子には見えませんでした。マイズナーさんやフッペは嫉妬する様子を見せるのですが、大尉は秋さんが他の男性とどう関わっているのかに、まるで関心を見せていません。

たとえば「わいなはと」のカードを受け取ったときの振る舞いをみても、何か、この絶望的な状況の中で信じられる美しいものを、そっと大切に見守ろうとするような姿勢に見えました。 

そういう経緯を思い出すにつけ、どうもここでの大尉を生かしたものは、いわゆる恋愛感情というよりも、秋さんという存在そのもの、あるいは秋さんという存在が象徴している未来や希望のようなもの、だったように想像されてしてしまうのです。

ここまで述べてきたことはどれもあまりにも自分に引き寄せた想像であり、作中の描写からはなれすぎていると、我ながら思います。ただ、薬を譲ったことが、秋さんとの関係において、極めて重要なポイントになることは、たしかだと思います。

 

 

気がかりなことは多くありますが、初読のときはこのエピソードは、次が気になってしまって急ぎ足にページをめくってしまったところでした。

今回、ゆっくり各人物のことを整理できて見えてきたことがたくさんありました。何度となく読み返した身だからこそ、今は余裕をもって、次回が楽しみです、と言えそうです。