されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

Wordle ひとり反省会 216 (spoiler⚠︎)

 

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Wordleを唐突にはじめた。

大変たのしい。

 

ゲームの性質上多くを言うわけにはいかない。しかしたのしい。感情が言葉になってしまう。文字に書かないとこのハッピーを抑えきれない。

だからここに順次感想を書いていくことにした。

まぁ思考の流れを記録しておくのは英語の勉強にもなるだろう。

 

ただしさすがに、日付が変わって次のお題になる前に、ネタバレしてしまうのはいかがなものか。

ということで、1日遅れで追加していくことにしたいと思う。

以下はもちろん渾身のネタバレなので、ご承知おきください。

自分用のメモなので淡々とサクサクいきます。

 

 

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体の声を聞いてみたメモ

今手元にある服を見回してみると、全部が全部100点満点で好きだと言い切れるわけではない。お世話も丁寧にはできていない。

なんでだろうか?

そう考えていてふと、体の声を聞く作業が足りていないんじゃないかと思った。

私が上手く付き合えていないアイテムは、だいたいその子とともにあるとあまりに体力を消耗してしまうものたちだ。へろへろになるので、帰宅後は椅子にかけるので精一杯になってしまう。お世話不十分なので愛着もあまり育たない。

買うときには似合うかな?どんなところに着ていこうかな?何と合わせようかな?どのくらい長く一緒にいられるかな?というところばかりに頭が向いていて、帰宅後のシーンだとか、着ている間の自分の体とかには気が回っていなかった。

 

 

体の声

そこで、一度自分の体がどんな主張をしているか、書き出してみることにした。

 

 

①私は頭が痛くなったり吐き気がしたり、お腹が痛くなったりすることが多い。

②私は息苦しくなりやすい。

③私は寒がりで冷え性だ。すぐに風邪を引く。

④私は肌が荒れやすいしすぐかゆくなる。

⑤私は日々大量の紙を持ち歩いている。荷物が5kgを切ることはおそらくほとんどない。

⑥私は歩くのがすきだ。思うように歩けないことはストレスになる。

⑦私は物を汚したくない。汚れたもの(特に床)に触るのも怖い。

⑧私は自分の体の特徴的な要素(いわゆるイメコンってやつ)を知っている。

⑨私は服を畳んで収納したい。

 

 

一覧にするとざっとこんなところか。それぞれもうちょっと詳しく見ていく。

 

 

体の声を細かく見ると

①私は頭痛・吐き気・腹痛になりやすい。

片頭痛持ちなので、頭痛・吐き気がきたときにはなるべく血管を収縮させ、体を冷やしたい。臨機応変に着脱できるもので体温調節をしたい。

腹痛については、なるべくお腹をしめつけない服を持っておきたい。

だが一方で、私は寒がりだし、ベルトの一番端まで締めるのが大好きだったりする。しゅっと背筋が伸びる。

矛盾するどっちもがたしかに私の体から発せられている声なので、お腹が痛い時用の服、ウエストを締めたい時用の服をそれぞれ持つか、あるいは両方の着方ができる服(例:トレンチコート)があるとよい。

 

②私は息苦しくなりやすい。

これは別にただの癖。ネックレスは重いし回るしなんか苦しいから苦手。首にぴっちりするのは締め付け感がとても苦しい。

 

③私は寒がりで冷え性だ。すぐに風邪を引く。

これもなんでかしらない。体質。特に体重が軽くなってる時期は、ちょっと足首を出すだけで風邪を引いてしまう。あと寒いと喉が痛くなる。これはなんか全然仲間が見つけられなくてさみしいんだけど、私にとっての「寒い」ってただの感覚の域では収まらなくて、15分くらいで病の域に入る。一人で雪山登山しているみたいだ。

指も夏でも冷たい。手首足首守りたい。

 

④私は肌が荒れやすいしすぐかゆくなる。

これも幼少時からの日常すぎて、自分としては特に関心を払ってなかった。

けれどもそういえば、最近すごく足首の肌がよわい。ちょっとあわない靴下を履いただけで、朝起きたらリスカならぬ足首カットでもしました?ってくらいのすごい掻き傷ができていた。たぶん足首って肉がついてなくて肌の真下がすぐ骨だから、弾力がなくて掻くとがっつり力が入ってしまうのだと思う。血の洗い物は本当に嫌だ。血が出ない服をきたい。

たぶんストッキング・タイツ・足首がきつい靴下は痛みかゆみを感じやすいと思う。

日にあたったところから掻き壊してしまったこともあるので、日にあまりあたらない服がいい。

 

⑤私は日々大量の紙を持ち歩いている。

服は軽さ、かばんは軽さと耐久性が大事。

しかし荷物整理が苦手なので、底が丸かったり生地が柔らかすぎたりして荷物が動いてしまうかばんは苦手だ。忘れ物もしやすいのでかばんには整理を助けてもらいたい。

具体的には目で見て入ってるものがぱっとわかるのがいい。だから内部ポケットがいっぱいあるようなのは混乱する。ポーチで分けたい。中は明るい色だと助かる。

荷物量的にA4サイズ肩掛け必須だけど、⑥~⑦ゆえに手持ちしたときにも床につかないサイズだと助かる。

 

⑥私は歩くのがすきだ。

歩くのが億劫になってしまうアイテムには、日焼けが気になってしまうトップス、大股で歩けないスカート、しゃがむと膝がでないか心配になるパンツ、階段などで裾がついたり踏みそうになるボトムス、歩くと疲れたり痛くなる靴、速く歩けない靴、汚れを落としづらい靴、重いかばん、雨がある。雨もアイテム。

気まぐれに仕事帰りにあるきたくなったりするので、仕事に行けてしかも歩けるファッションが必要だ。

 

⑦私は物を汚したくない。

体の声じゃなくないか?という感じもするけれど、ごく軽い潔癖があるので、汚れをこわがる。きれい好きじゃなくて何となく汚い気がするものが怖いだけなので、我ながらそのへんは全然理屈が通っていない。

たとえばスマホなんてよっぽど汚いだろうけど、それはまあ毎日拭けるし、汚いと感じてないので大丈夫。一方スニーカーの内側のつま先の方なんかは、いまいち自分の目でみえないので、なんか汚いんじゃないかという気がして、不安になる。

裾が長い服もこの汚い怖いにひっかかる。床が怖いので、床に近いものは怖がられリスクが高い。床に落ちやすいものも怖い。

でも物を捨てずに長くつかいたいほうなので、汚れたからポーイってするのもなかなかできなくて、玄関に触れないものが集まったりしてしまう。

 

 

⑧私は自分の体の特徴を知っている。

メコン的には私は1stブライトサマー2ndクリアウィンター/顔タイプフレッシュ(ソフエレよせ○)/骨格ナチュラルだ。簡単にいうと青み系の明るく濁りのない色が得意で、顔は幼め、体型は骨ばって平たい。

わりと自分の性格と合っているので自分としては扱いやすいスペックかと思う。

 

一番主張が強いのは骨格。似合う素材とデザインはだいたい骨により決まる。

なるべく隠したい骨は膝と腰。また側弯があるので、スカートはぐるぐる回るし傾く(あと短い靴下は片方脱げる)。左右対称に履かないと変になるボトムスは避けたい。

 

総じて要素が不健康よりなので、メイクと服で色味的には明度を足したい。

ただ顔の中では鼻と顎ラインが直線的。骨格ももちろん全身直線的。そのシャープさは生かして、ほんわかに傾きすぎないようにしたい(たぶん、性格とか諸々的に、デフォルトのほんわか度が高めなので……)。

 

⑨私は服を畳んで収納したい。

これも体の話じゃないだろ!って気がするけれど、なんというのだろう、動作の話だ。私は服を畳むのが好きだ。素直にたたまれてくれる服はかわいい。きれいな布を手でたたむ感触がとてもすき。大事にできる。

それからしまってしまえば防虫剤も入れれるし、日焼けも防げるし、思いがけず何かをこぼしたりとかで汚れる可能性も下げられる。つまり⑦の汚れ怖いの発動をかなりブロックしてくれるので、とても安心する。

だからたたみづらい服は苦手だ。吊るして収納するのは場所もとるし、出し入れの動作で床に落としたりするから、あまり得意じゃない。たたむ服の方が好きだ。

 

 

何が必要?

では、以上の体からのご要望にお答えすると、具体的にどんなアイテムが必要になるのか。

考えて書き出してみることにする。

 

①私は頭痛・吐き気・腹痛になりやすい。

トップス

腕まくりしやすい長袖トップス。イン・アウト両方できて(体温調節とお腹のしめつけ調節)、首がつまりすぎていないとよい。

 

スカート・パンツ

オンオフ使える、ほどほどきれいめで楽なパンツを2本程度持つ。それがあれば後は自由。

 

体温調節用に重ねるもの

オールシーズン:シワになりにくくたたみやすいカーディガン

冬:首にまくもふもふ

 

アウター

秋・冬・春:トレンチコート(しめれば冬OK、あけて腕まくりすれば春OK)

 

 

②私は息苦しくなりやすい。

これは特に意識しなくていい、すでに骨身にしみているから。ネックレスを買ってもつけないということだけ覚えておけばいい。

 

 

③寒がりで冷え性だ。

トップス

①との兼ね合いから重ね着で調節。袖は長め。なお⑧的にも、重ね着でボリュームを出すのはよいらしい(アナリストさんに痩せ型骨ナチュがボリュームを出す方法としてお勧めしてもらった)。

 

ボトムス

膝下丈のボトムスとハイソックス。重ね履き用の短めソックス。

スカートのときは下に裏起毛タイツをはくのもよいかも。

 

 

④私は肌が荒れやすいしすぐかゆくなる。

トップス

日焼けやうっかりかゆみ要素に出会わないために長袖。

 

ボトムス

ちくちくせず足首をしめつけないハイソックス。

かゆくならないストッキング。

長時間座るとお尻や太ももにストッキングが張り付いてかゆくなるので、適度に立つのも大事。

 

⑤私は日々大量の紙を持ち歩いている。

まだベストの答えが見えないのでじっくり探す。

ディオールのブックトートでいいじゃんってなりそうだけど、刺繍をひっかけそうで不安だし、耐久性がわからないし、まだ定番化はしてないし、ちょっとさすがに予算が……かなあ……)

 

⑥私は歩くのがすきだ。

トップス

日焼けや冷え・温度調節対策に長袖。

 

ボトムス

裾が長すぎないボトムス。

特に長すぎないプリーツスカートは足さばきがよくていい……けど自分には甘すぎるので、部分プリーツ使いとかがあったらあるきやすそうでよい。

 

シューズ

ちょっと固めの服に合わせても許されちゃいそうな感じの、一生付き合う方向でいく黒のローファー。

気楽にはけるヒール低めのそこそこトレンドおさえた黒のパンプス。

レインブーツとしても使えるショートブーツ。

靴はこの三足+パーティー用があればそれでいい気がする。スニーカーなくてもローファーがあれば大丈夫なんじゃないかなって(それでもスニーカーが必要だと言われたら、一応、ニューバランスが一足ある)。

もともとは、このbeautiful peopleコラボのミズノの子……

ビューティフルピープル×ミズノの“スケルトン構造”スニーカー、新色エクリュカラー|写真3

がかわいすぎて機能的すぎてほしくなってしまったというのが、この記事を書いて整理をはじめた一番の動機だったのですが、うーん、必要になるシーンがあるのか……?こまめにお世話が、できるか……?

