されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

海王みちるの恋について

※この記事は90年代に放送されたTVアニメ「美少女戦士セーラームーンS」「美少女戦士セーラームーンSs」「美少女戦士セーラースターズ」の本編ならびに劇場版に則っています。

※上記の作品のネタバレを多々含みますが、両作品をみたことがない方、セーラムーンをほとんど知らない方にも読んでいただけるように書いたつもりです。

※内容はざっとこんなところです。

 

 

 

 

美少女戦士セーラームーン』は、太陽系を守る使命を持ったセーラー戦士たちの活躍を描いた作品である。

そのうちの一人、セーラーネプチューンこと海王みちるは唯一自力で覚醒し、戦い始めた戦士だった。

月野うさぎセーラームーン)や愛野美奈子セーラーヴィーナス)のように、お供の猫に導かれて目覚め、ともに戦ったわけではない。

水野亜美セーラーマーキュリー)、火野レイ(セーラーマーズ)、木野まことセーラージュピター)のように、仲間に出会って戦士となったわけでもない。

彼女は真実ひとりだった。あの日、セーラーウラヌスこと天王はるかが目覚めるまでは。

 

 

二人の出会い

海王みちるがはじめて天王はるか接触したのは中学生の頃だった。空はよく晴れていて、陸上競技の大会に出ていたはるかのユニフォームには風が吹いた。

美少女戦士セーラームーンS17話、「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」、シリーズ通算106話目に描かれるエピソードである。

後々でこそ公然といちゃつき始める二人だが、その出会いは、けして穏やかなものではなかった。

 

 

高校生となったはるかは、その頃の自分をふりかえって、

「ただ風のようになりたかった。

重力の支配をすべて振り切り、空のかなたへと突き抜けてゆく

そんな自分を手に入れたかった」

     

 

「思えば、あの頃の僕は自分の運命からただ逃れようとあがいていた。

いつだって戦いの中で勝ち取るものは新しい自分だった」

 

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

という。おそらく、ヘッセの有名な一節

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。

生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

鳥は神に向かって飛ぶ。

     

 

の影響下にあるのだろうせりふである。

この頃のはるかは新しい世界、新しい自分を求めてあがきながらも、卵の殻から抜け出せずにいた。

白昼夢の中で壊れゆく世界と、戦いに誘うセーラーネプチューンらしき者を見ていたが、それを受け入れられずにいた。

戦士の使命を必死に拒むそのさまは、新しい自分を手に入れようともがいていた天王はるかという人の思春期と、ぴったり重なっていた。

 

それならば、はるかと同い年のみちるの状況も、そう変わりはない公算である。

同級生から「すっごい秀才でしかも天才画家」(S17話)といわれる彼女だが、それでも中学生だった。

未熟な者どうしだった。

 

 

 

二人がはじめてまともな会話をしたのは、豪華船上だった。みちるはそのクルーズで行われるヴァイオリンの演奏会に、はるかを招待したのである。

晩餐の席で、見事な演奏を披露するみちるに向けられたまなざし――

「あの子が海王みちるだよ」

「とても中学生には見えないわ、学校でも人気があるんじゃない」

「あまり友達はつくらないらしいよ」

「どうしてかしら、とても素敵な子なのに」

「人嫌いだって聞いたよ」

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

こんな不躾な大人たちの目から逃れるように、はるかは席をたつ。

しかしそこで目にしたものは、みちるが描いた大津波の絵だった。はるかが幻影の中で見ている、世界が壊れる姿そのものだった。

絵を前にして立ち尽くした耳に、みちるの言葉が届く。

 

「お気に召したかしら。

今夜はようこそおいで下さいました、天才レーサーの天王はるかさん」

 

「あなたって有名よね、あたしの学校にもあなたのフリークがたくさんいるわ。

その子、女の子のくせにあなたの車で海岸をドライブしてみたいんですって」

    

 
(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

いやに冷たいその言葉は、さぞかしはるかの癇に障ったことだろう。

 

 

本当は、戦士として感じている恐怖と重圧も、「天才」中学生として感じている痛みと退屈も、きっと二人が分け合えるものだった。

しかしみちるはその共感を、素直に言葉にはしない。

後々の水野亜美との会話(美少女戦士セーラームーンS「ねらわれた亜美!水のラビリンス」)からしても、やや冷たく威圧的な物言いは、ある程度は彼女の癖なのだろう。本当の愛情深さや思慮深さが見えてくるまでには、少し時間がかかる。

ただはるかに対してはさらに、素直になれない理由があった。心に秘めるところがあったのだ。

 

 

だがはるかとて、そんなみちるの事情は知ったことではない。言われたぶんはきっちり言い返す。

世界の終末か、虫一匹殺せないようなお嬢様がよくこんな恐ろしい空想画を描けるものだ

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 そこから二人の応酬は勢いをました。

 

「前世の記憶も世界の終末も僕には関係ない。誰かがやらなければならないなら君がやればいいさ。

僕のことを勝手に調べるのはやめてもらいたいな」

 

