されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

これは当たらない予言(ザガノス将軍とルイ大臣のこと)

まだ謎の多いザガノス将軍ですが、24巻を読んで少し想像してしまったことがありました。絶対に当たらないと思うので、このまま妄想として成仏してもらうべく文字にします。

当然ネタバレだらけです。

 

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明るい曇り空の不穏な海

あきやあさみさんの自問自答ファッション通信https://www.jimon-jitou.com/)を読んでいて受け取ったことのメモというか、日記のような、雑感のようなものを書きました。そんなものなのに1万字超え……

たぶんですが、私はどうもこれくらいの長さにならないと思考にまとまりをつけられないようです。簡潔な人間になりたいです。

  • 今まで考えてこなかったこと
  • 具体的な目標:くつとかばん
  • 足りなかった学び
  • かばんと靴と学びの前のスモールステップ
  • 弱い自分との付き合い方
  • わんぱくな私を引きずり出す
  • 静かな海を見つめる
  • 表現と自足
  • 明るい曇り空の不穏な海を組み上げる

 

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『アンの世界地図』全話再読感想(22)

『アンの世界地図』全話感想もついに4巻に入りました。22話の感想です。今までの一覧はここにまとめています。

多々ネタバレを含みますのでご注意下さい。全巻既読の人間が書いているため、この先の展開に関しても若干かすめてしまっているところがあります。 

今までも決定的なネタバレは避けてきたつもりなのですが、ここからはより神経を使いたいと思います。

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サブブログを作りました

わかってはいたけれど私は移り気で、油断するとすぐ関係のないことまで手を出していってしまう。

漫画や本の感想を書くという本分からあまりに離れては居心地が悪いので、漫画や本以外のことについては別のブログに移すことにした。

youmustdance.hateblo.jp

 

それに伴い、以下の記事は当ブログからは消し、上記のブログに移動した。

2.5次元舞台を観たことがない人間の雑感 - 未知

『PSYCHO-PASS VV』という実験装置ーーこの問いを成り立たせるために - 未知

はじめまして『PSYCHO-PASS VV』, はじめまして2↗3!次元 - 未知

ここに歌があった - 未知

キャラクターをこの手に抱えるということ - 未知

 

過去の自分のしたことというのは時間がたつと何事も、恥ずかしくなって目が当てられなくなる。

上記5つの記事も消してしまおうかと思ったものの、これを喜んでくださった方もいらっしゃるわけだし、今見ても一応正視に堪えないということはなかったので残しておくことにした。

上記の記事に関して、少し考えたいこともあるので、またいずれ、気が向いたときに書ければと思う。

 

 

2021年の月食の思い出

2021年の5月26日の宵の口、月食があった。ちょうど十五夜で、しかも月が大きく見えやすい地平近くにある頃の月食ということで、注目を集めた。

なんとかムーンは数が多すぎて、私はよくわからないけれど、スーパームーンというやつで、かつ皆既月食というのは珍しいらしい。

 

 

その前日、五月二十五日の夜も、私は雲の中にうかぶ十四日の月を眺めていた。

さかのぼれば四月二十五日、私は空を見て、もう夏の月に近いような気がすると思っていた。二十八日には確信を持って「夏の月」だと思っていた。

眼前にあったのはそれからちょうど一月、ひとめぐりした十四日目の月である。だがその夏の二回目の月は、不思議なほどに何の色にも染まっていなかった。

月は白じろと光っているけれど秋ほどに他を圧倒するでもなく、雲の向こうにあるとはいえ、春ほどおぼろなわけでもない。光は風に吹かれて冷たいが強すぎずやわらかすぎず、冬のそれのように、見上げるものの目に突き刺さってはこなかった。

かといって夏めくにはあまりにも静かで、清らかで、虫も鳴かない。季節だとか生命だとか、生まれては死んでゆくものの営みから解放されたような、無心の月があって、茫然と見上げることしかできなかった。

何となく明日を予感して、すでに安らかな心地がした。

 

 

さて案の定、皆既月食の日の東京は昼中からずっと曇っていた。

タイムスケジュールは、おおまかに言って夜の20時すぎ頃皆既がはじまり、30分ほどで終わる。それから部分食に入って21:15頃、半月ほどの大きさにまで戻り、21:55頃ほぼまんまるになると予測されていた。

だがこの分では、時刻がはやい頃は望み薄だった。高度ゆえ建物や雲に隠れるせいでもあるけれど、昇る前からすでに欠け始めているので、そもそも光が弱いからだ。

 

 

そうわかってはいた。けれども見えないということが、どうして月のもとにゆかない理由になるだろう。私は夜の七時頃、仕事を切り上げて外にでた。

あたりには、同じく月につられたのであろう人がちらほら、スマホを手に、うつろに空を見上げながら歩いていた。とてもうれしかった。

普段星や月を見ている自分はこんなふうに胡乱で無防備なさまなのだな……、と思って、ちょっと自分含む人間というもののことを微笑ましく思った。

 

 