たぶん現時点では両方NOになりそうなので、これはもう、このシューズを買って変わるか、今のままの自分でいてこのシューズを買わないか、の二択なのだろうと思います。

 

 

⑦私は物を汚したくない。

トップス

白は漂白できるので◎

 

ボトムス

裾が長すぎないボトムス。白は漂白しても落ちないタイプの汚れがつきそうなので避ける。

 

シューズ

お手入れが自分にとって楽な靴。

具体的には、革製品はブラッシングで色々落とせるので気持ち的にお手入れしやすい。ペカペカの合皮とかも拭いてあげればよい。

問題はファブリック。ほんと無理。雨水吸うのとかこわすぎ。私が濡れるのはいいけど(お風呂入れるから)お風呂入れない靴が雨水にひたるのこわいんだけど……自分で言ってて意味分かんないんだけど……

靴を洗えばいいっていうのはわかるんですが、洗うときのお水が、怖くて、触れなくて……あとどこで洗うの問題があって……(ベランダで洗うのは住環境的に無理めだし、お風呂とか洗面台で洗うのぜっっったいに無理)

とにかくファブリックの靴は長生きさせてあげられないからかわいそう。もう買わない。

 

 

⑧私は自分の体の特徴的な要素を知っている。

トップス

やや黄みよりの白トップスと青みよりの白トップスそれぞれあるとよい。

グレーは今後トップスからは減らしていってカーディガンやセットアップに絞る。

 

ボトムス

スカートとパンツは骨格と着心地重視=素材重視。顔タイプ・PCは無視してよい。

靴下は着心地重視に加えて色を積極的にスペックから外したい。

  • 軽く外す→イエロー(PC✕)、シルバー(私は得意だが社会的には攻め気味)
  • もう少し外す→やや強いパープル(顔&骨格✕)、マットゴールド(✕ではないが手持ちに少ない)
  • お互い良さを殺し合ってしまうのでやめる→つやつやゴールド(PC&骨格✕)、スムースレザー、サテン(骨格✕✕✕)

 

バッグとシューズ

基本黒、シャープな印象を大事に。

 

ネイルとアクセサリー

自分にとっては顔以上に大切なので、PC大事にしつつ自分の心のままに選ぶ!

 

メイク

シンプルに。パターンは3つが性格的に管理の限界。

 

地毛ロブ外ハネ維持!

 

⑨私は服を畳んで収納したい。

トップス

たたみやすそうでしわになりにくそうな服を選ぶ。特にカーディガン。

 

ボトムス

たためないのが多いので、その分厳選!

 

 

 

 

まあ、こんなところだろうか。後半明らかに適当になってたような気がするけれど、以上のポイントのうち重要になるのはどこなのか。アイテム別に簡単に整理し直してみる。

 

アイテム別の重要ポイントと具体例

トップス

⑧①⑨

似合わせと不健康感緩和と臨時の体調不良対応と部屋の治安維持担当!

基本長袖で、青み白と黄み白両方もっておく。夏は思い切りオーバーサイズで。

グレーはスーツやセットアップ専属に。

 

ボトムス

⑥⑧⑦⑨

あるきたいんだ!!だが骨格と汚れ怖いとお腹痛いの主張は強いので無視はできない。

部分的にプリーツの、長すぎない丈のスカートがあるといいな。

 

シューズ

⑥⑦

あるきたいんだ!!だが恐怖の床と私の間のフロントライン担当なので慎重に選ぶ。

黒ローファー(一生履く)、黒パンプス(トレンドにあわせて交替)、雨担当のショートブーツは内定。

 

バッグ

⑤⑥

荷物をほんとどうにかしたい、助けて……そして一緒にあるいて……

具体的には未知数ですが、ディオールのブックトートが刺繍じゃなくてエコレザーとかだったらよかった(予算の問題も…ありますが…)。

 

メイクと髪

似合わせ担当。あとトレンド対応担当。ここがうまくいけば他がかなり自由になる。

具体的なアイテムは割愛。ミニマルが性に合う。

 

ネイルとアクセサリー

似合わせ担当でもあり、自己満足担当でもあり、私の冒険心や物欲を吸ってくれるが場所を取らずお財布にも優しい救世主担当でもある。

自由!Pisceansはトレンド感ありすぎなくて主張も強すぎなくて長く付き合えるから諸々全部ちょうどいい。

 

 

 

よし、そこそこ整理をつけられた。例のスニーカーの販売期間がまだ始まっていないので、このメモを土台にちょっと悶々考えようと思う。

サントリー美術館「聖徳太子 日出づる処の天子」展に行った①(ざっくり感想)

タイトルにはこう書いたが、行ったというだけではすんでいない。

年パス持ちになった。通わなくてはならない展示だったのだ。

 

年パスの現時点の感想としては「もっと早く買っておけばよかった」しかない。

なんでこんな素晴らしいものをこれまでサントリーはごりごりに推してくれなかったのか。筋違いの恨みすら抱きそうになる。

たしかにとんでもなくお得なのだが、単にお得なだけではないのだ。年パスを手にすることでフットワークが完全に変わる。生活が変わる。

「ちょっと時間があいたな……そうだ、六本木行こう」ってなる。

昔だったらYouTubeの動画をみていた時間が、ミッドタウンで国宝や重文をみる時間になる。とんでもない。とんでもないじゃないか年パス。

魂が癒やされてしまうじゃないか。

 

 

なんてことを書くつもりはなかった。筆が滑った。

聖徳太子展は素晴らしいのだけれども、素晴らしすぎて消化するのにかなりのエネルギーを要するので、ブログに書いて整理したかった。

例によって一点一点感想を書いていこうと思うが、まずはその前に全体の感想を、展示室の章立てに従って書いておきたい。

 

第一章 聖徳太子の生涯――太子の面影を追って

ひたすらに絵伝!そして太子像!の章。

絵伝というのはざっくりいうと、『伝暦』などに書かれた聖徳太子の生涯をでっかい絵に描いたもの。

基本的に、僧侶が寺社において、文字(特に漢字)の読めない民衆相手に教えをわかりやすく伝えるために、絵解きに用いるものだと理解している。だからでっかいのだ。

これらにおいて、聖徳太子は緋色の袍をまとっている。蛍光オレンジみたいな非常に目立つ色なのですぐにわかる。

美術館内の照明もそこそこ暗めだけれども、これが蛍光灯のない時代の寺院の一室だったなら、まして他の色は暗く沈んで見えたのではないかと思う。ちょっとそんな様子も見てみたかった。現代でも絵解きをやっているところはあるから、そういうところで太子伝を扱うときがあるなら、見てみたい。

【追記】

最終日に6階の映像を見てみたら、なんと、四天王寺では現役で絵解きを行っていて、昨年はオンライン絵解きも行っていたらしい。これはみるべきだった。

 

 

絵伝に関して面白いことはいっぱいある。いっぱいあるのだけれども、初見の時はまず、「これ見たことある!!」の感動が一番印象に残った。「進研ゼミでやった!」的な感動だ。

いやなに、私が予習して行ったわけではない。この「聖徳太子展」(以下太子展と略す)では、まず四体の聖徳太子像とご対面することになる。二歳、十六歳の太子の幼い姿、摂政として笏をとる姿、袈裟をつけて勝鬘経の講義をする姿がそれぞれ一体ずつだ。この四体をみれば、太子の生涯をざっくりたどりつつ、神秘的な子どもでもあり、謹厳な政治家でもあり、熱心な仏教者でもあった太子の事績を端的に知ることができるわけだ。

なんとも多面的だなあと思いつつ、わかりやすい導入に感謝しながら進んだら、そこには見上げるほどに巨大な絵伝が待ち構えていた。そしてその絵伝の中に、今見たばかりの太子像そっくりの姿の太子が描かれていた(特に二歳の太子の姿が顕著)。

これ、進研ゼミで見た。10秒前くらいに。

 

そう思ったとき、さきほどの、四つの像を見ながらキャプションを読む体験は、一つの学びだったのだのだと気づいた。

教室で机にかじりついたり教科書を開いたり授業を聞いたりするのは、あくまでも近現代の学校教育の中での学びだ。その枠組みの外側に出れば、学び方はいくらでもあったのだ。ひょっとしたら昔の人々も、こんなふうに像を拝みながら寺僧の説明を受け、太子信仰を学んだんじゃないだろうか。

入場から5分もたたないうちに、私は感動ポイントに出会ってしまった(進研ゼミで見た、というのがあまりにも手垢がついたネタでつらいけど、でもその場では本当にそんな感じだったのだ)。

 

しかもそれだけではない。さきほどこの目で見たばかりの太子像が絵に描かれているということには、太子像のことも絵伝のことも信じずにはいられなくなるような説得力があった。

