されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

サントリー美術館「聖徳太子 日出づる処の天子」展に行った③(3章・4章について)

聖徳太子展は二月に終わったのに、季節はもう夏である。

2022年は旧暦と今の暦の日付がほぼ重なった状態で始まっていて、2月の1日がちょうど旧正月だった。だから、今は旧暦でいうとちょうど四月の前半三分の一がおわったあたり。

一年を四等分して、ちょうど夏の最初の月である。

 

でも諦めずに書く。

 

感想を書くのになぜ時間がかかるのかといえば、何度も行ったせいでメモがたくさんあるからだ。なぜ何度も行ったのかといえば、見ているうちにだんだん視点をもらって、しまうからだ。

「この作品との距離感すごいなあ……前の部屋のはどうだっけ?」「顔立ちこのへんは同じ系統だな。ほかにはどんな系統があった?」といった具合に、見るべきポイントが増えてくる。こういう視点は、どうしたって最初からは得られない。

作品に向き合う体は、周辺のほかの鑑賞者たちの気配を何となく感じ取りながら、個々の作品の前に立ち尽くすうちに、だんだんできあがってくるものだ。

私が聖徳太子展で見ているうちにだんだん意識するようになった要素は、鑑賞者との距離感・瓔珞・天冠・装束の文様・顔の系統などだった。

前半の感想では特に装束の文様を拾っていったが、後半は鑑賞者との距離感を問題にしていくことが多いと思う。

 

第3章 大阪・四天王寺の1400年――太子が建立した大寺のあゆみ

前章までは聖徳太子の物語を見ていた感が強かった。ショートクタイシ・スーパースターが、人々の願いにこたえて、様々な姿で具現化するさまを見ていた。無論そこにあるものは信仰のはずなのだけれども、信仰という言葉からイメージされるような厳粛さよりは、物語に熱狂する人の心のようなもののほうを強く感じた。

 

だが第三章に入ると、信仰というものや祈りの切実さの方が前に出てくる。たぶんだけれど、第二章までとは享受者の層が違うんだと思う。第二章までで中心になっていたのはとてもリアルな太子の像だったり巨大な絵だったり絵伝だったりした。つまりたぶん、あまり仏教の教義に詳しくない人でも感覚的に感じ取りやすかったりするもの、またたくさんの人に一気に説明するときに都合がいいものなんかだった。

第三章は四天王寺関係の文献や仏像である。太子像じゃなくてガチ仏だ。

だからちょっと、私としても、また心に感じるところが違った。

 

 

No.119, 120の別尊雑記は、前者が仁和寺蔵で12世紀、重文。後者が四天王寺蔵の鎌倉時代、元亨元年(1321)の写し。お寺の文献保存能力は本当にすごい。あらためて廃仏毀釈とかいうもののくそ具合を思ってしまう。

あとで出てきたNo.116, 117の四天王立像も、古い部分は平安朝まで遡れる優品である。パーツの細かい立像が四人もいるわけだから多少ばらつきはあるとはいえ、すごい。しかも前者が大阪の大聖勝軍寺、後者が宮城の天王寺にあるという。

地理的に離れたお寺に同じ像や文献があって、それぞれでちゃんと受け継がれて現代に至っているという点には、お寺のネットワーク力のすごさも思い知らされる。いやもうほんと廃仏毀釈とかくそくそくそ……情緒が乱れてしまった。

 

だがそんな心もNo.124あたりの如意輪観音坐像を思い出せばすぐさま澄み渡る。展示環境の影響もあるだろうけれど、No.125の白毫のたまらないうつくしさは忘れがたい。

如意輪観音は、を経由して聖徳太子と重ね合わせられたのだという。第二章でなんどか転法輪文様の太子を見かけたのに納得したが、そうした知識事項に対して働いたものは、好奇心のみではなかった。精緻な彫刻に見入る視線と一緒に、自分の心もこまやかに濾されていくのがわかった。