それから私は電車に乗り、たくさん歩いて、川べりにいたった。私が宵の月を見に行くとき、いつも行くところだ。東側に昇る満月がとてもよく見える。

こと、のぼる十三夜の月をここで見るのはよい。地表に近いために少しおおきく見えるのが、十三夜の痛々しいような幼さとうまくバランスをとってくれるような気がするし、淡紫の空の色ともよく噛み合う。

到着してから、もっと高台にいくべきだっただろうか、という気がしたけれど、月食が始まるまでの私には、一切迷いがなかった。

 

 

そういう人は、私ばかりではなかったようだ。小高く盛られた土手にはたくさんの人がいた。

家族連れも、恋人も、車椅子をおしてもらっている人も、中高生くらいの男の子たちの群れも、色々だ。

ちょっと見慣れているのであろう人は「あっちが南東」とか言っていたりする。全然あさってのほうをきょろきょろしている人もいる。

スマホを手に「ここにこの角度でたてば南南西」などと言っている人は、きっとあまり普段は月を見ないのだろうけれども、一生懸命調べてきたのだろう。

みんなめいめい、はしゃいだり、黙ったりしている。

その乱雑さに対するかすかな不快感と同時に、周りの人々と一緒に浮き立っていく心と、うれしさ、いとおしさがあって、その全部が、ほの明るい宵の曇り空によくあっていた。

 

だが雲はますます勢いをまして、最初はきれいな紫を見せていたスカイツリーも、ほとんど黒に染まった。

それでも皆、どこだろう、曇ってる、あのあたりかな、などと様々に言いながら、何も見えない空を見ていた。

それはとても不思議で、特別な空間だった。服装も仕事も年齢も、ばらばらな人たちがひとところに集まって、見えないものを見ている。川を背にしてぞろぞろ並んでいる。

よいものに出会えた、よい場所にきてよかった。

うれしくて、遠くから土手の様子を写真に撮った。

 

 

とはいえ食の時間には限りがある。私はYou Tubeをひらいて、同時に北海道からの中継もみはじめた。そちらは晴れていて、赤い月を映し出していた。作り物のようだ。

一方冷え切った川辺には、いまいち事態をのみこめられないままに少しずつ落胆してゆく人々の気配が、徐々に満ちてきていた。

もうそのどちらにも私の居場所はない。移動するなら今だ。

私は土手を降り、かつて堀があった暗渠を歩いた。古い祠を見つけて手を合わせたりなどする充足感に、自分の判断が間違っていなかったと感じる。

 

 

そうして20時20分頃、また別の川辺にたどりついた。階段をのぼる。

さっきよりも一層川風が冷たくて、なびく土手の草が美しい。

こはちょうど南東のほうに向かって川が流れているので、さきほどの川辺よりも高度は下がるが、なかなかよい場所なのだ。月は変わらず気配もないけれど、ここに立ってみずして今日を終わることはできない。

こちらも先程の河原と同じく人々が立っていた。私がよいと思っているところが愛されていると嬉しいが、近隣の家族連れが多いようで、少しばかりいづらい雰囲気だった。

一人で歩いている人がまず少ないし、私の服装が少しばかりガラの悪いものだったので、無理もあるまいと思う。

 

 

私は階段をおりて、川のぎりぎりまでゆく。増水するときには水につかってしまう遊歩道だ。今もかなりひたひたのところまできていて、流れはそれなりに速い。手を滑らせたらiPhoneがあっというまに流されていってしまうだろうと思うと、足がこわばる。

高所恐怖症は最近、自分の身体を落としてしまう恐怖だけではなくて、iPhoneにも拡張されるようになった。iPhoneも私の一部になったのだろうか、いやいや高所恐怖症というより落下恐怖症の方が正しいのだろうな、と思いながら、そのまま川の流れにさからって歩いた。

 

川のおもてには色々な光が映っている。その光の中に、きっと私の目には見えない月の、赤い光がある。

私の足元の影は、背後の街の灯りをうけて伸びている。その光の中に、きっと月の光がある。

そう思いたかったから、川の流れにさからって、北西に向かって歩いた。目には見えないけれど、私は今この背に月の光を受けているのだと、そう想像してみた。

 

 

けれども本当は、物分りのいい人間のふりをしていただけだったのかもしれない。寒さと腹痛と足腰の痛みに自分の体がほとんど負けてしまっていることを、一歩ごとに感じていた。普段、月を見たいがためにどこまででも歩く自分なのに、今日のこの体たらくは一体どうしたことか。

その事実がさびしかったので、土手から橋にあがるとき、もう一度振り返った。

 

その途端、私の視界の片隅に光った星空がある。何事だ、と思ったら、足元の緑に一面、待宵草が咲いていた。

 

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星空と言ったけれど、これは私が見慣れている関東平野の星空ではない。もっと山深いところの、ちょっと怖くなるくらいにたくさん星があるところの空だ。

天地がひっくり返ったようで、めまいでも起こしたような気分だった。

私はこれを見るためにここに来たのだと思うことができて、さびしい気持ちは少し満たされた。

 