「ほら、絵伝にもしっかり描かれているんだから、あの太子像は由来の確かな、信じるべきものなのですよ」と言われているようにも感じるし、「ほら、今目の前に確かにある、触れることだってできる太子像を描いていますよ。そう思うと、この絵伝の中の物語が一層確かになりますし、身近にも感じられるでしょう」と言われているようにも感じる。

完全な循環論法だろうが、しかし不思議なほどの感動があった。

 

だからもしも、絵解きの場で

「ほら、ここの絵を御覧なさい。二歳の太子のお姿です。なんと尊くていらっしゃることでしょう。我々末の世の者から見ればあまりにも遠い世界のことですが……しかしそのお姿をそっくりそのまま写したのがこちらの像です!皆さんは今、こんなにすぐそばで拝することができるのです!絵伝にも描かれているのですからこちらの像の来歴の確かさは疑いようがありませんよね。こんなにありがたいことがあるでしょうか!」

なんてことを言われながら童形の太子像を示されたら、きっとフロアは沸きにわく。奇跡~~奇跡じゃん~~太子ここにいんじゃん~~って大号泣だ(少なくとも私はそう)。「ですからこちらの太子像は当寺の秘宝なのです!こちらの像を拝めるのはここ〇〇寺だけ!!」と言われたら全財産寄進しちゃう。

 

こんなことを書いていると、自分でもいやいやそんな馬鹿な、と思う。まるで太子信仰を広めた者を詐欺師扱いしているようにも見えてしまいそうだとも思う。

でも私は現代人だって、何も変わりがないと思うのだ。

 

 

絵伝に描かれた太子のすごすぎる生涯を信じてしまうのは非論理的、非科学的に思えるかもしれないけれど、実際のところ科学と信仰の距離は近い(たぶんよく言われていることだと思うけれど、私は最初に言い出した人が誰なのか知らないので、引用はしないでおく)。

たとえば相対性理論が間違っているという人は、現代ではそうそういるまい。だがこれを自分自身で検証し、理解した上で妥当だと判断できている人がどれだけいるだろう。相対性理論を疑わない人は、科学的・論理的に考えてこれが正しいと判断しているのではない。科学の専門家たちが積み上げてきた知識の体系を信頼しているだけだ。

無論それが悪いと言っているのではない、まったく妥当な判断だし、これからもそうあってほしいと思う(ポスト・トゥルースの時代は来るべくして来たのだろうから、楽観的すぎるかもしれないけれど……)。

私が言いたいのは、仏教の教学研究に邁進する僧侶たちの言うことを信じるのは、相対性理論を信じるのと何も変わらないだろう、それだって十分に知的な態度だろう、ということだ。

 

絵伝に描かれたことを信頼する思考の経緯だって、十二分に論理的なものだと思う。

情報の真贋を判断するにあたり、文献に書いてあるかいなかということはまず大きな要素になる。その上で、その文献の体裁も大切だ。私なら、出版社や書き手、また目次・索引の体系性や精密さを材料として、このぶんならこの本に保存されている情報は信頼できるな、などと判断している。時間をかけて大切に作られた本だとわかる作りなら、これは信頼できそうだと思うし、コピー用紙の走り書きを綴じただけのものなら、ちょっと信憑性は低いかもしれないと身構える。

 

こう書くと、中身を読んで判断すべきだろうと思われそうだ。それももちろん試みはする。だが本(ここでは小説や詩歌などを除く)の書き手よりも私の方が知識や思考力を持っているということは、まずない。自分が十分知っていることが書かれた本を、あえて選ぶことはそうそうないからだ。

となれば、私の方には、内容を読んだだけではその是非を判断できていない可能性が大いにある。だからこそ、出版社や書き手の情報や、目次、索引の作りなど、本の中身とは別のところを傍証としながら、どれほど信頼するか決めないといけない。

これを絵伝の場合にスライドさせるなら、高価な絵の具を使って描かれた緻密な絵伝に描いてあることを、これは信頼できると判断するのは、そんなに誤った思考のように思えない。

 

 

一方太子像の方は、もっと感覚に訴えてくるもののように感じた。太子像はすごく「今・ここにいる」感を醸し出していた。

実際生身仏信仰というものがあって、太子像は生きているとされたそうだから、たぶん私の主観だけの話ではない。そのキャプションを読む前から「今・ここ」感は感じていたから、キャプションありきでの鑑賞でもない。きっと、生々しい「ここにいる」感を醸し出すための表現の工夫があったのだと思う。

日本生まれ日本育ち、特段何の信仰も持っていない(つもりでいつつ、諸信仰の習合したよくわからない信仰をなんとなくぼんやりもっている、つまり非常にありふれた)日本の人間としては、あまり偶像崇拝ということについて意識する機会がなかった。

しかし太子像は、絵伝と互いに働きかけ合いながら、偶像崇拝の圧倒的な力を見せつけてくれるものだった。特に後半でていた善光寺関係の絵伝には、偶像崇拝との関わりを感じた。

 

 

またこの第一章は、偶像に限らず、物の力を感じさせてくれるパートでもあった。

具体的には、太子の基本的な業績がわかる文献などが紹介されるのとともに、太子ゆかりと伝える七種の宝物(太子伝来七種の宝物)が展示されていた。いずれも国宝であり、今ここで実見できているのが信じられなくなるような代物である。

とはいえ太子が着用していたとされる袍の残りの裂だとか、笛、懸守、鏑矢、剣などだから、もともと宝物として作られたものではない。材質や加工技術がすばらしいからではなく、太子が使っていたとされたからこそ価値がでたものだ(そうはいっても十分立派ではあるのだが)。実際これらの中には、鎌倉時代までくだってしまうものもある。実際の〈物〉としてのあり方以上に、太子所用とされたという伝承がこれらの〈物〉の価値を支えた。

 

だが、伝承の側がもし実在の〈物〉を必要としていなかったなら、太子像もいらないし、七種の宝物だって必要ない。

ではなぜ必要としたのか、ちょっと想像してみるとすると……人間の寿命は限られているから、伝承の始まりに触れた人はいずれ死に絶えてしまう。そうなったとき、人々が伝承を信じ続けるためには、人間の寿命を超えて残り続ける拠り所、伝承の古さを証す〈物〉がいるのだろう。

聖徳太子信仰には、目に見えない伝承と目に見える実際の〈物〉とが、ともに働き支え合っている様子が顕著にあらわれているように思えた。

 

 

第二章 聖徳太子信仰の広がり――宗派を超えて崇敬される太子

初見時は太子のあまりのキメラっぷりに驚嘆した。とにかくそれだった。

二回目にきたときには、下のフロアをすでに知っているから、もう少し把握が立体的になった。

そして今、この章の名前を改めて読んで、なるほどそうだったのか、と思っている。

けれどもまずはキメラ太子の話からいこう。

 

 

そもそも、今回の企画展の中で一番最初にみた四つの太子像の姿自体、かなりキメラ的に見えていた。摂政像の太子は若々しいようでいて顔立ちが大人びているし、勝鬘経を講義する太子は、袍の上に袈裟をつけて、日本風の冠(頭巾)の上にさらに中国的な冕冠をつけている。いろんな要素を太子一人に一気に体現させすぎだ。太子の体も頭も一つしかないんだぞ。ダブル冠はむちゃだろ。そう言いたくなるキメラぶりだった。

 

その傾向は、第二章で展示されている様々な種類の太子像において、一層顕著になる。

今回の展示のメインビジュアルに使われていた作品はまさにそのキメラ具合を一枚にぎゅっと詰め込んだもので、髪型は幼く十六歳の太子像(孝養像というそうだ)を思わせる。左手にとった香炉も十六歳のときの太子の逸話による。

しかし、厳しい顔立ちで右手に笏をとる姿は、成人して、摂政として国政を担うようになってからの太子像(摂政像)に典型的なものだ。

taishi1400.exhn.jp

 

グロいといえばグロい。でもこの一枚を見ているだけで、太子がどんな信仰の器として、人々の願いを引き受けたのかが伝わってくる。

しかも面白いのは、太子像は太子の年齢と主題ごとにかなり決まった様式を持っているにもかかわらず、細部においてそれなりに個性を持っていたことだ。

初見のときはなかなか教学に関わることが頭に入ってこなかった、なにせ太子像の視覚的なインパクトがすごかった。摂政像は異形に近いレベルのキメラだし、二歳や十六歳の太子像には、童形の者に対するまた異様なまでもの信仰心を感じさせる。

 

 

だがじっくり見ていると、天台宗真言宗真言律宗浄土真宗など、様々な宗派の僧侶たちがそれぞれの立場に応じて太子を信仰していたことが見えてくる。また太子ゆかりの寺でも、奈良の法隆寺、難波の四天王寺、太子の磯長廟前の叡福寺が、各々の立場を持っていることもわかってくる。地理的にも東西南北かなりの幅がある。

そうした違いと視覚的な多様性がリンクし始めると、少し作品を見る姿勢にも余裕が出てくる。信仰に圧倒されるばかりではなくて、ほどよい距離からほどよい関心のもとに見つめることができる。

特に二回目に見ているときは、単純に多様であるだけではなくて、その多様なそれぞれの立場同士の間にも繋がりや違いがあり、多少の交流があったりすることも見えてきて、興味深かった。

 

 

第三章 大阪・四天王寺の1400年――太子が建立した大寺のあゆみ

展示室は下のフロアへ。階段を降りてすぐの空間、初見のときは忙しくてぱぱぱと見てしまったのだけれども、知識の整理の上でも大切なコーナーだし、知識を何も持たずに見てもこれは、と息を呑んでしまうような優品が揃っている。

失われた仏像のあり様に、残された文献などを駆使して迫っていくパートでもあるので、ミステリー的な楽しさもあった。

 

 

まあ初見のときは知識整理というのはあまりできなかったんだけれども、二度目にみると、おおよそわかった気がする。たぶん、たぶんだけれど、

 

四天王寺:太子を救世観音と一体とみなす

醍醐寺等:救世観音を如意輪観音と同体とみなす

元興寺等:太子と如意輪観音を一体とみなす

 

といった流れで、真言律宗の寺院において太子信仰には如意輪観音像がセットになった、という感じだと思う。東国にもその信仰は広まっていったようなのだけれど、この如意輪観音が実に魅力的だった。

下のフロアは、個人的に心惹かれる端正な像が多かった。

 