私は古語の「こまやかなり」という言葉が、漢字をあてるとしたら「細やか/濃やかなり」となるのが好きだ。「こまやかに」という言葉をみて思い出されるのは『源氏物語』や『枕草子』で、まあ平安朝の雰囲気を感じるのだけれども、視覚的なイメージとしては室町以降のお茶のお濃茶、あれがなんとなく思い浮かぶ。練り上げるように立てられた、細やかな粒子のなめらかさ、あんな感覚で、私は如意輪観音と私の関係をあれこれはかっていた。

だから今、いろんなことを忘れてしまったあとでも、すぐにあの静けさと、白毫の丸い光を思い出すことができる。あれは、すごかった。

 

私はそもそもサントリー美術館の、このあたりの展示空間の感覚がとてもすきだ。少し疲れた体をひきずって階段を降りてすこし小さな一画に出る。そこは展示空間の底であるというのに吹き抜けになっている。

視界と心は狭くほの暗い空間の中に沈静しながら、同時に開放されていく。平面的にみれば狭い部屋なのだが、心はそこにとらわれずに、上へ上へと広がる。階段の下には物陰に沈み込むようにコルビュジェ・ペリアン・ジャンヌレのLC2が控えている。私はこのLC2の使い方が大好きだ。

その横の通路を兼ねているあたりが、今回如意輪観音像のいたあたりなのだけれど、その先に進むことを許されているようでもあり、問われているようでもあり、本当によかった。

No.163, 164の双龍連珠円文綾残欠、獅子連珠円文刺繍残欠は本当にちりぢりになってしまってごく一部しか残っていない。昔の絹製品を見るたび紙のメディアとしての保存力に感嘆させられるが、しかしこれは飛鳥から白鳳時代のものとしてはかなり残りがよいように見えた。シルクロードを感じる文様だった。

それから四天王寺関係の史料を二、三みて、展示空間は一気に広がる。四天王寺に集う楽しげな民衆から、往生を夢見てガチで入水してしまうガチ勢、小さな箱の中に宇宙を閉じ込めたような古仏まで、ここまで見てきたあれこれがゆるやかに統合されてあらわれているような感があった。

 

さて、一個一個の作品について簡単に述べていこう。

まずは入ってすぐの柱に掲げられていた四天王寺式伽藍配置の解説パネルがありがたい。それを頭においてNo.142四天王寺図屏風をみると大変よくわかる。

この図を見ていると、四天王寺というところがどんなふうに愛されたかわかる。そしてその中で、池というものが果たした役割の大きさも思う(私は関東の人間なので、鶴岡八幡宮をちょっと思い出した)。これを見ていると、池というものは人間の慰めなのだなというような気がしてきた。現代人にとっては娯楽もやすらぎもたくさんあるから池が娯楽という感じはあまりしないのだけれども、海が遊びにいく場所ではなかった時代の人々にとって、池というのは、地上をはいずる定めから幾分救ってくれるものであったのだろうか、などと想像してしまう。

上階でみた絵伝の中に池が描き込まれていたのの中には、もしかしたら四天王寺の境内の池を念頭に置いていたものもあったのだろうか。

No.143四天王寺住吉大社祭礼図屏風 四天王寺も温雅で大変よかった。このへんの屏風が壁側の大きなケースに陣取っていることで、それに囲まれた展示室も擬似的な四天王寺となる。この空間づくりが大変に良い。美術館の展示なのに、屏風がちゃんと屏風として機能している。

 

その屏風に囲まれたNo.146扇面法華経冊子(巻第一・第七)が、大変によかった。以前にも他で見たことがあるはずなのだけれど、四天王寺の宗教空間を描いた屏風の類に囲まれて見ると、伝わってくるギラギラした輝きが全然違った。これが院政期の法皇女院パワーか!と圧倒される、威圧感さえある華やぎである。心なしか扇面自体が大きく見える。実際でかいのだと思うけれども。

 

それにひきかえ、中世後期から江戸時代の庶民の信仰なんてのはかわいいものだ。No.133聖徳太子絵伝断簡には、西門から目隠しをしたまま歩く「浄土詣り」を行っている男女が描かれている。この遊びのことを上の階ででてきていた慈円も和歌に詠んでいるそうだから、鎌倉時代の初期にはもうあったことになる。すごいものだ。