「勝手なことを言わないで……あたしだってごめんだわ。

あたしにだってヴァイオリニストになるっていう夢があるの。

世界を破滅から救うなんてばかばかしいこと、やってられないわ!」

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

このとき二人がぶつけあっていたものは、破滅への恐怖と、戦士の宿命を負わされた理不尽さへの怒りだろう。どちらもきっと、他の人に言えば一笑に付されるか、あるいは心療内科を紹介されてしまっただろう。

2人が抱えていた恐怖や怒りや不安は、はるかはみちるに、みちるははるかにしか、ぶつけることのできないものだった。

このひどく攻撃的な会話によって、二人はお互いを、同じ恐怖と怒りを分け合った、唯一無二の存在とした。

それは友人には程遠いけれども、何より特別な関係だっただろう。

 

 

 

雪解け

はるかは一度はみちるを拒むことに成功した。だが運命ははるかを逃さない。

はるかはサーキットのガレージで、制服を着た少年が「化け物」に姿を変えるところを目撃する。

その化け物は、セーラー戦士の敵である異星人が、地球人を器として作り出した怪物(ダイモーン)だった。

 

はるかはとっさに立ち向かおうとするが、助けを求める少年の面影がちらついて手をゆるめてしまう。

傷を受けて倒れたはるかの眼前に、セーラー戦士に変身するための変身ロッドが浮かんだ。

はるかは茫然と見入り、おもむろに手をのばす。

 

だめよ!

それを手にしちゃだめよ

一度手にしたらもう二度と、普通の生活に戻れない!

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

みちるの言葉がガレージにこだまして、はるかの変身ロッドが落下した。

反対にみちるはたからかに変身ロッドを掲げ、セーラーネプチューンに変身する。

すばやく怪物にラリアットをお見舞いする彼女をみて、はるかは慌てて立ちふさがった。

 

だめだ!こいつはさっきまで人間だったんだぞ!

君は平気なのか。人殺しなんだぞ!

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

2人はまたしても押し問答になる。ネプチューンが「こうしなければさらに多くの犠牲者が出るわ」と言い返したそのとき、怪物は非情にもはるかの方を狙った。

ネプチューンははるかを庇って腕と背中を大きく切り裂かれながらも、怪物を倒す。

 

 

戦闘終了後、ネプチューンははるかに支えられながら、「怪物は?」と尋ねる。

自分がどんな傷を負ったかよりも、はるかを無事に守ることができたかよりも、まず彼女が気にしたのはそれだった。

そしてはるかも、「元の人間に戻ったよ。大丈夫だ」と応じる。「倒せたよ。大丈夫だ」ではない。

「君は平気なのか。人殺しなんだぞ!」と問い詰めたばかりのはるかだけれども、本当はみちるも平気ではないとわかっていたのだ。そうでなくてはできない返答である。

 

つまりこの二人の会話はずっとすれ違っているようだけれど、本当は違う。むしろ高度にかみあっているからこそ、こんな言い合いができる。互いの痛い所をつくことができるのだ。

同じ世界の破滅を予感し、同じ運命を背負ってしまっている二人は、きっとお互いのことを誰よりもよくわかっている。

だからこそ、まるでもうひとりの自分を責め立てるように、厳しいことが言えてしまうのだろう。それは、どこか自問自答めいてもいる。

 

「だから手段を選ばないというのか」

「そうよ、私は手段を選ばない」

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

問いかけるはるかは、本当は、それが自分に課せられた道なのだと思っている。言い聞かせるように答えるみちるは、本当は、何度受け入れてもなお、受け入れられない。

この問いと答えは反転しあって、きっとどこまでも終わらないだろう。

 

 

そんな問答の中で、とにもかくにも、この怪物となってしまった一人の人間を心配する気持ちだけは通じ合っていたとわかった。

そのためか、みちるは、ようやく本当のことを話し始める。戦いが終わって安堵したのもあったのだろう。

はるかも、今度は素直に応じる。

どうして僕をかばったりするんだよ。手を怪我したら、ヴァイオリニストになれないじゃないか

     

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

ここにはきっと、同じく将来を嘱望される才能の持ち主として、自分の未来を犠牲にしてでも戦わなくてはならない痛みへの共感があらわれていた。

戦士としての痛みへの共感と、戦士の宿命を負わされた中学生としての痛みへの共感。

豪華客船の中で生まれたわだかまりは、これでおそらく一通り氷解した。

 

 

 

みちるの告白

だがみちるの告白は、そこでは止まらなかった。

 

私は、あなたがもう一人の戦士だから、あなたのことを調べたんじゃないわ……

あなたがその人だとわかるずっと前からよ。

あなたがはじめてレースにでたとき、私近くで見ていたわ。

一度でいいからあなたの車で海辺を走ってみたかったな。

あなたは誰にも甘えない人、そしていつも自分の気持ちに素直な人。

       

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

はるかは目を見開いて、かつて船上で嫌味のように言われた言葉が、実は中学生らしい韜晦であったことに気がつく。海辺を走ってみたかったのは、みちる本人だった。

 

