されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

『アンの世界地図』全話再読(7)

※『アンの世界地図』一巻第七話のネタバレを含みます。

 

アンの世界地図を全話読み返すシリーズ、ついに一巻の最後まできました。

今回は第七話、前回の第六話の翌日のエピソードです。

第一話を一日目とすると、

 

第一話 一日目

第二話 二日目

第三話 四or五日目

第四話 五or六日目

第五話 五or六日目

第六話 五or六日目

第七話 六or七日目

 

という流れです。いい具合に時間の流れがゆるやかになってきました。

扉絵

 

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第七話扉絵

アンは第三話で着ていた金魚の浴衣に伊達締め、アキは第一話できていた織りの着物をたすき掛けにして、エプロンをつけています。

今回も前話同様、扉絵から語りが始まっています。

あまりのアンの雰囲気に、うだつの家も三点リーダを4つもつけています。

 

第七話の流れ

アキいわく「今朝はぼくふんぱつして」瀬戸内のイシモチの塩焼きにしたのだそうです。「ぼくふんぱつして」ってかわいいです。朝四時にマサ兄が迎えにくるということですから、アキは何時から起き出して料理したのでしょうか。

朝四時から働くというのも、朝からお魚を食べるというのも、にわかには信じられません……憧れます。

 

しかしその甲斐なく、アンはこの表情。「もうすこしおいしそうに食べられないかな?」というアキに、アンは泣いて謝ります。おなかがいたくて食べられないのだそうです。よくお腹が痛くて食べられなくなる自分としては、アンの泣きたいくらい申し訳ない気持ち、よくわかります……。

 

一方アキはこころの中で「……登校拒否児童……?」と思っています。

前回、前々回とアキが家庭環境等に恵まれなかった子であり、色々あったらしいことが示唆されてきたので、アキがこういう余裕のある思考回路を見せると少し安心します。「自分も子供のころこんなふうに学校に行くのがつらかった」というような共感ではなくて、少し引いた目線での感想を抱いているあたり、少なくともアキは登校拒否に追い込まれてしまうことはなかったのだ、とわかるからです(もちろん学校に行けているから大丈夫、というわけではないのですが)。

 

 

さて、前回でアンはマサキと仲良くなれたのに、なぜおなかがいたいのか。

それは、作業着がもんぺだからなのだそうです。「も……もんぺが悪いという話ではありません でも でもでも もんぺでは私は強くなれないんです」というアンに、アキの眼差しが変わりました。

バイトに行きたくない、もんぺが嫌だというのは、ただのわがままと一蹴されてもおかしくないことです。しかしアキはそうはしません。アンが大切なことを言い始めたとすぐに見て取って、静かに傾聴します。アキの人への接し方は本当にすばらしいものだなと思います。

そしてここからアンが語る「戦闘服」理論は、私にもよくわかります。たしかにそんなふうにして服を着ていた時期がありました。それをやめて、私はたしかに弱くなったと思います。

 

とはいえ、強くなれないモンペでも、アンはバイトを放り出したりはしません。アキに正露丸があったらくれないかと頼みます。

その健気な態度があったからこそでしょうか、アキはためいきをついて席を立ち、ゴソゴソと取り出しました。出てきたのはなんと「きみの日よけ兼戦闘用(ウォー)ボンネット」と農村風ドレス、エプロンのセット。昨日アンがカモられている間に作っていたのはこれだったわけです。

 

「きみの好きなマリー・アントワネットの時代の服飾資料を読んでいたらこういう実用的なドレスもあったからきみの仕事着にと思って作ってみた」というアキ。天使です。天使ですが、アキが「服飾資料」を家に置いていて、自ら進んで読んでいることがわかるセリフでもあります。

それは仕事柄当たり前といえば当たり前なのかもしれないですが、ここまでアキはあまり趣味や嗜好のようなものをあまり見せませんでしたから、少し注目されました。

 

アンは好き嫌いが明確ですが、アキはどうも「やらなくてはならないこと」、たとえば食事や料理のようなものを楽しむことに長けているように思います。

それが素晴らしいことなのはもちろんだとしても、たとえばアキ自身が美しいと思うから、面白いと思うからやってみたくてやるようなことはないのだろうかと少し気にかかってもいました。