こういう遊戯的な側面と信仰心がおっとり共存しているのが四天王寺のすごいところだなあと思う。

特に痛切な祈りを見せたのがNo.134西念所持四天王寺西門浄土信仰関係資料であった。その周辺のちいちゃい仏もすごかった。でもこのあたりは一番最初に書いた感想で述べたからこれ以上は言及しない。

 

一方、四天王寺式伽藍配置の柱から逆側に進むと、No.170, 171の馬上太子図がいる。物部合戦時の太子を描いたもので、後者のかれはなんと甲冑を身に着けている。前者は大阪叡福寺、後者も同じく大阪は大聖勝軍寺に伝わったもので、室町時代には武人としての太子のイメージが成立していたのだという。

上の階の絵伝の太子たちは合戦にあっても戦場の百合ですみたいな優しげなたたずまいでいたのだが、私はそこに聖性だとか特別さの表現を見ていた。昔の少年漫画だとかで、すごく強いキャラクターが眉一つ動かさずに、自然体で立ったままで相手を退けてしまうような、そんな感じ、というとだいぶん中二病っぽくなってしまうのだけれども……

でもこちらの太子はもう自ら甲冑を身につけて、武人たちと同じ地平までおりてきている。正確には、かれらの願いがそうさせたのだろう。叡福寺の方は、室町幕府最後の管領となった細川氏綱真筆とされているのだそうだ。つまり思い切り戦乱の世を生きた武人たちの願いを受け止めた結果が、この馬上太子像なのだろう。

 

No.116, 117の四天王立像を見ると、そういう祈りが生まれる余地もあるかもしれないと思う。私は116に「スゴイ」、117に「ヒョエ」というメモを残していた。もう少しまともなメモを!つけてほしかったが、まあ、圧倒されたのはわかる。

頑張って思い出すとすると、直立不動の姿にはかなりの古色を感じた。たんに表面が古びているだとかではなくて、もう物事の認識の仕方が違う。

たとえば平安朝の文章を私が真似して書いてみると、どうしても指示語や接続詞なんかのディスコースマーカーが多くなるし、一文がぶつ切れになる。文章の構造の捉え方が違うのだ。語彙を真似することはできても、あのゆるゆる流れていきながら繋がる論理構造を真似できない。そういう感じで、四天王像は今までみたことがある像とは違っていた。すごかった。

 

この部屋にはいろんな時代の、いろんな位相の人間の信仰が共存していて、どれもこれもすごい。そのいろんな時間と心が同じ四天王寺という場所の中に堆積してずっとある。とんでもないことだった。

 

第4章 近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ――つながる祈り

三章から四章のつなぎにあたる位置には、舞楽の衣装類が展示されていた。だいたいは桃山時代あたりからのもので、さすがに古いものは残らないらしい(まあ十分古いのだけれども)。

芸能はどうしても形には残せないものだし、実際の遺物としては新しいものが中心になる。でもその伝統そのものは太子以来のものと伝わっていて、三章の部屋の壁を取り囲んで空間を作っていた祭礼図屏風なんかにも描かれていた。

その古い時代からの連続性を感じさせつつ、実際には新しいものを出して今にまで続く時間の流れを可視化させるとは……本当に展示構成が上手だ。

 

最終章にあたる四章はその名の通り近代以降の聖徳太子の表象を追っていくのだけれども、近現代の太子像はそれまでと打って変わって大人になる。特にNo.182日本銀行なんかはその傾向が激しい。

ひげをはやした面長の大人顔太子である。イメコン的にはソフエレぽい。四天王寺の華やぎはどこかへ行ってしまったかのようだ。

日本銀行のサイトから引用してきました

https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/valid/past_issue/pbn_10000.htm/

 

一応この絵の由来となった作品「唐本御影」は法隆寺にあったもので、近現代の人のオリジナルの絵ではない。ただこの作品は、どう見ても日本の聖徳太子像の中では異色作である。読売新聞の紹介が面白かったのでのせておく。

www.yomiuri.co.jp

 