はるかは静かに「僕は素直なんかじゃない、逃げてばかりだ」と答えるが、みちるから見れば、そこを含めてはるかは素直そのものなのだろう。

はるかが飛翔の星、天王星を守護に持つ戦士なら、みちるは抱擁の星、海王星を守護に持つ戦士である。はるかが運命から逃げ回るのなら、みちるはじっと抱きしめる。

その性質ゆえだろうか、みちるは世界の破滅から逃げるのではなく絵に描いた。二人が大喧嘩した日の船に飾られていた、絵のことだ。

 

あれは、一日二日で完成する大きさではない。

壊れてゆく世界をじっと見つめ、自分の背丈よりも大きなキャンバスに再現してゆく日々は、どんなに苦しかっただろうか。その一筆ごとに、どれだけの重圧を感じただろうか。

一本の絵筆で世界の破滅に向き合うように、たった一人で戦う日々は、さぞかし辛く、心細かっただろう。仲間がほしかっただろう。自分ひとりに使命を押し付けて逃げるはるかのことをねたみ、憎む心だってあったかもしれない。

それでも、みちるの目にはるかがどう映っていたのかは、S17話の最後に映し出される彼女の絵を見れば、よくわかる。

はるかが軽やかに走り、迫る運命の手をかわしていく様子は、きっと、たとえようもなく眩しかった。

 

 

 だから、

私はあなたのことをあなたよりも知ってるの、だってずっと見てたんだもの。

あなたにだけは私と同じ道を歩んでほしくないの。

ただあなたがその人だとわかったとき、私うれしかったなあ。

ごめんね、こんなこと話すつもりなかったのに、ごめんね……

       

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

みちるの口調は、だんだんと砕け、やわらかくなっていく。「ごめんね」といったときは、涙ぐみさえした。いわゆるお嬢様口調で話す彼女が、こんな姿を見せたのは、後にもさきにもこの場面くらいである。

「人嫌いだって聞いたよ」などと噂されてきた心を、ついにはるかその人にひらくことができたのだ。

みちるの言葉が堰を切ったようにあふれるのも、無理はないかもしれない。

 

 

みちるははるかに同じ道を選んでほしくはない、つまりセーラー戦士になってほしいわけではない。

けれどもはるかが同じ運命を背負う人だとわかって、嬉しいと思ってしまう。そんなことを話すつもりもなかったのに、話してしまう。

みちるはそんな矛盾の塊の自分を、そのままはるかに開いてみせた。

 

 

 

はるかの飛翔

それを受けて、はるかは自分もセーラーウラヌスに与えられた使命を受け入れることを決めた。 

そのはるかの決意とともに場面はきりかわって、高校生となった現在のはるかとみちるを映し出す。ここではじめて、はるかの変身シーンの全てが放送された。

 

それはきっと、最初に触れた

「ただ風のようになりたかった。

重力の支配をすべて振り切り、空のかなたへと突き抜けてゆく

そんな自分を手に入れたかった」

 

「思えば、あの頃の僕は自分の運命からただ逃れようとあがいていた。

いつだって戦いの中で勝ち取るものは新しい自分だった」

       

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

というせりふに対応しているだろう。はるかはみちるとともに戦う自分を選んで、「新しい自分」を手に入れた。鳥は卵の中からぬけ出ようと戦い、運命を受けいれることでかえって「重力の支配をすべて振り切」った。変身はそのあらわれであり象徴なのだ。

だからその後の戦闘シーンでも、はるかは敵をからかうように、

「僕からは逃げられないよ。僕は風だからね」というのだろう。「風のようになりたかった」はるかはもういない。

逃げるのではなく逃がさない側に回ったはるかは、みちるとのコンビネーションも、あざやかに決める。

 

 

そして本話の最後には、夕日の中で、本当に海沿いの道をドライブするはるかとみちるが映し出された。

 

「(立ち止まることは許されない戦いの日々……だけど)

君に会えてよかった」

「え?」

「このままずっと二人で走ろう。今夜は帰さないぜ」

「まあ」

        

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

海風の中でふざけたように笑い合う二人の姿は、互いに信頼で結ばれた恋人同士のように見えた。

ところが、どうもことは単純ではないらしい。

 

 

恋人ではないふたり

つぎのS18話「芸術は愛の爆発!ちびうさの初恋」で登場したはるかとみちるは、こんな会話を見せる。

 

「やっぱり恋人からの贈り物?」

「当然よ」

「へえーみちるに求愛するだなんて身の程知らずな男がいたんだ」

「はるかがやいてくれるなんて珍しいわね」

「やいてなんかないさ。ただみちるが僕以外の誰かに目を向けるのが許せない」

「はるかさん、そういうのを嫉妬というんですのよ」

        

(S18話、通算107話「芸術は愛の爆発!ちびうさの初恋」より)

 

 

もちろんこのとき、みちるははるかをからかっている。贈り物の主は小学生だ。

ただ視聴者としては、はるかの言葉に困惑せざるをえない。あなたが恋人なのではないというのか?今夜は帰しちゃったのか?