 

その後展示室は太子廟の目の前にある叡福寺と、太子が物部守屋と戦う際に建立したという四天王寺へ、順番に目を移していく。

そうした寺院の性質が、それぞれの持つ仏像等のあり様にも反映されていくのが面白い。

四天王寺については伽藍の構成のパネルなどもあって助かった。このパートでは、平安時代四天王寺信仰のあまりに入水しようとして失敗した西念の遺品や、江戸時代、花見客で賑わう四天王寺を描いた絵画資料類、また安土桃山時代から用いられてきた舞楽用の面、衣装など、様々な時代、また様々な立場から四天王寺の信仰に関わる資料を一望できる。

 

 

中でも西念の残した言葉は本当に切に響いてきた。またその近くに展示されていた金銀の舎利容器や阿弥陀三尊も、信じられないほどの精緻さで、見入ってしまった。

この阿弥陀三尊は若干体が前方にかしいで見えた(ストレートネックぎみでもあった)のだけれども、ケースの前にしゃがんで見てみると、三尊が少し体を前に傾け、顔を前によせて、こちらに対して文字通り「傾聴」してくれているかのように見えてくる。

 

しかも!本当にびっくりしたのだけれども、近くを人が歩くと、小さな小さな瓔珞が揺れるのだ。私が身じろぎしても同じだった。

この仏は、私が身動きすると、応えてくれる。一緒に揺れてくれる。

経年変化があっても十二分に美しい像だったが、ましてこれが新しかったなら、きっと瓔珞は揺れるのと一緒にちらりと光を放っていただろう。

想像するだけで、奇跡じゃないかと思った。あんまり優しくて、泣いてしまいたかった。

今まで瓔珞にあまり関心をいだいてこなかったけれど、同じことが、もっと大きな像でも成立するのだろうか。前の部屋に戻って瓔珞をかけた像の前に歩み寄ってみたが、やはり大きくても、ガラスケース越しのかすかな動きに瓔珞は応えた。

ありがたかった。

 

 

こうした西念や阿弥陀三尊の切実さ、熱烈さと、四天王寺の花見客の信仰心は、まあ当然くらぶべくもない。ふすま(そして後には屏風)に仕立てられた絵画は、底抜けに明るい。

時代の差から考えてみても、こんな展示でなければ西念の遺品と同じ一室に収められることはなかっただろう。しかしそんな作品たちがすぐ近くに並んでいたからこそ、時代や信仰の濃淡を超えて、四天王寺が人々の心を受け止めてきた様子がありありと伝わってきたのだと思う。

『扇面法華経冊子』なんて、まあ太子と関係ないっちゃないのだけれども本当に見事で、このお祭り感の中で一層華やかだった。感想メモには「ヒュー」と書いてあったんだけど、それこそヒューヒュー言いたくなるようなさすがの華やかさだった。

真面目顔をして、思い詰めるだけが信仰じゃない。

 

 

そう思えたところで最後、第四章「近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ――つながる祈り」へとつながっていく流れが、とても見事だった。

前回の刀剣の展示のときは、この部屋の細長い作りが三所物の展示とは噛み合ってない(まあ少なくとも違和感は感じさせる)といっていた私だったけれども、今回は細く長くのびていく部屋のあり方が、そのまま現代、未来へ続いていく時間のあり方のようで、とてもよかった。

 

まぁ個々の作品について言いたいことはほかにたくさんある。多すぎるくらいあるが、それは次の記事に回すとして、今回はこのあたりにしておきたい。

 

 

 

大事なのはこの子の未来ーー『バクちゃん』を読んで

※増村十七『バクちゃん』全二巻のネタバレを含みます。

※とはいっても未読の方でもあまり支障がないように書いたつもりなのですが、特に既読の方向けかなと思ったところは、脚注にまわしています。

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サントリー美術館「刀剣 もののふの心」展をみた

表題のとおり。感想です。

ふだん美術館の感想などはもっと簡単に書いてしまうことがおおい。なぜなら、だいたいのことは展示リストに書き込んであって、文章化する必要がないからだ。文章化するとしても、ツイッター程度の短文で事足りるからだ。

ただ今回は、刀剣という見慣れないジャンルが中心に据えられている。短文で事足りるのは、自分がある程度そのジャンルに慣れていて、まとめることができるからそうなのだ。今回は無理だ。

だからもう、ブログに感じたこと、考えたことなどをそのまま書いてしまおうと思う。

おそらくただの日記になる。けど書かないと忘れてしまう。

 

それから思うがままに書くのでたぶん文体がデス・マスになったりダ・デアルになったりフラフラします。こういうので大切なのはなるべく思ったこととか記憶していることを歪めずに素早く書くことなのです。推敲なんてしないもん。

間違いもたぶんふつうにいっぱいありますが何卒ご容赦ください。

 

こんな感じでなるべく展示室の順番どおりに思い出していきたい。

 

 

入り口

今回現金を忘れたので、急遽電車内でクレカ決済する。

サントリー美術館は好きな美術館なのだが(ここの所蔵品にふたつとても好きなのがいて、その作品と離れたくないがために閉館まで粘って泣きながら帰ったことがある。ヤバい。)、実はリューアル後は一度も来ていなかったので、ちょっとどきどきである。

 

でも来てみたら、特段前と変わらない設え。

私としては入るやいなやすぐロッカーに荷物を預け、鉛筆とスマホだけ手に持っていって、わりとまあ見慣れてる感かもしていたつもりだったのだけれど、受付の方には「お客様○○ですか?(聞き取れなかった)はじめてですか?」と聞かれてしまった。

うう……たしかに長いこと来なかったけど、私だって昔はあなたと離れたくなくって泣きながら帰ったこともあるのに……末摘花に忘れられてた光源氏の気分だ、ざまあねえ……

なんてことはもちろん言わずに、「新しくなってからははじめてです」と答えた。

お互いの頭の上に?が浮かぶ気配がしたが、とりあえず受付の方は笑顔でエレベーターに案内してくれた。ありがとうございました。

 

 

四階

第一室 「絵画に見るもののふの姿」

まずはNO.5屋島合戦図屏風。右隻上方に、紅の幔幕をめぐらせた屋形の舟がある。紅なので平家方。

そしてその屋形のうちにはみずらを結った子供と女房がいて、屋形の外につきそう男も、武装しているが立鳥帽子。まわりの揉烏帽子の者たちに比べると、ちょっと身分がありそうな感じ。

これは、やはり安徳天皇でしょうか。わりと、絵巻物なんかでは天皇をもろに描くのを憚って描かないのをよく見るので、しっかり全身顔貌まで描かれているこれにはちょっと驚き。

画面下方には那須与一と扇。この画面構成だと、この場面で与一の弓は安徳の天覧に供されていたことになるのでしょうか。

左隻は義経の弓流し。右手の太刀で熊手を防ぎながら、左手の矢で弓を引き寄せる。滋籐ってやつかな。よく見るやつですが美しい弓です。これは軍記物語を先に読んでいるからかもしれませんが、全体に、太刀ってサブウェポンなんだなあ、という印象を受けた。

 

NO.7平家物語図扇面。とても小さい扇面!こんな小さい扇を使えるのはお人形さんくらいです。デザインとして扇面を選んでいるだけで、本当に扇に貼る用ではもちろんないですね。

絵の具の色がとてもビビッド、状態もよく、実に繊細な作品でした。

いろいろな場面が描かれますが、騎馬武者が太刀を抜いているのは、「つねまささいご」の場面、左右から二人の武者が向き合いいざ戦おうとするところだけのように思います。あとは弓。太刀や薙刀は徒歩の者ばかりです。

安徳天皇二位の尼の身投げの場面、私が単眼鏡を持っていないのでわかりませんが、おそらくやはり安徳の顔は描いてありました。

安徳の顔を描けるのは子供だからなのか、朝敵となったからなのか、色々可能性がありそうでわかりませんが……いやー……こわい……

安徳というのは、その諡号からしてもわかるのですが、怨霊となって祟ったと信じられていた天皇です。徳の字のつく天皇上皇というのは崇徳・安徳・顕徳(後鳥羽)・順徳で、どれもこれも戦に敗れて流罪になったり恨みを呑んで死んでいます。

あるいは、そういう存在だからこそ他の天皇にするような配慮をせずにもろに顔を描けるのかもしれませんが、でも逆に、そういう存在だからこそ適当に扱ったらまた暴れない?大丈夫?怨霊シリーズの中でも特に安徳すげえ怖くない?いいの?ってなんだかドキドキしました。

(自分の野心で死んだ天皇上皇に比べて、安徳は自分では何もやってない上に幼いから、一層ひどく祟りそうだし、何をしてやったら気持ちが収まるとかもなさそうで…)

 

【追記】

こちら手鑑《尾陽》のうち、とのこと。私が知っている手鑑というものは古筆手鑑、すなわち昔の名筆とかをちょっとずつ貼って集めたアルバムのようなものです。

切手のコレクションと同類扱いしたらあれですけど、まあその切手のかわりに、聖武天皇とかから始まって昔の人が書いたものの断簡や短冊を集めて貼るものです。

それは当然書を見るものなので、絵が入っているものがあるなんて知りませんでした。てっきり、私が知る手鑑とはまた別の手鑑というものがあって、《尾陽》はその一つなのかなと思っていたら、どうもこれも古筆手鑑のようです。

どうしてこんな絵が入ったんでしょう、気になります。

ついでに書き足すと、この小さな小さな扇面からは、以前みた居初つなという女性の絵本作家の作品を思い出しました。彼女の作品も本当に細やかです。

今回は『平家物語』で、ちょっともともと男性向けに作られた物語かなという気がしますから、居初つなと軽率に結びつけてよいのかわからないのですが……

こちらに紹介があるのでとりあえずリンクだけ貼っておきます。

www.athome-academy.jp

 

NO.1前九年合戦絵巻。絵が!下手だ!!

