されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

『アンの世界地図』全話再読(10)

※『アンの世界地図』2巻10話のネタバレを含みます。

 

『アンの世界地図』全話を再読し感想を述べていくシリーズ、二巻第十話まできました。

 

扉絵

扉絵は先史時代と思われる装いのアンとアキ。一気に斬新です。

夕焼けどきなのでしょうか、こちらに背を向けて堂々と立つアキは、右手に槍を持ち、毛を内側にして動物の皮を羽織っています。アキの体を八割方覆っていて、しかも長い毛のついた皮となると、獲物は相当の大きさの動物と見えます。まさか熊でしょうか。手もとには勾玉、足首には鈴のような形のアクセサリーをつけています。耳元にも勾玉のようなピアス。痛そうです……。

アンは右手に矢、左手に小弓を持ってこちらに向かって座り、笑顔を見せています。首元に勾玉を幾連もつけて、耳元には貝かなにかを飾っています。足首と手首はアキとおそろいのようです。

着衣は上半身にノースリーブのやはり皮らしき衣、下半身は毛のついた皮を膝丈のスカートのような塩梅でまとっています。肩からは豹のような柄の生き物の毛皮を、毛を外側として羽織っています。

いずれの毛皮も切れ端の処理が何もされていないところにリアリティを感じました。

空にはプテラノドンのような生き物が空を飛んでいます。恐竜がいるのでしょうか。

 

10話の流れ

そんな、いったい何事……というような扉絵をめくると、「皆さん……突然ですが生きている喜びって感じていますか」とうだつの家が語りかけてきました。

マサ兄宅が舞台の話の後に台風がきていましたから、うだつの家の語りを聞くのはずいぶん久しぶりです。

台風一過で嬉しそうなうだつの家とアンと庭の小鳥たち。アキは雨戸を忙しそうに開けています。

実はわたしは雨戸というものがある家に暮らしたことがなく、祖父母の家にはあったでしょうがあまり意識したことがなかったので、今雨戸というものについて調べました。

これはよいものですね。

 

 

雨戸をあけたあとは「今朝のびんぼうめし」。相変わらず私の目にはごちそうです。人参と玉葱でお味噌汁ができるんですね、私はスープはよく作るのですが、あまりお味噌汁はつくらないので勉強になります。

ちゃぶだいに食事を並べて、おざぶとんをしいて二人は仲良く座っています。

二人の装いをみてみますと、アキは立涌文様のシンプルな着物を襦袢を略して着た上に、割烹着を重ねています。帯はおそらく半幅なのでカルタ結びのようです。昨日の今日でアキも少しお疲れなのでしょうか、リラックスモードです。

一方アンは前回にひきつづき梅のような文様化された花柄の浴衣をまとってご機嫌、バイト代でお買い物に行かないかとアキを誘います。

 

アキは一転仄暗い笑顔を浮かべて、一週間分の宿泊費を要求しました。

読者の目にはずいぶん長いことアンがただめしを食らっていたように見えてしまいますが、そういえば一巻の最後の7話がちょうどアンの徳島滞在6~7日目あたりでした。アンがマサキ宅のバイトに行った日です。

その後の2巻8話がバイトの話の続きで、9話がバイトから帰ってきて眠るまで。

今回の10話がその翌朝なのですから、アンの「うだつの家」滞在は7~8日目となります。一週間分の宿泊費でちょうどよいころなわけですね。

 

要求された宿泊費が想定よりもはるかに安かったことに、アンは衝撃を受けます。私もこの数字には思うところがたくさんあったので、あえてここでは具体的に出しません。未読の方はぜひどのくらいなのか想像してみていただきたいです。

アンは生きるのにどれだけお金が必要か力説しますが、アキがいうには、野菜や魚はいただきものでわりあいまかなえるのだそう。

そういえば今までアキが作った食事は、野菜中心で、ほとんどお肉が出てこなかった気がします。タンパク質はほぼお魚でした。

読み返してみると、第二話の「さりげなく気合の入った朝ごはん」にもお肉は登場しません。

 

 

アンはあっけにとられたあと、「……わたしコンビニのお弁当とスーパーの値引きのお惣菜以外で……食べ物をやすく買う方法なんて知らなかったですもの……」とつっかえつっかえ言いました。

その、知らないということそのものが貧困なのですよね。よく言われるように、食べ物を買うお金がないことではなく、限られたお金で食べ物を買うための知恵を身につけていない、節約をする術を学べていないというところが一番な問題なわけです。