脚本家が毎話おなじではなく、また脚本家によってはるか・みちるをめぐる解像度に差があることは理解しているが、それにしてもだ。 

 

 

同じような疑問を抱かせるエピソードは、他にもあった。

S3話「素敵な美少年?天王はるかの秘密」では、みちるはうさぎや美奈子に「質問!あなたははるかさんの恋人なんですか?」「イエスかノーかおこたえ下さい!」と迫られて、「ノーよ」と笑って答えている。

 

S6話の「恋のお助けはムーンにおまかせ」では、はるかとみちるは「恋人公園」で行われた「愛情コンテスト」にわけあって参加し、途中まで圧勝していた。

だが最後の「愛の告白ゲーム」におよんで、突然はるかは「Show is over……」などと言い始め、「勝利は真実の愛にこそあれだよ 愛こそ 愛こそ全てだ」 と言い残して勝負をおりてしまう。

別の参加者に勝ちを譲ろうとしたからこその行動ではあり、脚本がこなれているとも言い難いシーンではある。だがそれにしても、まるで、はるかとみちるのそれが真実の愛ではないかの言いようだ。

 

 

 

現代セクシャル・マイノリティに対するマジョリティの差別意識は重要な問題だが(セクシャル・マイノリティに問題があるのではない、是正されるべきはマジョリティの社会である)、『セーラームーン』シリーズが放映されていた90年代の中頃はまして、LGBTQという言葉も浸透していなかっただろう。

そうした時代を考えれば、人前ではるかとみちるが自分たちの関係をあからさまにできなかった可能性は、当然すぎるほどにある。今でも無論、アウティングはきわめて深刻な暴力である。はるかとみちるの対外的な言動を、全部真に受けるわけにはいかない。

 

ただしここで例にあげたうち、最初のS18話は、はるかとみちるが二人きりで話している場面である。

同様に二人きりだったS17話においてもみちるは、我が事であるからとはいえ「その子、女の子のくせにあなたの車で海岸をドライブしてみたいんですって」と笑っていた。

LGBTQの差別が社会に蔓延していて、咎められさえもしなかった時代には、どうしても、当事者にも内面化されてしまった部分があったのかもしれない。

どれだけ心が通い合ったとしても、それを形に変えていくには、大きな勇気が必要だったかもしれない。

 

 

 

しかも、みちるとはるかに課せられた枷は、それだけではなかった。

「あの子たちかわいくていいわね、今のあたしたちには恋する心のゆとりなどないもの」

「危ないな……あの類の純粋な子、ダイモーンに狙われやすいタイプだ」

「そうね、ピュアな心の持ち主……気をつけなければならないわ」

       

(S5話、「純な心を守れ!敵味方三つ巴乱戦」より)

 

日頃の二人の様子を見ていると、みちるの言葉には、本当に?とたずねたくなってしまう。

しかし、そもそも外部太陽系の戦士――冥王星天王星海王星の戦士の使命というのは、太陽系の外側からくる侵入者を迎え撃つことであり、たがいに遠く離れた星で孤独に戦うはずのものだった。

すでに地球にまで侵入され攻撃を受けている状況は、外部太陽系の戦士としてはとてつもなく深刻な状況である。

 

しかもはるかとみちるの戦い方は、大きな負担を伴うものだった。

具体的にいえば、二人は敵に先んじて3人の「ピュアな心の持ち主」を探し出し、その生命とひきかえに「タリスマン」を得て「聖杯」を出現させないと、世界は破滅してしまうと考えていた。

 

たった3人の命と世界を天秤にかけるなら、はるかやみちると同じ道を選ぶ人が多いかもしれない。ふたりを支持する人もいるかもしれない。

だが、そのタリスマンの持ち主は、「ピュアな心の持ち主」、つまり確実に善人なのである。高校1年生、16歳の二人に、その負担はあまりにも重い。その上、戦いの途上で犠牲になるのがその3人だけですむとも限らない。

だからうさぎたち内部太陽系の戦士たちは、別の方法で世界を救うことを目指した。

彼女たちと敵対するような形になってしまったウラヌス・ネプチューンは、ますます孤立を深める。

みればみるほど、戦士と恋人の両立は、簡単ではなさそうだ。そしてそんな状況だからこそ、相手は一層かけがえのない人となっていく。

 

 

 

戦士のふたり

さきほどあげたS5話の会話をみてもそうなのだが、全体的に、はるかは強い使命感と緊張感、強硬な態度を見せる。

それはときに、使命に殉ずるという覚悟のもとに、いささか思考を止めてしまってはいないかという印象も与える。

「いいのね?はるか、あの子、死ぬのよ」

「仕方ないだろ、聖杯を手に入れるためには、世界を沈黙から守るためには、お団子頭に犠牲になってもらわなくてはならないんだ」

       

(S13話「奪われた純な心!うさぎ絶体絶命」より)

 