いやこれは批判をしているのではなくて、NO.7みたいのとは明らかに性質が違うものだなということです。いや下手というよりは細かくない、荒々しいといったほうがいいのかなあ、迫力はあります。巧拙の違いというよりも、ジャンル、時代、想定している鑑賞者の違いをまず想定すべきかもしれません。

そもそも絵の上手い下手は私にはわからないのですが……まあでも、仮に下手な絵であったとしても、私にとってそれは必ずしもマイナスとはならないです。

 

言ってしまえば、NO.7みたいに小綺麗なもののほうが普通に世の中には多く残っているわけで(時代的にそちらのほうが下るというのもありますが)、こういう様式化された美しさを目指したものじゃないなとわかる作品や、下手をすると絵師の作ですらないのでは、と思える絵の方が見るとおおっ!!となります。

絵師じゃないのに描く、となったら、それはよっぽどの描きたいという気持ち、たとえば何とか後代に残し伝えたいという思いだったり、信仰心があったりするのでしょうから(ちなみに、私を泣かせたサントリー美術館の所蔵品のうちの片方がまさにそれです、『かるかや』の絵巻です)。

今回の場合だと、特に弓なんかのただの黒い線をにゅっと伸ばしたようなかんじが印象に残りました。それから、私がみたとき開かれていた場面の中で、最初の紙の継ぎ目あたりにいた、妙に黒っぽい色の肌の男性。

この作品は一体どういうわけで描かれたものなのでしょう。そもそも合戦を絵画化するとはどういうことなのでしょう。図録の解説もっと見てくればよかったです。

 

ちょうど奥書?とよんでよいのかな、それが見える巻軸のところが開いてあったので書き写してきたのですが、たぶん、たぶんですが、こんな感じでした。

右義家武者絵入巻物

土佐中務光弘真筆無

異論者也仍証之而巳

元禄二暦

 閏正月上旬

  法眼常照 〔藤原〕

最後の「藤原」は墨印です。陽刻の方印でした。で、調べてみると、法眼常照とは土佐光起なのですね。「藤原」印を使っていたことも確認できますし、元禄二年段階で生きているので、まあこの人とみてよいでしょう。

この奥書はわりとかれの晩年に近い頃の筆跡となるでしょうか。さっきの奥書に言っていたのは「右の義家武者の絵入り巻物は、土佐中務光弘の真筆にて異論無きものなり、仍ってこれを証するのみ」、つまり、この絵の作者は土佐光弘だよ!私が保証します!って感じですかね。

うーん……さっき私が絵が下手くそ!って言ったのがすごく不安になってきます。同じ土佐を名乗るなら血縁……?同門……?

えっ……えええ…………(不安)

 

 

第二室 「祈りを託された剣と刀 古社寺伝来の刀剣」

NO.66菊紋蒔絵毛抜形太刀拵光格天皇佩用とのことで、黄金づくりの復古的な姿です。あちこちに十六弁の菊花紋。革緒にもやはり菊と唐草らしき刺繍が入ります。

が……あの……他を色々見て回ってから二周目で見てみると、正直、しょぼい……

ああ、朝廷にはお金がなかったんだなあ、としみじみ思いました。

でも、それでもこの古式ゆかしい、院政期頃以前の太刀の姿をつくりたかったのですね。

 

NO.64太刀 銘大和則長。こちらは後西天皇ゆかりらしい?とのこと!私このひとすきなんです。このひとがいなかったら今の世に伝わらなかったであろう書物がたくさんあります。

やはり十六弁の菊花と葵を交互に配した金地の蒔絵の鞘。たぶん平緒でした。

たぶんというのは、自分のメモに「紐や箱をみると文も太刀も変わらない」といういささか飛躍した言葉しか残っていないからです。たぶん、この鞘に取り付けられていた平緒の紐が、たとえば文書を保管するのに使われたりする平組の紐と、色使いとしても組み方としても遠からぬもののように思えたので、それで、なんかじーんときてしまったのだと思われます。

このじーんはこの後何度も私を襲うことになります。

 

NO.65太刀(銘は長いので略すごめん!)。こちらは後水尾院上覧!後西のダディ!刀工は堀川国広、もとより八幡宮に奉納のために鍛えたとのことです。

後水尾はそのできばえに感激し、拵を与えた……?のかな?キャプションでは「添わせた」みたいな言い方がしてあったかと思います。まあとにかくその拵えは、でていませんでしたが、金梨地に鳩文とのこと。

鳩なのは八幡宮に奉納したからなのでしょうが、ちょっとみたかったな……ぽっぽーかわいい……

関係ないですが、昔は鸚鵡の太刀なんてのもあったようで、なんか刀は鳥と相性良さそうな気がして気になっています。

中国の故事で山鳥の剣……とかもあったっけ?ますます関係ない。けど備忘に書くだけ書いて次にすすみます。

 

NO.88黒漆太刀拵は享徳二年のもので、春日大社に戦前までは奉納されていた太刀とのこと。太刀拵の先端というのかな、刃の先がくるあたりと、中央あたりがややこすれたような痛みがあるのがおもしろかったです。どうしてそういう痛み方をするのでしょう、こすれるのかな。

いかにも革に漆を塗ったのだなあ、とわかる風情。

古いものではないのであんまり適当なことを言ってはいけないのですが、武士や僧兵が使ったという黒漆の拵えってこういうかんじかあ、というのを想像させてくれるような気がしました。

 

NO.89クリス。なんとインドネシアの刀剣!えー、『鬼滅の刃』の伊黒小芭内さんの刀をちーさくして、蛇行するのを先端だけにするとこういう感じです。先端に火のあとがあるので祭祀に使われたのではないかとのこと、なのですが私のメモにはどこでの祭祀に使ったのかが抜けてます!石清水八幡、だっけ……?忘れてしまった!

まあ、ジャパニーズピーポーが舶来の刀を祭祀に使うのは、古墳ができる前の時代から変わらないのだなあ、と思います。

 

NO.67 銘 無名 附黒漆宝剣拵。国宝、大阪金剛寺蔵。

両刃です!二尺を越す長さ、キャプションには平安時代とあったかな。きっと珍しいものなのでしょう。状態もいい、のかなあ、いいんだろうなあ。いやあ、だいぶん迫力がありました。

木像でよく見る不動明王とかが持っている剣ってこういうのだったんだ、と思うと、一気に世界(の一部)の解像度があがった気持ちです。

これを見られたのはたぶんすごくよい体験だったのだろうなあ。その意味や価値は、これからの私が見出していくことになるでしょう。経験とはそういうものだと思います。とりあえず展示してくださったことに感謝。

 

NO.68三鈷柄剣。小さな剣で、独鈷から剣が生えてきたような独特の姿をしています。これが16世紀のものなのだそうですが、高山寺には鎌倉初期の明恵所持と伝わっているとのこと。

いやいや……明恵何年生きたんよ…無理あるよ…ってちょっとニコニコしてしまったのですが、一方で私は、こういう信仰と伝承のあり方がとても好きだったりします。

 

NO.90薙刀 銘是介。13世紀。おそらく製作時の共金であろう、鉄のはばきが付属している点でも、古の様相を伝える貴重な例とのこと。

実は刀剣類の中で、一番いいなと思った作品がこれです。私は刀を鑑賞した経験に非常に乏しく、まあ一応刃文がどうとか若干勉強したにはしたものの、いまいちよさがわかっていませんでした。

今回の展示は非常に刃文が見えやすかったです、ライティング等に相当の工夫があるのでしょう(頭が下がります)。とはいえ素人すぎて「刃文が見えるなあ」という感想にわりと収まってしまっていたのですが、この薙刀はそうではなくて、「今、この刃文が見えたことは、何かとても大切な体験だった」と思わせてくれたものでした。

具体的には、刃先から、どのくらいだろう……はかりわすれたけれど、まあ少なくとも10cmは離れていたくらいのところに、逆丁子というのかな、波のような模様が三つ並んだところがありました。私はこの薙刀の刃を、持ち手側の方から刃先のほうへと向かって歩いてみていました。そうして小刻みに動く刃文が、やがて揺れ定まったのちに、この整って大きな三つの波が現れました。

そこにさしかかって、私はもっと見ていたいと思う自分を発見し、刀剣への恐れを抱えてもなお見入っている自分を発見し、その小さな三つの模様に、いろいろな記憶や思考、感覚を喚起されている自分に気が付きました。

この感覚は、刀剣の類を見ているなかでは初めてのことだったと思います。

 

NO.69黒漆剣。なんと9世紀!鞍馬寺所蔵で、寺伝には坂上田村麻呂佩用とあるそうです。

さびなのかな、腐食というものなのかな、痛みはありますが、まっすぐな刀身と細い刃がいかにも古くて、これは見入ってしまいました。薄い革の下地に黒漆を塗る鞘が付属するそうで、いかにも武士ですね、と思いました。

 

NO.92の菊紋の太刀(少しうろ覚えですが)は奉納された太刀で本当に大きい。きっさきも全体も大きい。さきにみた金剛寺の宝剣が二尺超えだったのとあわせて考えると、これは三尺に近い……?
ちょっとあまりに殺傷能力が高そうで、気持ちが悪くなってしまいました(迷走神経反射になりやすいので、恐怖を感じると気分が悪くなります、自分の意志とは関係なしに起こる生理的な反応です)。

三尺の太刀というのは史記の高祖伝だったかな、それに出てきて、『和漢朗詠集』なんかにも出てくるような名剣名刀のお決まりの文句なのです。が、実際にそのくらい(かもしれない)と思えるスケールのものを見ると、圧倒的に、怖い……!