それは、貧しさから脱却する術を持たないということであり、また生きる知恵を持つものに、その知恵を分け与えてもらうことができなかったということを意味します。

その理由にも色々あるでしょうが、アンのようなネグレクト家庭に育った子供の場合は、きわめて残酷な理由にいきついてしまいます――親は、この子供に生きる力を身に着けてほしい、生きてほしいなど思っていなかったのだと。

 

 

私はいちおうこのくらいのことは知っていますが、精米ってどうやるのでしょう……わかりません。また東京都内の下町に住んでいる身には、野菜よりもお肉のほうが圧倒的に安いのです。魚はさらに高級で、手が出ません。

ベジタリアンヴィーガンの主張に私は好感を持たないわけではないのですが、現実的に、私の収入ではお肉なしには生活が成り立ちません。あれこれと考えてしまいました。

(なお、菜食主義に共感するのは生き物がかわいそうだからではなく、畜産が資源の無駄遣いであり、あらゆる生命の生きる可能性を下げるものだからです。

残酷な肥育方法はもちろん正視にたえませんが、植物好きの私にとっては野菜も同じくらいかわいそうなので、それを理由にしてしまったらもう何も食べることができません。)

 

 

さて、作品の方に戻ってまいりますと、アンとアキの見解は「コンビニは貴族の食べ物」というところで一致しました。アンがコンビニのお弁当でお姫さまの気持ちになっていたというとアキは困惑していますが……これは1話でも描かれたことでした。

アンはたった一週間で、全然違う世界にやってきたのですね。

 

あれこれ言いつつもアンに褒められて嬉しかった様子のアキは、照れながら買い物に行こうといいます。こうしてみると、アキはなかなか照れ屋さんのようです。褒められ慣れていないのでしょうか。

ただ、今回は今までとは少し違う表情で、ちょっとしかめっ面で照れています。

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5話の照れるアキ。かわいらしい。

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10話のてれるアキ。

アキはこのあと、「ただのびんぼうめしなのに」と続けています。

このしかめっ面の照れ方、最初は「アキもだいぶんアンのことを意識しているな」と思っていました。しなしよく考えてみたら、もう少し複雑なのかもしれません。わたしが今アンのことを色々考えたように、アキも色々と考えたのでないでしょうか、だからこそ「ただのびんぼうめしなのに」と続けたのではないでしょうか、 アキはこれまでアンが置かれてきた境遇、そもそも生きる知恵そのものを与えられてこなかった境遇のことまで、思いを馳せているのかもしれません。

もしそうならばなおさら、お買い物に行こうというアキは優しいです。

ここでアキは着物と帯はそのままですがちゃんと襦袢を着直して(えらい!)、アンは1話から着ているドレスにお召し替え。

 

 

そうして二人がやってきたのは、食器をおいているお店です。食器をひとりひとり個別に持つ日本の習慣は、世界的にも珍しい文化なのだそうです。

アンの滞在が長くなりそうなのでアンにも専用のお箸を、とアキは考えたのでした。そこでアキが使った「家族」という言葉に、今度はアンが照れています。

最初は予算オーバーのものを選んでしまったアンですが、アキは「美しいものを理解する目があるってことだよアンは」とフォローを入れました。

この美しいものを理解する目というのは、なかなか重要なところかもしれません。仕立てやつくろいものを生業とする(アキはなんとかけはぎが得意です!)アキと、ロリイタのアンがすぐに仲良くなれたのも、きっとそこに接点があったのでしょうから。

 

 

さてお買い物を終えて帰ってきた二人、お昼ごはんにやきそばを食べていますが、悲しいことに新しいお箸を使いこなせない様子。

実はアン、今までお箸を正しく持てていなかったのです。やはりそれも貧しさ、文化資本に恵まれなかった人の貧しさですね。

しかしアンは特訓します。おやつを食べる時も晩ごはんのときも一生懸命、夜になってもお豆で練習です。アキは「何もさ無理しなくてもいいと思うんだ」と言いつつ、頑張る後ろ姿をみて心の中で「…………努力家だなあ……」と思っていました。アキの心内描写は大変珍しいものです。

無理をしなくてもいいというアキと一生懸命頑張るアン、二人の違いがとてもわかりやすいシーンです。

また実はさりげなく、アンの居室がはっきり映った最初の場面でもあります。

 

そこからの展開はなかなか異色です。ネタバレしてしまうのが勿体ないので、ここで扉絵の内容が回収されます、とだけ言っておきましょう。

いえ、正直なところ、それは私のごまかしでもあります。この斬新な展開について、まだまだ考えられるところがありそうなのですが、まだ言語化できていないのです。

ただそれを経て最後に得たアンの結論には深々と納得しています。

 