それに比べれば、みちるの思考や言動のほうがまだしも柔軟であると評価されることが多いだろう。

 

 

だが今一度、二人がセーラー戦士となった過程の違いを思いたい。

みちるは視聴者もあずかりしらぬところで使命を受け入れて、セーラーネプチューンとなり、一人で戦っていた。

はるかがセーラーウラヌスになったそのときにはもう、セーラーネプチューンがそばにいた。はるかを導き、セーラー戦士として育てたのはほかならぬみちるである。

実際作中の描写の中をみても、むしろみちるのほうがはるかの弱音を封じ込んで、思考を単純化するよう誘導している節がある。

 

「みちる、僕たちのやろうとしていることは無駄なことなんだろうか」

「はるかどうしたの?あなたらしくもない」

「何をしてももう手遅れなのだとしたら、何のためにこんなこと……」

「それを承知で始めたことよ。はるか、運命の歯車は回りだしてしまったの」

「新たな覚醒はやがてすぐくる。私達は、3つのタリスマンを揃えるしかないのよ」

「そのためには」

「全てを犠牲にしても……」

       

(S10話「男の優しさ!雄一郎レイに失恋?」より)

はるかに寄り添うみちるの仕草はやわらかい。だがその言葉を見ると、ずいぶん強く、はるかを戦士の鋳型にはめこんでいるのではないか。

 

 

 

基本的にはるかは積極的で、言動も派手だ。どうしたってはるかのほうが目立つ。戦闘においても、ネプチューン がサポートに回る場面は多い。

そうした二人のあり方はキャラクターとしての二人の待遇にも反映されている。たとえばアニメのサブタイトルに何回「はるか」「ウラヌス」が出てきて、何回「みちる」「ネプチューン」が出てくるか、数えてみれば確かめられるだろう。

 

ただそれは、たぶんに作品の外側――経済的な理由であったり、視聴者の声だったりの影響を受けた話だ。

物語の中の世界に集中するならば、セーラー戦士としては明らかにネプチューンが先輩である。はるかがウラヌスとなったきっかけを作り、自分たちの使命を繰り返しはるかに説いているのは、みちるの方なのだ。

この非対称な関係性が、二人に何をもたらすのか。

それは、二人が最終決戦のつもりでいどんだ戦いを描く、S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」において明らかになる。

 

 

 

手と犠牲

その日、はるかとみちるはともに、タリスマンが出現する予兆を察知した。それは、誰かを殺めて自分たちがタリスマンを獲得するか、あるいは敵の手にタリスマンが落ちるということを意味する。

ウラヌスとネプチューンの正体を掴んだ敵が、「タリスマンの持ち主を見つけた」とコンタクトを取ってきたことで、その予感はより確実になった。

罠の可能性も高い。どちらに転んでも苦しい戦いだ。だが行かなくてはならない。

 

(どうせこの手は汚れている……何を犠牲にしても、どんな手段を使っても、必ずタリスマンを手に入れてみせる)

       

(S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」より)

 

心の中ではるかが自分に言い聞かせる言葉は、やはりみちるの言葉をなぞり返している。「手段」はS17話のみちるの「そうよ、私は手段を選ばない!」、「何を犠牲にしても」はS10話の「全てを犠牲にしても……」といった具合に。

はるかとみちるの言葉は、互いを鏡のようになぞりあい、自問自答しあっている。

 

 

 

そんな、自分の手をただ見つめるはるかのそばに、みちるは立つ。手に手を重ねる。

照れたように戸惑うはるかをよそに、たっぷり時間をかけてはるかの手の形をたしかめて、こう言う。

「はるか、大丈夫よ。あたしはあなたの手が好きよ」

       

(S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」より)

はるかとみちるの関係性を考えるとき、必ず引用される名場面である。

 

はるかのセクシュアリティについては不明瞭な部分も多いが、とにかくこの二人は、明らかにシスヘテロ同士のカップルではない。そうした人たちにとって、手というものがコミュニケーションに占める割合は、大変に重いはずだ。

この場面は、この手というものを介して、はるかとみちるのつながりをよく示していた。

 

 

そのつながりは、単に絆の話だけではない。

はるかの「どうせこの手は汚れている」と言う言葉は、心の中で発された言葉である。それを的確に読み取ったみちるは、同じ思いを共有している。

手を汚したのははるか一人ではなく、みちるも一緒なのだ。

それはS20話の次回予告のはるかが「どうせ僕たちの手は汚れている。」と言っていたことからも確かめられる。

 

 

では、「僕たちの手は汚れている」というのは、どういうことを言うのか。

二人がおかれていた状況から考えれば、それは罪なき人を殺めた、ということを指すとしか考えられない。 

実はみちるは中学生の頃、すでにこの不安を吐露していた。

殺していたかもしれない。ううん、次はきっと殺すわ。

平気なわけじゃないの。でも、私は戦士だから。これを選んじゃったから。

        

(S17話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

 