いやあすごかったです。気持ち悪くなった、なんて言うとこう、嫌な思いをされる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は今日感じた恐怖とか威圧感を忘れたくないなと思います。それが、三尺という褒め言葉を支える要素の一つだと思うからです。

今日からは三尺の剣という言葉をみても、決まり文句では済ませられなくなるでしょう。

 

 

第三室 「武将が愛した名刀 武士と刀剣」

NO.70 太刀 銘有綱。義仲が討たれた際、巴御前がどうこうして粟津氏に伝わったという伝承があるという太刀。キャプションは平安末と言っていたか鎌倉と言っていたか忘れてしまいましたが、たぶん後者でした。私が日頃一番興味がある時代なので、見られてありがたかったです。

このNO.70,71にだいぶん時間をかけて見ました。

お腹のあたりに欠けがあって、これは使われていた刀なのだろうなと思いましたが、そんなことが嘘のようにきれいです。拵えもやはり黒漆とのこと。

 

えーと、今このブログでは第一室~三室と分けて書いてしまっていますが、実際の展示空間としては、この境目はかなりゆるいですし、ナンバリングもありません。展示品の中にも章をまたいで出入りしているものがあります。

実際に見ているときは作品リストの中から探すのが地味に大変だったりするのですけれども、こうやって書いていってみると、あのグラデーション様の展示空間はいいなあ、としみじみ思います。

 

NO.71太刀 銘 成高工藤祐経の子供の祐時佩用と伝わるそうで、頼朝が下賜したとのこと。成高というのは古備前の刀工で、頼朝が重用したのだそうです。

平安末とのことですが、いや、思っていた以上に大きく、特に手元のあたり、幅がしっかりあって、ものものしい印象でした。反りが、もうすごく人を斬れそう。

平安の刀って古雅とかいわれるみたいですが、私としてはこれが武者の刀か……と恐れ入っていました。このあたりでちょっとまた気持ち悪くなってNO.8平家物語絵巻に救いを求めた覚えが。

 

NO.8平家物語絵巻越前松平家伝来、17世紀だったかな、とにかく江戸前期とありました。全体にとてもきれいです。

光る刀身を表現したいのかな、刀を青く塗っているのも印象的でした。これ、現代の照明環境ではなくて、昔の、こういう絵巻物をもらって読んだであろう大名家のお姫様なんかの環境を再現して見てみたいです。きらっとして見えたりするのでしょうか。

まあ絵巻といったって軍記なのでお姫様が読んだかわからないですが、吹抜屋台(大和絵の屋根をとっぱらって描く描き方、室内描写が得意で、女性向けとされたジャンルの絵巻に多い)だった、気がするので(あんまり意識してなかった)……まあ女性が読んでも……

 

それから郎等、さらにいえば雑兵クラスであろう人の持っている刀はちょっと短く見えるのですが、物語内の時代(平安末期・鎌倉初期)よりもこれは打刀の時代に作られたという、絵巻製作時の時代(江戸前期)の様相を反映しているのかなとちょっと思いました。

それというのも、それらの刀が、のちのち出てくるNO.41黒蝋色塗鞘大小拵にすごく似て見えたのです。ビビッドなブルーの柄と、黒漆の革なんかとはちょっと違うような、深くムラのない黒の鞘……。

まあ実際のところがどうかは調べてみないことにはわかりませんが、とにかくそうかんじたのでメモしておきます。

 

それから、巻四、五、十だったかな?そのあたりがでていたのですが、巻十の詞書はそれまでとはちょっと筆跡が違うように見えました。本当にぱっと見の印象で、一文字ずつ比べてみたりはしていないのですが……大部の絵巻ですし、寄合書(何人かで分担して一つの書物を書くこと)でしょうか。公家の人などがお金稼ぎに筆を染めたものなのかな、わかりませんが、筆跡はどれもきれいでした。

巻四、五は同じ人っぽくて、いかにも江戸時代というか、室町時代の書風からそのまま進化してきましたというかんじ。巻十はちょっと神経質そうというか、字形の縦横比は巻四の人とそう変わらないきがするのですけど、はねたり止めたりするところの角張った雰囲気だけは、ちょっと鎌倉時代の書の雰囲気も帯びているかなあという印象を受けました。

これも素人のいうことなので、信じないでください……!

 

さて、刀剣のほうに戻ってきますと、最初に見て回っているときは、NO.71がとても見やすかったので、ここでちょっと鑑賞の精度がワンランク上がりました(気持ち悪くもなりましたが……)。

それを経てみたNO.72太刀 銘 □忠(名物膝丸・薄緑)。刀剣乱舞』で知っているお名前。

展示ケースが四方から見える使用なので、横からも見てみました。庵棟ってこういうことか、と納得。横からみると反りがよくわかりますね。魚みたいだ。

えっそれしか感想ないの?と思いますがメモには魚、と書いてあります。うーん……

おそらくこのあたりの刀剣を見ているときは、だいぶん怖かったみたいで……NO.71で見る目の解像度があがった結果、皮肉なことにかえってメモの精度が極端に落ちています。もう、本当に怖くて、たぶん手に力が入りにくくなっていた。

特にNO.73名物 二ツ銘則宗の記憶が見事に飛んでいる。何も感想がないということはなかった、としか覚えていない……。なんというか、ただただ圧倒されていました。

 

NO.79短刀 銘吉光(名物秋田藤四郎)

こちらも『刀剣乱舞』で知っています……が、小さい!細い!ちょっとびっくりしました。多少は研ぎ減っているのかもしれませんが、本当に、華奢です、こんな刀で何から何を守ろうというのか……梵字の彫りを見ているともう切なくなりました。

刀が祈りの器になるということが、いまいち腹落ちしていませんでしたが、こちらを見たときにはちょっと切実でした。

 

立派な折紙もついています。本阿弥家の人だったかなあ。こういうのを見ていると、やっぱり江戸時代なんかには文と刀、あとお茶碗とか茶道具の類は、全部同じカテゴリーの中に入ってるんじゃないかなあと思います。

後でも書くと思いますが、極めの付け方とか、集め方とか、箱とか、あまりにも似てます。ただお値段がついてるのはやっぱりちょっと文とは違うでしょうか。

 

NO.72名物膝丸に付随する白鞘とGHQの書類と何かの文書もNO.8平家物語絵巻の横に展示されていました。こういう展示は本当にありがたい!!物をみられるありがたさを強く感じます。

が、この文書、なんか不思議でした。使ってる紙は、わりと質の良さそうなものに見えましたがどうかなあ。やや厚手で繊維が露骨に見えたりはしませんが、たぶんつるつるもしてない(打ったりしてつるつるにする加工はしてなさそう)、でもどうかな、あんまよくわかりません。

 

形状としては、現代で言うB4サイズの紙の長辺をまず半分に折り、それを今度は短辺で半分にして、もう一度半分にして正方形にしたのを、またさらに半分に折っています。一見すると折紙などにも見えるような折り方、のはずです(違ったらすみません!詳しくない!)。

が、そこに書いてあるのは来歴であって、鑑定ではありません。しかも、紙の表と裏、めいっぱい書いていて、ちょっと狭苦しい……

折紙を最初から最後まで書き込むと、一番最後に書かれた部分が折ったとき一番表に出てきてしまうので、ちょっと不格好です。一番表に出るということは一番痛みやすい面になるので、来歴の最後の部分はずいぶん擦れてしまっています。

体裁を整えたいのか整えたくないのか、どちらなんでしょう。なお、筆跡が一貫しているので、少しずつ書き足していった結果紙が足りなくなった、というものではありません。

 

何より来歴とかを書くのであれば、誰がいつ書いたかもある程度重要になるはずです、前九年合戦絵巻の場合のように。その署名が内容を保証します。

ふつうの本でも書写年次くらいは書いたりするのですから、いつ頃書いたものかくらい最後にあってもよさそうですが、なぜかない。書いた人があまり名のない人だったとしても、せめてお寺の印を押せばよいのに、それも押さない。うーん何を目的に作られた文書なんだか、なんだか不思議でした。

書いている人の立場も謎で、「大僧正性演」の名の右肩に「安井門跡中興祖」と書いてたりします(本文部分と同じ筆跡なので、後代に追加された注釈とかではないはず)。うーん、身内が身内に向けて書いたものならばこんな説明はいらないし、たぶんしない。「勅」の字や「宣旨」という単語の前に、敬意を表すために一文字スペースを開ける平出もやってます。

要するに、正式な文書のようには見えないのですが、ただ伝承を記録する内向きのものにしては、ちょっと対外的な目を意識しすぎている気がする、という印象です。

ちょっと中途半端に格式を見せようとしたものなのでしょうか?よくわかりませんが、場合によってはあんまり古くないのかもしれません。

キャプションでは「文書」と呼ばれていましたが、ほんとに文書としか呼びようがない感じでした。なにものなんだ。

 

 

お部屋不明のみなさん

以下は、ちょっとどの展示室にあったか記憶が曖昧ですが、とにかく感想を書きたいので書きます。印象に残らなかったから忘れたのではなく、作品ばっかりを覚えてしまって、場所が記憶に残らなかったのです。

 

NO.33 縹糸威胴丸 兜・大袖付

これは、ちょっと泣いてしまいました……!室町のころのものとのこと、たしかに右のNO.32の、平安の頃の大鎧を模したものに比べると、腰回りの守りがきっちりしていそうです。

で、なぜ泣いたかと言うと、兜の中央に「八幡大菩薩」という言葉があったからです。それだけです。それで泣くのか、と思いますが、それを見たとたん、何というのか、この兜やこの言葉に込められた祈りみたいなものを感じてしまって、泣けました。

この兜をかぶる人が無事に帰ってほしいという願いなのか、勝ってほしいという願いなのか、この戦の果てに、人の世が報われてほしいという願いなのか、全部か、はたまたいずれでもないか、わかりませんが……とにかく泣けました。

 

私は古典が好きなものですから、どうしても右寄りな政治思想にくみすることができないので(古典というものは、自称日本がすきな人たちにどれほど好き勝手に踏みにじられてきたことでしょう)、八幡神信仰にはちょっと警戒心を持っていますが、こういう祈りに感動する自分を排除するとかえってあやうい方向にいくかなと思いますので、そういう自分がいることを認めた上で、まあ、その辺の別をつける冷静さというか、そういうものを持ちたいなと思います。

 

まあそれはともかくとして、その八幡大菩薩の祈りを思いながら、胸元あたりの鷹の羽文かな?(よく見えなかった)何か細やかな金属細工だったり、革に染め出された唐獅子牡丹とかを見ていると、本当に、こういうものを身に着けて戦っていたのは人間だったのだ、物語の世界じゃないのだと思って、しみじみと、その胴の丸みだとかを眺めていました。

NO.34も室町のころの胴丸で、室町の典型的な作例だそうです。胸元の唐獅子牡丹はNO.33とおなじでした。こちらは腹の下に巻かれた組紐、たしか丸組だったかな、それの結び方が現代きもののいわゆる帯締めの結び方と同じで、やはりはっとさせられました。一方胸あたりの紐は平組で、なんだかお茶道具とかをしまうときみたいにこちゃこちゃ紐をかけて結んであるのです。