 

おかげで朗らかな諦めを得た私は、橋を渡る。

対岸のお店に入って体を温めつつ、すこしばかり買い物をした。20時45分ほどだったと思う。

お店を出ると21時前。あの星空に会えたのだからもう足るを知ろうか、このまま帰るもまた一興……と思ったとき、道の向こう側の誰かが、「ねえ、あれ」と空を指差した。

雲の中に、やせほそったラグビーボールのようなものが白く浮いていた。

 

 

ここからはいてもたってもいられなくて、川の方に走って戻って、橋の上に立った。

川の上、高くも低くもないところに、ぼんやりと、白い影が浮いている。

普段、この橋の上から月を見るときは、高所恐怖症ゆえに身がすくんでしまうのだけれど、このときはどうしてか、何ともなかった。ただ落ち着いて、帽子をしまう。

 

風を正面から受けて、何も聴いていなかったイヤホンが汽車のように轟々と音を立てる。私はAirPodsは落としてしまうから二つくっついているタイプを使っているのだけれども、そのコードが川波と同じリズムでゆたゆたと耳を打った。多和田葉子『ゴットハルト鉄道』を思った。

このとき、時刻はちょうど21時くらいで、月は月齢5日ほどの太さになっていた。それはたしかに、日頃みている月とは明らかに違う、いびつな形をしている。

じっと見続けていると少しずつ、太くなっていっているのもわかる。

だが一体この月の、何が特別なのだろうか。魅入られているくせにわからない。

色合いは、いかにものぼりかけの月らしい金色なのだけれど、ちょっと普段より赤みがあるような気もしてしまうのは、心なしというものであろう。

 

 

ここから月が満ちるまでは一時間弱ある。ただ月をみて過ごすには長すぎる時間だろうけれども、ふだん15日かけて満ちるものが一時間に圧縮されているのだと思うと、瞬きをしている間もない。

飽きている暇など一つもないのにどこか退屈なこの時間は、なんだか生き物の生きる時間そのもののように思えて、『蟲師』のある物語ドを思い出した。

たった一日のうちに生のすべての時間を生きる人を描いた「露を吸う群れ」というエピソードだ。

そのエピソードの中核にいた少女の名前が「あこや」であったことと、真珠のように丸くなっていくのだろう月との冥合に、いてもたってもいられないほどの感動を覚えた。

それなのに、どうしてか思考の焦点が定まらず、体が錆びたように動かない。

月食にそのまま飲まれたかのように、私も緩慢に思考し、緩慢に感動して、いつのまにかうつろっていく。色々考えて、感じているはずなのに、何もまとまってこなかった。

 

 

月は左の方から本来の円を取り戻していく。その左肩の輪郭線の丸さが、欠けているからこそ一層目にしみる。どうしてこんなに完璧に丸いのだろう。

いや丸いはずはない。月のおもてはクレーターだらけでこぼこだ。それなのにこんなに丸い。地球もおんなじで、あんなに高い山々があるというのに、宇宙からみればまんまるだ。

万事何においても、こうやって遠くからみれば、どんな起伏もなだらかにならされて、美しい真円になってしまうのだろうか。

 私はもう何を取り繕うでもなくただ立ち尽くして、空を見るしかできなかった。

 

 

橋をゆく人々は立ち尽くす私を怪訝そうにみて、視線の先を追い、納得してそのまま去ってゆく。せっかくうまく巻けた前髪は風のおもちゃになっていたから、さぞかし無残なありさまだっただろう。

土手を見下ろしても人の群れはもうどこにもいなくて、ただ夜釣のおじさんだけが場所を探していた。

あんなに見たがっていた月が今見えているのに、もう空を見上げる人はいないようだ。

なぜなのだろう、さきほどとの落差が不思議でたまらない、その不思議さゆえに一層、私は浮世離れしたまま戻ってこられない。

眠りながら覚醒しているような奇妙な時間は、確実に体力をむしばんでいく。それなのにどうしてもそこを離れられなかった。

 

 

10時に閉店するスーパーがある。そこにいかないと私は明日の生命維持に難儀することになる。そうわかっていたから買い物袋を携えてきていた。月食が完全に終わるまで見ているだなんて専門家かよほどの物好きだけだ。

けれども私は結局最後まで橋にいた。わかっていたけれどもお店には間に合わなかった。丸い月を横目に見ながら帰途につくと、月はもう嘘のように白く冷めている。

ちょっとはしたないほどに咲ききっているあじさいや、マスク越しでも息が詰まるほど香るエンジェルストランペットの写真を撮ったりしながら、くたくたの体と変に浮いたままの心を引きずって帰った。

退屈しながら感動し、歓喜しながらうんざりしているようなあの趣を、今、何と語り終えたらいいのかわからない。 

蟲師各話感想②緑の座

※『蟲師』一巻第一話『旅をする沼』ならびに同サブタイトルのアニメのネタバレを含みます。また筆者は全話既読なので、他のエピソードに言及することもあります。ご注意下さい。

 

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