私としては、聖徳太子をお札に採用するにあたって、わざわざこの変わり種太子像を選んだところに、ちょっとお札を作る側の発想が見えるような気がしてしまった。

それは、たとえば「大の男」という言葉の中に含まれているような、「立派な人間というのは成人男性でないといけない、その他の若い人間や女性は成人男性よりは地位や能力が低いものである」という価値観だ。その感覚が、お札に描く対象に成人男性としての姿を求めたんじゃないかと思う。前近代に好まれていた童形の2歳や16歳の太子ではだめだったんだろうと思う。

 

「だめ」と言っても、おそらくは、絶対許せない、というほど強いものではない。「みずらじゃちょっとカッコがつかないから」くらいのものかもしれない。でもそういう漠然とした、感覚的に共有されている通念こそが、人から自由を奪っていく。

ルールを変えるのはわりあい簡単だし、ルールの影響力なんてまあたかがしれてるが、みんなが比較的無自覚に持ち、共有しているものを変えていくのは難しいし、影響力も大きい。自覚症状のある病気は病院に行けば治しやすいだろうが、自覚症状のない病気は気づくのも治すのも難しい、というのと近い構造の話だ。

 

私自身もこういう価値観の中で育ってきていて、それを内面化してしまっている面はある。けれどもこういう価値観は、「成人男性」以外の人を抑圧するのはもちろん、「成人男性は立派でなくてはいけない、弱いところを見せるのは許さない」という方向の抑圧も同時に行うものだから、もう万人の敵である。年齢差別と性差別のハイブリッドである(まあもともと、生殖できる年齢は決まっているから、性差別は年齢差別ととても関係が深いのだろうとは思う)。

もう乗り越えていかないといけないだろう。

 

「紙幣は最もエディションの多い版画」というフレーズを聞いたことがあるような気がするのだけど、太子のお札を見ているとまさにそうだなと思う。

私は聖徳太子のお札って明治くらいに使われていたものなんじゃないかと思っていたけれど、みてみたら昭和だった。私が生まれる前のお札ではあるけれど、そういえば見たことがある気がするし、私の中の聖徳太子のイメージも、きっとこのお札のようなものだった気がする。

つまり紙幣は大量のエディションを持つ版画であり、マスメディアである。そこを通じて人々の間に共有されたイメージというものがある。

この太子のお札だけから「成人男性こそが立派な人間である」というような価値観を読み取るのは難しいと思う。けれども「歴史上の偉人ってのはこういう姿をしているものなんだ」というイメージを広める力は、きっとこのお札は持っていただろう。

 

太子のことをこういうお札のイメージから解放してあげたいな、と思う。今はもうそんな時代じゃないのだ。

今はもう、16歳でもやりたいことやできることがあるならバリバリ活躍できるししていただきたい時代だ。性別も無論そう、全然人をひっぱっていけない男性も女性も、どんどんひっぱっていきたい女性も男性も、みんな同じ人間だ。

もう太子にみずらを結わせてやってもいいんじゃないか。無論中世の16歳の太子だって中世の人の都合で作られたイメージではあるのだけれども、ひとまず若い頃から太子が活躍していたことは、歴史的な事実とされているのだから。

 

実際、2021年作の、つまり歴史上最も若い太子像であるNo.185聖徳太子童形半跏像も童形の像だった。日本銀行「お金の話あれこれ」にも、

聖徳太子像は、いずれも発行当時の最高額券に
採用されたことから、「聖徳太子=高額のお札」という
イメージもあるようです。もっとも、聖徳太子像を使
わない日本銀行券が発行されてから長い年月が経過し
ているため、こうしたイメージは徐々に薄れつつある
かもしれません。

とある。

聖徳太子のイメージはまさに今、近代のお札に描かれた太子のイメージを乗り越えつつあるのだろう。

 