これを見ていると、これの持ち主は私と同じ人間だった、と思うとともに、でもその人間も、あんがい物と変わらないよな、もともと和語では「者」と「物」と区別しないのだよな、と思ったりもしました。

 

さいご、このあたりもちょっと展示室が違うかもしれません。

NO.41黒蝋色塗鞘大小拵はNO.8のところでも言及しましたが、とてもビビッドなブルーの糸をつかねたのに、ただただ真っ黒な鞘を添わせます。

これは様式化されたもので、それだけに工人の腕がでたとのこと。率直にいえばとてもつまらないです。そしてこれだけつまらない拵えならば、道理で三所物なんてものが発展するわけだと思いました(こちらにも笄かなあ、付属しているのが見えました)。

そしてまた、毛抜形太刀だのなんだのしていた頃とは、明らかに、装飾を見る際の距離感が変わっているのだろうなと思いました。三所物というのは、本当にびっくりするほど小さかったです。あれを見る距離感と、梨地の蒔絵の鞘を見る距離感というのは、違うでしょう。

こういう違いがあらわれるということは、人間の、刀との付き合い方、生活のありようも変化したのだろうなと思いました。日本史がわからないのでよくわかりませんが、これから勉強します。

 

NO.43有職衛府太刀拵鎌倉時代から儀仗化した衛府太刀の拵えを復古的にもしたもの。メモがちゃんと残っていませんが、次のNO.44が池田家伝来なので、これも同じ池田家かな、忘れましたが大名家であることは確かだろうと思います。

これが本当に実に見事で、一番最初に見た光格天皇佩用の太刀のショボさを浮き彫りにしてくれました……。

いや、素人目なので、本当は光格天皇のそれのほうが評価が高いのかもしれませんが、とりあえず私の目には、NO.43の彫刻の方が段違いに細やかに見えました。青みの強い螺鈿細工の有職文様も、沃懸地だったかな、梨地だったかな、忘れましたが金色の地にはえて本当にきれい。何よりこまかい!

近世の人の平安朝への憧れって面白いです。

 

NO.44魚鱗包鞘脇差は池田家伝来。(キャプションいわく)登竜門の故事を意識したのか、ビッグ鯉のうろこを集めて鞘に貼るという……。そうとう個性的なもののようです。なんとなく、私がNO.72膝丸をみて魚みたいだと思ったのを思い出したりもしました。

この池田家というのが岡山の池田なら、あの大包平を持っていたのと同じところということですよね。大包平もちょっと異色というか、個性的な作とのことですが、それとこのNO.44は通う所があるのかな、と思ったりもしました。

 

NO.10堀川夜討図・大森彦七図色紙貼込屏風

これも面白くてわりと笑っちゃった(マスクがあって助かった)のですが、それだけに場所の記憶が曖昧になってしまった作品。

右隻は頼朝の命で義経に夜討を仕掛けにいく土佐坊昌俊の場面。なんか義経って、図像学的に固定されたイメージあるのかな(業平、西行、人麻呂とかみたいに)、わりとこいつやなってすぐわかりました。

なんかそばに女武者みたいなのがいたように見えてしまったのですが、ちがいますよね……?髪をおろしてる郎等ですよね……?わかりません。静は戦わぬぞ。

 

さて右隻以上に、面白かったのは左隻です!

これ、正直全然元ネタがわからなくて、かつ屏風の中には詞書とかがないのでさっぱりストーリーがわかりません。色紙の中にはもとは人物が小さな長方形の紙片に書かれて貼られていたような痕跡がありますが、左右とも剥がれているので謎です。

謎なのですが、最初のほう、どうも寝てる貴人のところに霊託らしきものがあった模様。そのときのもくもく白い雲に乗っている二人のみずらの子供とか、興味深いけどやっぱりこわい……!聖徳太子像みたいな感じもしますが、やっぱり子供って古典においては何かこう霊的な存在なんだなと(そして最初の、安徳の顔もろに描くのなんで?につながる)。

 

そしてその後、怨霊らしきのが黒雲にのってくるんですけど、御輿、鬼、騎馬武者の取り合わせが雲に乗ってるのすごくおもしろくて!わかるようでいてわけわからん。現実と幻想が変に入り混じってるような印象です。怨霊というものをどうやって生々しく視覚化するかという取り組み、今はちょっと疲れすぎていてもう言葉が出てこないのですが、見入ってしまいました。

その後、話の展開はよくわかりませんが、一番最後はふつうに女房が談笑しているので、平和になったようです。怨霊は退けられたのでしょう。

ただその前の場面では、僧侶たちが修法を行っている頭上で、黒雲の上で騎馬武者が戦っていたり(護法童子が戦うとかでなくふつうに騎馬合戦になるんかーい!)、黒雲がない、現実世界の空間のように見える室内で鬼がふつうに悪さをしていたり(黒雲の外にも出られるんかーい!)、ふつうに怖い女?の首が浮いていたり(なんで!)、何がどうしてそうなったのかよくわからない場面と、恐るべき非日常をなんとか描こうとする表現の工夫のオンパレードで、本当に楽しかったです。どうやってあの状況から女房が談笑できる場面にいったのか、全然わかりません。

物語を理解したうえで、もういちどじっくり見てみたいものです。

 

その恐るべき非日常が怪異ではなく、100%人間の恨みに起因しているらしい(キャプションによれば、楠木正成の怨霊とのこと)のも面白いです。

また楠木正成という人は後代どんどんまあ、あれなイメージが付与されていくので、そうなっていく前の、それこそ怨霊になってしまうようなかれの表象があった、というのも面白くて、やっぱりこの話は読んでみたいです。

 

三階

階段下の部屋 「祭礼と刀剣 祇園祭礼図を中心に」

なんか論文みたいなタイトルだなあ。いいですよ、嫌いじゃないです。変にキャッチーにしようとするのよりよっぽど好きです。

私はサントリーに来るとたいてい長居して疲れてしまうので、よくここの階段下のコルビュジエで寝てました。健在で何よりです。

ただ今回は寝ずにしっかり見ました。

 

NO.76 薙刀直シ刀 無銘(名物骨喰藤四郎)NO.75刀 金象嵌銘(銘略)(名物義元左文字の箱と白鞘が置いてあったのはありがたい!ともに明治のころ、徳川なんとかさんが作らせたものとのこと。

特に骨喰藤四郎の箱にかかっていた緑の丸組の紐は、同じようなのが帯締めでありそうでした。また最初のNO.64太刀 銘大和則長の太刀の平緒にも、だいぶん既視感がありました。

帯締だとかの組紐の名店として名高い道明さんでは古い組紐の調査復元などにも取り組まれているのですが、そちらの展示で似たようなものを見たような気がしたのです。

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胴丸の緒も同じような印象でした。

これら、刀の箱の緒、太刀をさげる平緒の緒、胴丸の緒と、私が今までに文や茶道具なんかに使われているのを見たことがある紐や、自分自身の体に締めたことがある組紐の類いろいろなんかを思っていると、本当に、文と、刀と、茶道具と、そして人、この紐というものを接点として全部地続きなもののような気がしました。

下手をすると、同じ命あるものである動物よりも近いくらいに。

そしてそういうところから、百鬼夜行とか、付喪神とかも生まれてくるのかな……とちょっと思ったりもしました。

(念のため書き添えますが、ここでいう付喪神というのは『刀剣乱舞』での世界のことではないです。)

 

 

NO.83太刀 銘豊後国行平作。厚みとしては上の部屋のNO.72とかとそう変わらないように見えたのですが、研ぎ減っているって本当かなと思ったら……ほんとだ!龍がいない!

いや、びっくりしました。古刀って、本当はどのくらいの厚みと幅を持っていたのでしょう。こちらの太刀はどこがいいというのではなしになにとなく感じがよかったです。

 

NO.82祇園祭礼図屏風。実は上の階の平家物語絵巻をみているとき、左から右に見る人が多すぎてちょっと困り、イライラしてしまいました。

絵巻物というのは右から左に読みます。文字が右から左に書いてあるのですから当然です。さらにいえば、無限に巻物をコロコロ広げられる部屋などあるはずがないので(あるかもしれませんが、そうすると読む側が広がっていく巻物を追いかけて移動しないといけません)、巻物というのは読みたい範囲を読み終えたら巻いていくものです。

そういう読み方を考えたら当然右から左に見ていくはずのものですし、さらにいえばその肩幅程度展開されては巻き取られて消えていく、その動きを想定しておかないと、絵師が狙った効果とかも考えられないはずなのですが、なぜ、逆走する……!

それはまあ、部屋のデザイン的に、四角い部屋ではどうしても順路と作品の方向が逆になってしまう箇所ができてしまうからなので、仕方ないのですが、なぜそういう現象が起きやすい場所に大部の平家物語絵巻を置いてしまったのだ……!

ともやもやしていたのです(気持ちが悪くなっていたのもあるでしょうが)。

 

ところが!このNO.82は左から右に見る作品でした!!屏風ですが、屏風でも基本は右から左、上から下に見ていくはずですから、いや、びっくりです。

キャプションによれば本作はもと襖絵であったものを屏風に改装したとのこと、もしかしたらそれが影響して左から右に動くのでしょうか。

それにずいぶん気を取られてしまいましたが、町の人々の生き生きとした風情、もっと見ておけばよかったです。いかにもモテそうなお兄さんとか左のほうにいました。それしか覚えてない。

 

 

NO.80長刀 銘(長いので略)祇園祭の御輿にたてられる鉾。この階段下の吹き抜けスペースの高さを存分に生かした展示で、これはありがたかった!