もちろんこれもアンのために作ってあげたものではあるのですが……それでもここで、アキ自身の好奇心や意欲が動いたところがあったのならば、嬉しいなと思ってしまいます。

 

 

それはともかく、この朝の食卓のアキはとにかくおかあさんです。おかあさんレベル100です。どうしてこんなに上手にお母さんができてしまうのでしょうか?どんな経験をしてきたのでしょうか……。

一方のアンは、少し前ならばアキに飛びついて喜びそうな気がしたのですが、アンはきれいに正座して、ただ感にたえないという表情をしています。

自分の気持ちを自分の中にぎゅっと押し止めて大切に抱えているような雰囲気です。アンも確実に変わりつつあって、今大切なものを一つ一つ捕まえていっているのだろうなと感じられます。

 

かくして、「ロリータ・ファッションはよく分からないけれど」「きみの言っていることは何となく分かるよ」「分かるよ」というアキに、アンは送り出してもらいました。

うだつの家も「よかったよかった」と嬉しそうです。この作品を読んでいくと、最後には家の表情が読めるようになってきそうです。

 

 

場面はうだつの家の視界を離れ、マサ兄と美代ばあのもとにたどりつきました。

アンを後ろに乗せて自転車で走ってきたアキ。さすがに息が上がっていますが、語尾に「ー!」や小さな「っ」をつけながら元気よく挨拶しています。見習いたいです。

アンも優雅に裾をつまみ挨拶をしました。マサじいに挨拶するときと構造やファッションが似ていますが、今度のアンは心からの笑顔です。

 

呆れ返るマサ兄を尻目に虫除けスプレーをかけてあげるアキと、「ありゃあああああ」「おんなじ!おんなじやねえ?」とボンネットおそろいを喜ぶ美代ばあ。

マサ兄は着替えさせろといいますが、美代ばあは「アキちゃんが作ったん?モスリン生地やねぇなつかしいなあ」と嬉しそうです。アン、よかったですね!

 

そこに今度はキヨ兄が現れます。

アキは狼狽を隠せませんが、アンはキヨ兄が神主と聞いて大喜び。「本日はこの仔羊をよろしくお導きください!」と、やはり序盤同様キリスト教に相当よった理解を示しました。 

そのかたわらでアキは「アンなんてキヨ兄にコロッとだまされちゃうよ気をつけてよ?」とマサ兄に釘をさしています。「お前キヨヒコには世話なっとんのに言うなあ……」と返すマサ兄。こうやって少しアキが周りに甘えている様子が見えるとうれしいです。

 

 

さて、マサ兄、美代ばあ、キヨ兄、アンの農作業隊は軽トラで畑に出発しました。家から畑まで、軽トラでいくような距離なのですね……!

見送ったアキは自転車をこいで帰り、床の間の前にお座布団をひいてそのままおやすみです。「てつや」でドレスを縫って「もう」「そろそろ」「ぼくも限界」というアキに、うだつの家は「お疲れさまでした」と声をかけました。

 

一方梨畑をみて、きれいだと大喜びのアン。「この秘密の花園への入り口♡みたいな木戸から入るんですか?」「ふふふほぅなんですよ♡」というやり取り、美代ばあもうれしそうでかわいくて、私もうれしいです。シスターフッドを感じてしまいます。

 

たわわに実る梨をみて「あっ……わあ……」「梨……です…………」というアンも、私は気持ちがわかるような気がします。アンはきっと、梨なんてカットしたものか、スーパーで売っているものしか見たことがなかったのではないでしょうか。きっとびっくりしたでしょう。

都市部の貧しい者にとってフルーツは高級品ですし、皮をむいたり、種をよけたり手間がかかります。むいた皮や種は生ゴミになりますから、処理も大変です。そんなもの何も大変でないはずなのですが、少なくとも私には大変です。色々な面で余力がある人にしか食べられない食べ物です。

何より私は、フルーツのおとなしい味をおいしいと思えること自体、安いお菓子のいたずらに刺激的な味に毒されていない証拠であり、それなりの食文化の中で育ったことの証だと思います。アンもこれからたくさんフルーツを食べられたらよいですね。

 