 

まとめ

今回の舞台は、一巻最終部から二巻序盤にかけてのマサキ宅でのバイトを経て、ひさびさにうだつの家に戻ってきました。最初はうだつの家の語りから始まります。

しかしすぐに描写は全知の視点にうつり、そのまま最終ページに至りました。アンのモノローグはありません。

 

アンのモノローグがないということは、アンの目線からこの世界が物語られないということです。さらにいえば、それはアンがこの世界、つまりうだつの家での暮らしにずいぶんなじんだことの現れではないかと思います。

なじみきったものであれば、今更もう言葉にする必要もありませんし、特に感想を抱くこともありません。わざわざなにかの様子を描写したり、言葉にしたりなどするのは、自分になじみのないもの、新しいものを見たときです。

 

 

しかし、今回のアンに新しいものがなかったかというと、とんでもありません。アンは自分の力で重要な発見をしています。

お箸の持ち方というものです。アンは特訓の末に、どうしてお箸でなくてはならないのか、どうしてこの持ち方ではならなくてはならないかという根本的な理由を自分自身で掴みました。それは、私はクリエイティビティと呼んでしかるべきものだと思います。

「これが正しい持ち方とされているから」という、制度化された理由ではなく、ものを掴むという目的がおのずからに要求するものが何なのかを掴み取ったのです。

アンはもともと、与えられた境遇――日本の、東京のネグレクト家庭という生まれを捨てて、飛び出してきました。他者から与えられる自分自身の像を拒否し、ロココへの憧れをまとうことで自ら世界を捉え直してきました。

今回触れられた、コンビニのご飯でお姫さまの気分になっていたというのもそうです。

 

対照的にアキは、環境に順応することに長けています。毎回披露してくれる「びんぼうめし」が、その端的な実例でしょう。

家にあった古着をまとい、(実はこのさきに登場することなのですが)お皿を活用し、徳島という地の利を最大限に活かしています。

貧しい暮らしの中でも、その環境の中でうまく生活する術を心得ているアキ。アキの生い立ちについてはまだ詳細が明かされていませんが、その美しい挙措から、厳しい躾けのもと育てられたことは想像にかたくありません。

 

無理にお箸の持ち方を直さなくてもいいと言ったアキと、自分の力で変わろうと努力し、考え続けたアン。貧乏暮らしを、ロココの幻想によってどうにか耐えてきたアンと、生活の知恵でもって豊かなものにしているアキ。

今回は与えられたものをそのまま受け入れて順応するアキと、あらがい自分のちからで切り開いていこうとするアンの、違いとそれぞれの美点がよくあらわれていました。

 

 

1話からの流れを念頭にみてみますと、前回は台風という天災を前にして「住」にスポットがあたっていましたが、今回は「食」の回でした。

これは一巻1話から数話のあいだ、アンの衣食住の基本が整えられたことの焼き直しのように見えるかも知れません。しかし、螺旋階段が同じところをまわりながら登っていくように、アンの衣食住はよりブラッシュアップされており、思考もその本質に迫っています。

また一巻ではアキに助けてもらってどうにか衣食住を手に入れたアンが、前回と今回は、自分自身のちからで「住」のありがたさ、「食」の作法の根源的な理由のことを考えています。さらに今回は、貧しさというもののことも考えています。主体性が芽生えてきているわけです。

やはりアンは「ものごとをよく考える」子(一巻六話)だったのだと再確認した回でもありました。

 

 

さらに今回は、アキの発したなにげない「家族」という言葉に、アンが照れる様子も見られます。

「家族」というキーワードは、マサじいが登場した第五話でまず大切に扱われました。

その後実例として、マサじいたち一家の暮らしと、また母親の言葉を受け継いでしまったキヨ兄の例が出てきました。

アキとアンの「家族」について物語が本格的に進むのはまだまだ先のことですが、注視していきたいと思います。

 

それから最後に瑣細なところ。アンがお箸を使いこなせたとき、アキは「おおっすごい!みごとにそのお箸を使いこなしているじゃないか!」と声をかけました。いわゆる女言葉とは明らかに異なる言葉遣い、ちょっと気になるところです。しかしこの問題もまだまだ先、の話です。

 

【追記】せっかく感想を書いているのだから、もうごりごり宣伝しようと思ってリンクを貼ることにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。よろしければぜひ。