そしておそらく、今回の展示の中で唯一、さびたそのままの姿で見せてもらえたものです。横から見てみると、刃先はまっすぐじゃなくてちょっとひねりが入っているように見えました(角度の問題かもしれない)。

これを行列の先頭に押し立てて、刃を前に向けて練っていったなら、それは魔のものは恐れをなすであろうよ……と思いました。

実際私は太刀にビビりまくって数度気持ちが悪くなっているので、破邪の力とかにもうなずけます。といってしまうと私が邪の者になってしまうのですが……そんな中二病はあんまりならなかったはずです……

最初のほう、平家物語関係のものを見てた時にも騎馬武者は弓だと思いましたが、やはり太刀って対人用のメインウェポンではないよなあ、とつくづく感じました。

 

 

つぎの部屋 「躍動するもののふのイメージ 物語絵と武者絵」

突然布を使って空間を仕切り始める展示室。じつは最初の第一室でも、布になんか展覧会タイトルとかを投影するという凝ったことをしてましたがそんなに目立たせてはいなかったように思います(私は二周目で気が付きました)。

今度は投映するのではなくて、大きな布に酒呑童子とかの顔をバーンと印刷してあります。なんだろう、これは、祇園祭からの流れで、太刀が相手取るものってこういうのだよ、っていうのを印象づけたいのかなあ。

もしそういう意図だったなら、こういうキュレーションの匙加減は好みです。自分たちとしてはこういう流れを作っておくし、ちゃんとそれも示すけど、そうじゃない見方をする自由ももちろん十分に確保しておくよ、気づかなかったり、気づいてもなお別の見方をしたいというのであればそれはそれでいいよ、あなたを尊重するよ、みたいな。

いや全然そんなつもりじゃないかもしれなかったらごめんなさいなんですけど……とにかく私は楽しかったです。感謝です。

 

NO.16小敦盛絵巻

Google 日本語入力ちゃんにコア積もりと変換されて私は怒髪天を衝きました。即抑制単語ゆきです。一語として変換してないのですからそれもあんまり意味がないかもしれないですが……

展示リストのメモには「敦盛がロリ。改装ではない」とあります。改装ではないというのは、紙の継ぎ目に字がかかっていて、かつ折り目があまり見えないので、たぶん冊子を絵巻物に直したのではなく、もともと巻物だったのではないかな……ということですが、あんまり自信がありません。

敦盛がロリっていうのは、熊谷直実に敦盛が首をとられるシーンだったのですが、服装といい体格といい、あまりに小さく、子供のように見えたのでそう書きました。若武者といったってだいぶん強調されているように思えます。

そもそも小敦盛という物語の主人公は敦盛の子供で、お父さん恋しさにあれこれあって、結局一の谷まで旅をします。そのくらいの年の子がいるという設定なのに、これじゃ敦盛自身が子供のようです。

うーんなんでしょう、日本文化の中にあるこの小さいものへの眼差しってちょっと気になります。

と打ったあたりで、熱盛と変換されてしまったのに気がついたのでこれも即NG行きです。ゆるさないぞゆるさないぞGoogle 日本語入力。大事なことを考えられそうだったのに!

 

NO.27和漢準源氏 末つむ花 無官大夫敦盛

言いたいことはただひとつ。美男化が著しい敦盛、実際この作品でも美しくえがかれている敦盛が、末摘花担当なのはなぜ?!身分でいえば末摘花は宮家のおひめさまですし、わからない……

もしや紅顔の美少年的なところから紅、ですか……?それとも平家の武者だから紅?この作品の全体を見てみないことにはセレクト基準はわからないでしょうね。

 

NO.14綱絵巻

借り物の太刀膝丸を鬼に取られてしまう渡辺綱の話らしいです(あってるのかな?)。

すごく面白かったのは、鬼とともにある雲だかつむじかぜだかの表現です。黒い○がぐるぐるうねうね、ラーメンのお皿の模様みたいに、というよりはゴッホの《星降る夜》みたいになってます。

鬼という、常識的には目に見えないものを視覚化する試みって本当に面白い!

なかなか精緻な絵巻で、太刀は毛抜形かな、細かい装飾が金銀か何かで描き込んでありました。

おなじみ酒伝童子絵巻と並んでいましたが、あちらの荒々しさとはわりと性格が違ってそうな印象です。

 

さいごの部屋 「絵画に見るもののふの暮らし 武家風俗画の世界」

実はけっこうここがお目当てでした!

 

NO.57調馬・厩馬図屏風

多賀大社所蔵、重文。面白い絵でした!

右隻では茶坊主(まじでお茶をたててる坊主)がいて、小姓なのかな、何かな、前髪はおろしてなかったけど、まだてっぺんしかはげにしてなくて、前髪に当たるところに黒髪が残っている(なんという髪型なんでしょう)、わりと華やかな着物の若い人たちがお茶を運んでいました。

さっき茶道具と文と刀って同じカテゴリーに入るのでは的なことを言いましたが、この絵もなんとなく、茶と武家の文化の近さを感じさせてくれる気がします。

お茶に詳しければもっと色々考えられたのでしょうね……せめてお茶碗くらいは色とか形とか見ておけばよかったのに、私はもうそろそろ疲れててあんまり覚えられてません、不覚。

 

お茶を運ばれた主人は庭のほうをみやっています。そこには元気な暴れ馬たちと、それを乗りこなして門の外へと駆けてゆく郎等?たち。その、屏風をみるときの視線の動きと画中の人々の動きが心地よく噛み合うので見ていて楽しかったです。

左隻は元気な馬たち!一番右の子が気弱そうでお気の毒、左の方の子たちはたてがみおしゃれしててかっこいいです。

しかしこういうものを室内に飾るのって、どういう感じなんでしょう。中なのか外なのか、日常的なのか非日常なのかよくわからない、不思議な空間が生まれそうです。

 

NO.59,60職人尽図

前者は屏風。後者は額装ですが、もともと屏風であったのを額装したのではないかとのこと。

ミニアチュールとはいいませんけども、細々した人間どもの細々した暮らしが主題なのに、どうして(そこまで大きくないとはいえ)屏風というものに仕立てたのか、ちょっと不思議に思いました。

これが室内にあるとシルバニアファミリー感覚で楽しかったりするのかな、枕元に立てて、案外身近に見てたりするのかな、あそこの職人って何やってるの?って会話が盛り上がったり、教育に役に立ったりするのかな。

 

この部屋は、NO.57や、NO.11平家物語忠度出陣図屏風を見るためには、ちょっと狭い印象の部屋でした。特に、この二点の大きめの屏風と、小さめのNO.59,60の間に挟まれて、三所物、つまりすごい小さい金細工があるから、よけいに混雑していて……。

でもその極端に小さいものと、小さいものをなぜか屏風にしたものと、それから大きな馬を大きく描いた大きな屏風のあいだを行き来するのは、不思議な視点の移動、スケールの伸び縮み、現実空間と物語内世界の入れ子構造が生まれるような気がして、面白かったです。

展示空間にはときどき疑問を持つこともありますが、信頼できる美術館ではそれがただのイライラの種になってしまうことは少なくて、たいてい何かを気づくきっかけになってくれます。こういう経験は本当に一人ではできないことなので、ありがたいことです。

 

NO.46宇治川合戦図三所物なんかはとくに、合戦時の騎馬武者のミニチュアでした。それが刀の飾りになっているってどういうこと……?!疲労がたまる頃なので、(展示の終盤という意味でも、この感想の終盤という意味でも)今は引っかかることしかできていませんが、ゆくゆくは考えたいです。

そのためにメモするのです。NO.47漢楚軍談図三所物韓信の股くぐりの目貫とかはチョイスが興味深かったですね。

 

それから、置いてあった位置に自信がないのですが、NO.93太刀 (銘は長いので略)は刀身にまで字をほっているやーつ。銀色のやーつ、と見せかけて朱色のやーつでした、私のメモの番号がずれていなければ。朱塗り?なんだったんでしょう。

字を彫っているとはいえ、内容としては奉納に際して丁寧に銘というかなんというかをほってるだけなので、不思議なことはありません。

それにつけても思い出されるのは千種有功という人のこと。私はこのひとが刀にごりごり和歌を彫りつけている、その営みはなんなんだろうとずっと考えています。

今回の例をみても、やっぱり有功のあれはちょっと異様だなあ、と再確認しました。いや刀剣の世界では全然異様じゃない、類例がいっぱいあるとかだったらごめんなさいなのですが……

倶利伽羅龍(NO.76骨喰藤四郎とNO.83豊後国行平を見比べられたのありがたかったです)や梵字の彫り物(NO.79秋田藤四郎)なんかを思い出しても、性格が違うな、と思います。

 

一番最後のNO.94太刀 (銘は長いので略)は、全然すれたあとがなくて、生まれたての刀ってこんななんだなあと思いました(※明治)。キャプションにもあったように、トリにふさわしいすがすがしさがあったような気がします。

こちらは展示リストの区分としては「祈りを託された剣と刀」の中にあった太刀です。これをトリにもってきたところに、また静かなキュレーションの意志と祈りを感じます(今も、目に見えない魔のものが、二年にわたって猖獗を極めていますね)。

声高に語ることをせずに、ただ太刀の姿に祈りをこめたのでしょうか。

私はだいぶん刀剣たちにびびってしまいましたが、私が感じていた恐怖とか威圧感には、意味があったように思います。特に、NO.92の菊紋の太刀のような、奉納のために打たれた太刀に対して恐怖できたことは、きっとその「祈り」というキーワードと無縁ではなかったような気がするのです。

いやあ、お疲れさまでした。私も、刀も。

 

まあ、もう疲れた。無理!推敲などしません!!!!

(といいつつちょっとだけした)

『ゴールデンカムイ』における〈勃起〉について 【後編】

野田サトルゴールデンカムイ』289話までのネタバレを含みます。本筋に関わることはなるべく書かないようにしましたが、谷垣、インカラマッ、チカパシについてはネタバレ大量です。

※申し訳ないのですがアイヌ語の表記が不正確です(環境依存文字のため)。

※アニメ版は未視聴です。以下の内容はすべて原作に即します。

※タイトルが出落ち気味ですが、真剣に書いているので長いです。長過ぎるので前・後編にわけます。今回は後編です。前編はこちら

 

後編目次

  • ②読者の目からみる〈勃起〉
    • 姉畑の性
    • 〈男らしさ〉と〈勃起〉
    • 作品と読者のコミュニケーション
  • ③〈勃起〉と立つこと
    • ひとりで立つ
    • 再定義と意志
  • おわりに:まとめと当事者性に関する懺悔

 

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