敵は、ごくまれにタリスマンを宿すという「ピュアな心の持ち主」を狙い、あてがはずれた場合にはその「ピュアな心の持ち主」を怪人(ダイモーン)に変えてセーラー戦士の足止めをさせるという、実に悪辣な相手だ(本当はこのダイモーンをめぐっては設定上複雑なところがあるのだが、今はとりあえずこうしておきたい)。

そんな敵と戦っていれば、罪なき被害者を傷つけてしまうことも、きっとある。

 

もちろんセーラームーンと内部太陽系(水星、金星、火星、木星)の戦士たちも、このリスクは負っている。

だが、彼女たちの場合は、セーラームーンの浄化する能力があるのだ。それがある限り、「ピュアな心の持ち主」を救うことができる。

一方ウラヌスとネプチューンは、敵を浄化する術を持たない。それどころか、外敵を排除することを責務とする外部太陽系戦士であるため、内部太陽系戦士たちよりもより強い攻撃力を与えられている。

この違いとみちる、はるかの言葉からは、どうしてもむごい結論が導かれてしまう。

その体験を経てもタリスマンが見つかっていないということは、その犠牲が先につながることはなかったのだろうから、余計にむごい。

 

 

はるかとみちるは中学3年生のうさぎたちのずいぶん年上に見えるけれども、実は高校1年生だ。ともに早生まれ(はるかは1月27日、みちるは3月6日生まれ)だから、じつはうさぎたちと数ヶ月ほどしか離れていない。

うさぎたちがタリスマンを探す道、つまり犠牲を出す道を選ぶことに苦痛を感じるならば、きっとそれは、はるかとみちるも同じなのだ。

 

 

S17話の中学生時代のみちるはすでに、戦闘直後にまず「怪物は?」と尋ねていた。

大切なはるかを守った直後ですら、守る対象(はるか)以上に、守る過程で生じた犠牲(怪物にされた人間)の有無を気にしている。

しくは後述するけれど、その姿勢は守る対象が「世界」となった後でも変わっていない。

 

つまり、みちるの「犠牲」に対する思いは、誰かを死なせてしまってから生まれたというものではない。誰かを死なせてしまうその前からずっと、誰かを死なせてしまうかもしれないという可能性におびえてきた。

そしてその思いを押し殺すように、自分とはるかに言い聞かせるように「何を犠牲にしても」と口にしてきた。

 

世界を救うにも、良心の呵責に耐えるにも、きっとそう言う他に手立てがなかったのだ。

うさぎのように

「タリスマンなんかなくても世界は救える!あたしが、救ってみせるから!」

       

(S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」より)

 

と信じることなど、許されなかったのだろう。

 

 

 

海王みちるという戦士

もう一度、手に視点を置き直すとしよう。

S21話の前半、はるかの手にみちるが手を重ねたとき、手は二人の共有しているものをあらわす重要なモチーフだった。

一方、S21話の後半でもう一度クローズアップされるときには、少し様相が変わってくる。

それは、敵の指定した戦場に踏み込むまさにそのときの場面だ。

 

「いよいよタリスマンの持ち主に会えるな」

「ウラヌス、わかっているわね。何があろうと私たちはタリスマンを手に入れる。ここから先は互いの危険を無視して、一人で先に進むのよ」

「何をいまさら」

「そうだったわね」

       

(S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」より)

 

みちるは、「何をいまさら」と返されたときに、目をとじてわずかにうつむく。はるかはずっと前を見続けている。二人の目線はまじわらない。

みちるの指先はかるくはるかの指先に触れていたが、はるかは握り返そうとはしなかった。

みちるは何かの共有を試みかけて諦めたかのように、手を離す。

 

 

 

この後の展開は、サブタイトルが雄弁に語ってしまっているとおりである。

まず敵の罠にはまりかけたウラヌスのことを、ネプチューンが身を挺してかばう。連れ去られたネプチューンを探すウラヌスは、また別の罠におびきよせられ、集中砲火を受ける。

そしてまたその姿をネプチューンが見て、強引に拘束をほどいて駆け出した。

「はるか、死なせないわ」

「待て、ネプチューン、動くな!」

       

(S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」より)

 彼女はウラヌスの叫びを無視し、我が身を的として敵に残弾をうちつくさせる道を選ぶ。

 

ネプチューンが倒れたのちには、タリスマンが浮かび上がった。

敵いわく、「自分の手を汚すことすら恐れず、この世界を守ろうとした」二人の心に、タリスマンが封印されていたのだった。

 

 

 

この一連をまとめるには、二人は互いを思い合って愚かな行動を重ねてしまった、結局見捨てることができなかった、と言うだけで十分なのかもしれない。

でもやはりここでも、ことはもう少し複雑だろうと思う。一連の描写の中には、はるかとみちるのずれがあちこちに仕込まれている。

 

その代表が、例の手の場面である。もう一度引用したい。

 

「いよいよタリスマンの持ち主に会えるな」

「ウラヌス、わかっているわね。何があろうと私たちはタリスマンを手に入れる。ここから先は互いの危険を無視して、一人で先に進むのよ」

「何をいまさら」

「そうだったわね」

       