そしてそうした流れを見るとき、ヤング太子を中世的に描いたNo.184『日出処の天子はすごく意義深く先駆的な作例だった。今ようやく気がついた。

会場で見ていたときは、正直体力が尽き果ててしまっていて、「へーきれいな絵だな」で終わってしまっていた。

けれど今こうして感想を書いてみると、お札を通じて成人男性としての太子のイメージが広く流布していた中で、若い頃の太子の姿を描いているのはすごいな、と思う。

ましてすごいのは、その太子が中性的で、人間的な悩みを抱えていたところだ。

 

今まで、なんだか妙に中性的な男性が描かれている作品をみると、私はそれが(主に女性から男性への)性的搾取のように感じられてしまう……いやこの言い方はよくない。

搾取というよりは、そこにむき出しの欲望と、私自身を支配する性別二元論の強さを感じて、羞恥心と、あわれみと、息苦しさを感じていた。たぶんこちらのほうが実感に近い。

まあともかく、漫画だとかにでてくる中性的な男性キャラクターだとかには、ときに戸惑うことがあったのだ。

 

でも今感想を書いていて、『日出処の天子』の太子が中性的だったのは、きっと、既存の社会の仕組みだとかイメージだとかを取り払って、きれいな白紙の紙を用意するような効果があったんだろうなと思った。そうしてその白い紙の上に物語を描いていったからこそ、その太子は一人の人間であれたのだろうなと思った。

そのくらいしないと、上古から近代にいたるまで、太子に託されてきた物語の重たさに勝てない。キメラかよとつっこみたくなるくらいに人間離れした、時代ごとの理想像を託されてきた太子のイメージに勝てない。

既存の太子のイメージにひきずられることなく、この作品の中での太子の姿を描くには、一度まっしろな土台が必要になるのだ。仮に作者がひきずられていなくても、読者の受け止め方はひっぱられてしまう可能性が十分にあるのだから。

中性的であることは、そういうまっしろな土台だったのだろう(そう思いながら、『宝石の国』のことも思い出した)。

 

あともう一言だけメモ。No.185聖徳太子童形半跏像はさきほど述べたとおり最新の太子像で、四天王寺に奉納されたそうだ。衣の文様は向かい合っている鳥の文様だった。

まあ、こういう装束の文様というのは織出したものとイメージするのが普通だろう。平安朝以降の装束スタンダードがそうだからだ(現代きものでは着物が染め、帯が織りというのがスタンダードになるのだけど)。

ただ、真ん中の軸をさかいに左右対称になっているような文様を見ると、私は板締め・夾纈(きょうけち)を思い出す。

紹介しているサイトがあったのでまた引用しておく。

www.fashion-kyoto.or.jp

 

この説明にある通り、板締めというのは飛鳥、奈良あたりの古い時代に使われていた染色の技法だ。二枚の板を挟むので、左右対称な文様になるのが特徴的である。

個人的には板締めには、シルクロードっぽさを感じることもある。

だから何となく、このNo.185の左右対称な鳥をみたときも、古さを感じた。こういう文様が古くからあるものであることをふまえて作ったんだろうかと、若干思った。

第1章、第2章でみた太子像たちはいろんな文様の袍を身に着けていたけれど、転法輪印のものなんかはやっぱり太子からみて後代の仏教の色を感じたし、もしかしたら宗派や時代による違いなんかも文様から見えたりするかなあと思った。

 

このNo.185には古さを感じたけれど、実際にはこの作品は2021年のものなわけである。もしも私が鳥の文様に感じた古さが意図的に出されたものだったなら、それはそれで、時代考証を重んじる現代の特色が反映されているのだろう。

聖徳太子を見つめる人の時代と生活と祈りにこたえて、かれはときには童子となり、ときには若武者となった。太子信仰はいろいろな危うさを抱え続けながら、今も生きている。

今回の企画展は、太子のすがたを通じて、日本の社会と人々のうつろいを見る展示でもあったように思う。

本当に行けてよかった。という感想を書いているのは、行ってから三ヶ月ほど後なのだけれども、まあここまで頑張ったからには、次回絵伝のこともちゃんとまとめて〆たいと思う。