その梨畑は美代ばあの身長に合わせてあるのだそうで、ともに180cmごえのマサ兄やキヨ兄は木の下に入れません。身長154cmのアンが大事な戦力です。 

私は、この畑が人間の背丈に合わせてあるということにとても驚きました。

私が今までしてきた仕事では、仕事場の環境や条件に人間である自分が合わせてきました。私の周辺の人々も、きっとそれが当たり前だったと思います。たった一人の人の身体に合わせて仕事場がデザインされている……農家の暮らしはきっととても大変でしょうし、多分私は田舎では暮らせないと思うのですけれども、なんて素晴らしいことでしょうか。本当に驚き、示唆を受けました。

きっとアンも同じだったのではないかと思います。

 

アンはマリー・アントワネットが豪奢なベルサイユ宮殿を嫌い、プチ・トリアノンを愛したことを思い出しています。「確かにこれは……なんだか……なんだか!」うまく言語化できていない様子ですが、朝のウォー・ドレスのときと同じく、やはりその感動をぎゅっと大切に抱きしめているかのようです。

 

もしかしてアンにとって、これは生まれて初めて仕事を楽しめた経験なのでしょうか。 

あっという間にお昼の時間になったことに、アンはボーゼンと驚いています。顔をつたう汗にもかまっていません。

 

お昼ごはんはおにぎりと鶏の唐揚げ。しかしおにぎりも、徳島名産の青とうがらし味噌というものをぬって、青じそをまくと美味しいのだそうです。

アンはマサ兄に頼まれて、庭で紫蘇の葉をちぎってきました。生き生きと走っていくアン。美代ばあが「……ほんまによう働く女の子やねえ……」とハートマークをうかべるので、マサ兄は怪訝そうにしています。

アンはきっと今、自分でも知らなかった自分を掴んでいっているのでしょう。「バイト先のいやな先輩とか誰かの悪口とか親のこととか」、そういったもののせいで苦しいものと紐付いてしまっていた労働を自分のものとして取り戻しているのでしょう。

アンはここできっとはじめて「ドレイみたいに働く」以外の働き方があることを知れたのだろうと思います。今なら、アキが夜なべして靴下をつくろってくれた気持ちもわかるでしょうか。

 

働く喜びを知り始めたアンは、しその葉収穫にエプロンドレスが活躍するのにつけてもひとり感動しています。世界が全然違う色に見え始めているような感じなのでしょうか。

しかしそのアンの耳に、笑い声が届きます。シソの上で平然とたばこを吸うキヨ兄でした。タバコの害をおそれてきゃーきゃー言うアンに、「そんなこまかいこと心配して怖がる子がなんでアキなんかと一緒に暮らしていられるん?」と言い出します。

 

かくしてアンの周りに暗雲が立ち込めたころ、うだつの家ではお昼寝中のアキが目を覚ましていました。井戸の「ピチョーン ピチョーン」という音を聞くアキの目は冷ややかです。

一体アキの何が「怖い」というのでしょうか……と気になるところで第七話が終わってしまいました。お見事です。これは二巻を買わないわけにはまいりません(もう買っています)(もう何度も読んでいます)。

 

このあとはあとがきと、ピンズ麻雀の詳しいルール説明つきのおまけマンガ。コレ以外のおまけページでも、アン、アキ、キヨ兄、マサ兄がみんなアリス世界の住民になっていてかわいいです。それからあとがきがとても印象深くて……徳島には少し縁があるので、モデルのおうちもいつか行ってみたいと思いました。

 

まとめ

今回から、ついにアンのお仕事開始です。語り手であるうだつの家が、そのまま舞台でもあった状態から離れ始めましたが、今後、語り手はどうなっていくのでしょうか。

 

アンについては、何もない状態から始まって、マサじい・マサ兄と仲良くなり、お仕事にでるところまでこれました。

長足の進歩ですが、まずうだつの家に落ち着き、うだつの家でお客さんを迎え、今度はそちらのお家に自分が出向くという流れが自然なので、すんなり受け入れられました。

 

特に仕事については、私自身が大変示唆をうけることの多い回でした。そのことはもうフライングしてずいぶん書いてしまったので繰り返しませんが、在宅勤務の今、私もなにか仕事服を持つようにしようか……と思い始めました。

私はあまり功利的な観点で、自分の生活にいかすためにものを読むということを好みません。しかし、それはそれとして、『アンの世界地図』についてはアンやアキに学びたいと思うのです。

なぜ自分がそう思うのか、まだ漠然としかつかめていないのですが、先を読みながら考えていければと思います。

 

 

 