(S21話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」より)

 

 

この会話において、ネプチューンはウラヌスに、やはり教え込むように諭している。相手に何があろうと、単独で行動するようにしようと。

「何をいまさら」という返答からは、同じ会話を、みちるとはるかが何度も繰り返し、この方針を共有してきたのだろうことがうかがわれる。

 

だが実際のネプチューンの行動からは、この言葉を守る気がなかったとしか思えない。自分が守る気のないことをなぜ、ウラヌスには要求していたのか。

たぶん、最期の言葉が答えだ。「はるか、死なせないわ」。

 

 

 

これまで見てきたように、彼女はみちる、ネプチューン、どちらの名前においてもはるかのパートナーとなった。

けれども、恋人になることは簡単ではなかった。戦士であることの両立は、まして難しかった。

「あなたにだけは私と同じ道を歩んでほしくないの」(S17話)と思っていたのに、はるかもその手を血で染めることとなった。

そんな状況下、はるかを大切にしながら戦士の宿命を全うするには、どうしたらよいか。

 

 

 

この命題とみちるの言動を照らし合わせてみたとき、彼女が選んだのであろう、一つの道筋が浮かび上がる。

まっすぐで素直なはるかを、使命に忠実な戦士ウラヌスに育て上げる。選ぶべき道を繰り返し説いて、仲間の命よりも使命を取ることのできる、強い戦士に育て上げる。

そして、ネプチューンの方もそうするのだと信じ込ませた上で、いざとなったときには、自分がウラヌスを守る。

そうすればきっと、何があってもはるかの命は守られて、自分がいなくなったのちにも、使命を全うできるはずだ。

 

けれどもみちるは、セーラーネプチューンである以前に、一人の16歳だった。いや、年齢など関係ない。

彼女と同じ状況に置かれたら、誰だって同じことを感じるだろう。最後の戦いの前に、もう一度だけ、傍らにある人の手に触れたいと。

それでも、自分の狙いをはるかに悟られるわけにはいかない。

ウラヌスは今、自分が望んだ通りに、敵の待ち受ける戦場にまっすぐ目を向ける戦士としてそこに立っている。それでいい、ウラヌスをそのままでいさせなくてはならない。

その手に触れて、自分の心を悟られてしまってはいけない。けれども、決戦を前にして心が通わない今が、ひどくさみしい。触れるわけにはいけないし、触れても何が通い合うわけではないのに触れたい。きっとみちるは、中学生の頃の矛盾をさらに深めてしまっていた。

みちるが触れかけた手をおろす場面は「私はあなたの手が好きよ」の場面と鮮やかな対比をなす。そのコントラストは、ばらばらな二人の心そのもののように見えた。

 

 

 

おそらくみちるの計画はうまくいった。ウラヌスはたしかに強い戦士に育った。

 

 うさぎの影響で少しは丸くなったが、とはいえネプチューンのいまわのきわにも「ネプチューン」と呼び続けることのできる、戦士の使命に忠実な戦士に育った。

そんなみちるの目論見に誤算があったとすれば、それは

「私はあなたのことをあなたよりも知ってるの

だってずっと見てたんだもの」

        

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

 

という相手が、自分が思っていたよりもずっと、自分を必要としていたということだろう。はるかが「誰にも甘えない人」(S17話)だったのは、みちるに出会う前のことだった。

後に取り残されたウラヌスは、駆けつけてきたうさぎに「セーラームーン。あとひとつのタリスマンも、きっと見つけてくれよ」と言い残して、自ら命を絶つ。

ネプチューン同様に自分の中にやどる、もう一つのタリスマンを取り出すためだった。

 

 

尋常に考えれば、ここでウラヌスがすべきことは、みちるの残したタリスマンを守りながら残るもう一つを探し、全て揃ったところでセーラームーンに託すことだろう。

もともとセーラームーンは誰かを犠牲にして世界を救うことに反発しており、二人のタリスマン探しをやめさせようとしていた。

彼女に託しても、はるかとみちるのタリスマンが報われるはずがない。

 

しかしはるかには、その判断はできない。そんなまっすぐさを、海王みちるは愛していた。「いつも自分の気持ちに素直な人」(S17話)であるはるかを愛し、戦士として育てた。

それはこの場面においても変わらなくて、はるかは真面目すぎるくらい真面目にウラヌスの使命に従い、素直に敵の言葉を聞いて絶望し、ネプチューンの死をなすすべなく見送った。

はるかは後を追うと決めてようやく、「ネプチューン」ではなく「みちる」の名を呼ぶことができた。

それは、はるかにとっては、あまりにむごい別れではなかったか。

 

 

 

きっと、二人がはじめて会うずっと前から、海王みちるははるかのために一生懸命だった。

 

あなたにだけは私と同じ道を歩んでほしくないの。

ただあなたがその人だとわかったとき、私うれしかったなあ。

       

(S17話、通算106話「運命のきずな!ウラヌスの遠い日」より)

という矛盾の中で、ひどく不器用にはるかを愛してきた。

 

はるかにネプチューンとしての姿を最初に見せたときも、最後に見せたときにも、みちるは自らの身をかえりみる様子を一切見せない。

それを見たはるかがどんなに傷つくかは、考えることができなかったのだろう。

あまりにひとりよがりな『美少女戦士セーラームーンS』の海王みちるは、まだ天王はるかの恋人ではない。

 

 

本当に二人が噛み合うまでには、まだ時間が必要だった。

 

 

はるかとみちる 

みちるとはるかはその後、タリスマンが3つ揃ったことで出現した聖杯の力により蘇生した。

だがそのときもみちるの第一声は「犠牲者を出すことはなかったのね」である(S22話「聖杯の神秘な力!ムーン二段変身」)。

自分よりもはるかよりも、まず犠牲者のことを気にするのは、中学生のときと変わっていない。戦士としてのみちるの日々は、これからもまだまだ続いていく。

 

そんな日々からみちるとはるかが解放されるのは、『美少女戦士セーラームーンS』の最終回を目前にした、第37話「新しき生命!運命の星々別離の時」でのことである。

その後、シリーズはちびうさを主役にすえる『美少女戦士セーラームーンSs』にうつった。

二人の本格的な再登場は、さらにその次の『美少女戦士セーラームーン セーラースターズ』第1話となる。

 

 

その空白のあいだ、二人がどんな日々を送ったのだろうか。視聴者にはことこまかにはわからない。

 

だがはるかとみちるは、『美少女戦士セーラームーンS』第37話の最後に、広い海を渡る橋の上を、今度こそ二人でドライブした。

Ssの劇場版『セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡』では、みちるが「大人になった方が楽しいことがいっぱいあるのに、余計なお世話よね」といい、はるかを赤面させた。

 

そして『セーラースターズ』14話において、みちるははるかのことを紹介しようとしたうさぎの言葉を遮って、こういう。

「失礼ね、はるかさんは……」
「わたしの大切な人よ」

        

(スターズ14話、「呼び合う星の輝き!はるか達参戦!」)

 

これはそのサブタイトルの通り 、二人が本格的に戦いに身を投じるさまが描かれるエピソードである。

そのエピソードにおいて、はるかを「私の大切な人」と言い切ったみちるは、もう戦士であることはるかのパートナーであることとの相克に悩んではいない。きっと二人は視聴者に見えないところで、今度こそお互いに向き合ったのだ。

 

 

 

だからだろう。スターズの最終決戦において、二人は同じ作戦を考えた。

言葉に出して繰り返し言い聞かせたりせずともお互いのことがわかった。しかもその、口には出せない真意を、外部太陽系の仲間のセーラープルート、サターンが、瞬時に理解してくれた。

はるかとみちるは、我が身を犠牲にする道を、今度は二人一緒に選ぶ。

「あなたとなら耐えていける。地獄の炎に焼かれても」

「地獄か……君には似合わないな」

       

(スターズ32話「消えゆく星々!ウラヌス達の最期」)

 

 

その企てが潰えて、死が目前に迫ったときも、二人はネプチューンとウラヌスではなく、はるかとみちるとして会話することができた。

「こわいか……みちる」

「はるか」

「なに」

「はるかに触れたい」

       

(セーラースターズ32話「消えゆく星々!ウラヌス達の最期」)

 

 

そして今度こそ、互いに手をのばしあって、触れ合って、

「光が見える」

「あったかいな……みちる」

       

(セーラースターズ32話「消えゆく星々!ウラヌス達の最期」)

と言い残していくことができたのである。

二人のうかべる穏やかな微笑みは、Sの頃とはまるで違っていた。

 

 

まあ、二人が微笑んでいたとしても、視聴者は号泣である。お子様たちはまして大号泣だ。だから、というわけではないだろうけれど、最終的にセーラームーンが世界を救ったことで、みちるとはるかを含む戦士たちは蘇った。

長く続いた『美少女戦士セーラームーン』のアニメシリーズもようやく最終回を迎える。

思い残すことなどない、というような風情で消滅していったみちるは、物語の幕引きにあたっても、流星を眺めてこう言った。

お願いすることなんかなくってよ。私たち、今が一番幸せだから。

       

(セーラースターズ34話「うさぎの愛!月光銀河を照らす」)

 

 

その後の二人のことは、視聴者にはもうわからない。

それまで経験してきた苦しみがなかったことになるわけではないのだから、毎日すべてが絶好調というわけにもいかなかっただろう。シスヘテロカップルではない二人には、たくさんの理不尽が襲いかかってきただろう。

でも二人はすでに、『美少女戦士セーラームーンS』最終話から『セーラースターズ』に至るまでの空白期間において、Sの頃とは比較にならないほどに、互いの心を通い合わせることができていた。

それならスターズの後の空白期間には、まして期待してもいいだろう。

二人の恋の行く末は、けして視聴者には見ることができないからこそ、無限に広がっている。