さて、一巻も最後になりましたので、ここまでで提示された謎や観点、キーワードについておさらいしたいと思います。

  • 名前
  • おかあさん
  • 衣食住
  • 「ドレイみたいに」働く
  • 家族
  • ゲーム
  • 幻想
  • アキのセクシュアリティ
  • アキの秘密

 

ずいぶん盛り沢山でした。

またここまでで登場した人物は

  • アン
  • アキ
  • うだつの家
  • たま
  • 宮司さん
  • マサじい
  • 美代ばあ
  • マサ兄
  • キヨ兄

でした。作中経過した時間は一週間前後。

アンとアキの暮らしもそろそろ助走が終わったという頃合いでしょうか。今回キヨ兄の登場によって、一波乱ありそうな気配が漂ってきました。

 

今回のキヨ兄については、アンと同じく「ロリイタ」と言っていることに注目しておきたいと思います。アンのファッションのことを、アキは「ロリータ」と言っているのです。小さな差ですが、キヨ兄は「わかっている」人感を出してきました。

しかし、その「わかっている」キヨ兄は、アンを傷つける言葉を平然と浴びせます。一方アキは、 「ロリータ・ファッションはよく分からないけれど」「きみの言っていることは何となく分かるよ」「分かるよ」と言うのです。

 

このキヨ兄とアキの違いを考えると、理解することと尊重することが全く別々のことなのだと改めて気が付きます。よく「相互理解」なんてことが言われますが、実際のところ、尊重するためには完璧な理解なんて必要ないのです。

むしろ昨今は、「理解」を求める声が往々にして弱者に対する暴力となりうることが、顕在化しつつあるような気がします。

 

たとえば差別について「声をあげた人に対して「納得のできる説明」や「周囲の理解を得られるような態度」を要求することの暴力性のことです。それは「あなたが私を踏んでいるので痛いです、やめて下さい」と言う人に、「私が踏んでいるという証拠を見せて下さい」「どの程度痛いのか説明して下さい」と言っているようなものではないでしょうか。

そういうことを言う人は、本人は理性的に振る舞っているかもしれませんが、客観的にみると愚者そのものです。投げられたボールの勘所を捉えそこなっている上に、自分と相手のおかれた立場を俯瞰で見れていないせいで、会話をまず成立させられていないからです。めちゃくちゃなところにボールを投げています。

最低限まず足をどけてはじめて、互いに理解しあうための対話が始められるというものでしょう。

 

少し脱線してしまいました。キヨ兄が持っているものはそういう理解を求める暴力性ではなくて、よく理解しているがゆえに的確に人をえぐってしまうのであり、またそれが当たり前の文化の中で育ってきてしまったがゆえのものでした。

私には、ちょっと理解しがたいものです。けして真似できそうにありません。しかし私はアキにならって、理解できないけれどもキヨ兄のことを尊重したいと思います。

キヨ兄のアンに対する振る舞いには全力で怒った上で、それでもキヨ兄のことを大切にできたらと思います。

 

そう決意表明した上で言いますが、最後のキヨ兄がアンをいじめる場面は、やはり読んでいて少しつらい気持ちになるものでした。

『アンの世界地図』という作品の世界は、けして優しくはありません。むしろ、本当は見ないでおきたい人の弱いところ、恥ずかしいところに正面から向き合っている作品でだと思います。ただ、その弱いところ、恥ずかしいところに触れる手付きがすばらしいのです。

私は人が大量死するような作品も大好きなので(『チキタ☆GUGU』のことです!)、結局の所はどう描くかなのでしょう。

 

 

続きがどう展開していくのか全く予想がつかないので、次巻が楽しみです……既読者のくせになにを言っているのかと思いますが、知っているのに、1話1話に並走している今は予想がつかないのです。

私が大好きな作品はどれも、何度も何度も読んでいて、すっかり頭に入っているのにもかかわらず、毎回新鮮な読書体験をもたらしてくれます。漫画でも小説でも、全部そうです。

それはつまり、私は物語の筋や言葉やギミックを読んでいるのではなくて、物語や詩を読む体験そのものや、時間そのものを楽しんでいるのだろうと思います。もしかしたら夢を食べるバクも、こんな気持なのかもしれません。

 

 

【追記】せっかく感想を書いているのだから、もうごりごり宣伝しようと思ってリンクを貼ることにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。よろしければぜひ。