されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

本を読めなくなった私のための読書録 付ブログの効能

 ※タイトルの通り、私的な記録です。

 

 

 

私にも、本が好きだった時期はあった。

しかしその後、3年ほどかけて疲弊した。わたしがバランスを崩した、と強く自覚したのは、2015年の夏から秋にかけて、現美であったオスカー・ニーマイヤー展に行きそこねたときだった。

 

それから私は、3年ほどかけて回復した。私が再び本を読み始めたのは、2020年の冬である。私が回復してゆくのと、本を読む力が回復していくのとは、車軸に繋がれた両の輪のようだった。

その日々を忘れ始めている今、個人的な備忘と自己分析の場として、何を読んでいったのかを書き留めておきたいと思う。

 

2018~2019年

 

その前に、一応その前段階のことも確認しておかないといけない。

私が自己回復に向かって動き出したのは、2018年だった。逃げられる限り、すべてのものから徹底的に逃げた。環境を変え、このブログを始めた。

この頃の私は、人目を極端に恐れていた。もともと自ら恃むところすこぶる厚かったもので、だめになった自分を見られるのが怖かった。

だから、ブログを始めたはいいけれど、早晩怖くなってしまって放置した。毎日楽しいと思うことがなかった。

 

2019年頃も同じだった。文字ばかりの本はおろか、絵入りの本(つまり、漫画)を読むこともなくなった。

読まれることもなく本棚に押し込められた本たちは、私を責めなかった。だから代わりに私が責めた。私がもっと早くに死んでおけば、この本たちはもっとふさわしいところ、あるべきところに行けた。

本棚のある部屋の視界は、毎秒私を押し潰す。

 

しかしこの年、私は若い人たちと触れ合う機会に恵まれた。その人たちが生きてくれているという事実そのものに、少しずつ癒やされている自分に気づかないではなかった秋、こんな本が出た。

 

 

わたしはいそいそ注文した。しかし書店で受け取って、開いてみたときの余白と文字の組み方、色に、力が抜けていった。これは読めない。

事実読めないまま、今に至る。

 

 

2020年の春夏

すがるように買った本を読めなかった私は、川にいた。

いつから、混乱と焦燥に耐えかねては川沿いを歩くようになったのか、覚えていない。少なくとも、初夏の土手の緑と、夜の川の生臭さは記憶にある。

川は遠い。きれいでもない。それでも抗いがたい魅力があった。

川に通ううちに、私は、今日という日が二度と繰り返されないことを覚え始めた。 

 

そして7月、私は不意にブログを再開した。

きっかけはもうあまり覚えていない。身辺を整理しようとして、ああこんな残骸もあった、消してしまおうかと思って、気まぐれに更新したのではないかと思う。

 

それが思いがけず、自分の支えになった。

この頃自分がよく読み、考えていたのは『将国のアルタイル』『コーラル~手のひらの海~』『きみを死なせないための物語』などの漫画である。

 

 

 

文字の本はまだ読めないのに、文字を書くことができるのは妙だった。

すでにこれだけ世にある文字を読まない人間が、無駄に文字を増やすのは、申し訳なくて居心地が悪い。

私は自分の言葉を嫌がった。この頃のわたしが饒舌に傾くときは、それは精神状態の悪化の現れだった。

 

だが物語を読み、感想を書くという行為は、着実に自分を癒やした。認めないわけにはいかなかった。

何より、読んでくださる方に思いがけずいただいた言葉が、本当にうれしかった。私は誠意ある人間になりたいと思った。

 

誠意ある人間になりたいと思ったら、徒手空拳でものを言うわけにはいかない。私はブログを書くとき、調べ物をして裏を取るようになった。 

そうして調べ物をしてみると、いかにネットというものが不便で、紙の本というものが機能的かわかる。この部分はいくらでも膨らみそうなので、別記事にまとめることにして、今は詳述しない。

今述べておきたいのは、〈紙の本は便利だ、ネットは不便だ。紙の本を読みたい〉――こういう欲求を育てたのは、このブログだったということだ。

 

 

かくして8月末、私は詩を思い出した。

9月、7,8月の延長線上にあった。

10月、私は星を見るようになり、図書館にゆくようになった。『シュトヘル』を再読した。文章を書いた。

11月、比較的強い希死念慮にであいつつ、のりきった。

12月、私は一層星を見て、図書館に行った。書店にも行けた。

 

 

夏の間のわたしは、変わりたい、本を読みたいという欲求を募らせつつも、いざ手に取ると、なかなか難しかった。図書館でであった日下力『いくさ物語の世界ーー中世軍記物語を読む』(岩波新書)は楽しく読むことができた。本を読んで楽しいと思えること自体がいつぶりかわからなくて、心からおどろいた。しかしそれでも、図書館でじっとしていることはなかなか難しく、一冊の新書を読み通すのに相当苦労した。 実際に、私が一歩一歩生まれ直していったのは、10月からこの1月にかけてだった。

 

 

2020年の秋

10月1日、私は久方ぶりに訪れた図書館の天井の高さに感嘆して、ここが私のいるべき場所だったのだと気づいた。

一生ここにいられないのが信じられなくて、空費した時間が恐ろしい。それでも今からでも遅くはないはずだと一生懸命言い聞かせる。

 

実際、10月23日、私は原研哉『白』を読むことができた。

 

 

先が読みたくて、読みたくて、転ぶように走った。細部なんて平気で読み飛ばして前に進んだ。そうして最後のページにたどり着いたら、すぐに最初に戻る。

それが幼少期の読書スタイルだったと、体が思い出した。

昔好きだった星をまた、見上げるようになったこともあいまって、 私は幼心に日々かえるようだった。

 

 

とはいえ、すぐに本を読めるようになっていたわけではない。10月の間は結局、何を読みかけても途中になってしまった。

図書館に行って借りてきて、肩の重みにへとへとになる。結局読めないまま、むしろ重荷になったまま、延滞してしまうことを繰り返す。

本を延滞することはとても申し訳なくてつらい。自らを罰そうとしてそんなことをしているのではないかと思うくらい、毎回借りるたびに後悔した。

11月はましてだ。

11月を乗り越えられたときの安堵感だけが、今印象に残っている。

 

 

要するに2020年の秋の私は、生まれ変わろうとする自分と、変化についていくことのできない自分の間をもがいていた。見るものすべてが新しいかったけれど、体はついてこなくてへとへとだった。

そんな中、たぶん大きな支えとなってくれた物語は、当時無料配信されていたドラマ『アンナチュラル』と、『シュトヘル』だった。

 

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シュトヘル』を読んだのは完結以来だった。

私が本を愛してやまなかったころ、私は本など焼いてしまえばいい、滅んでしまえばいいと思っていた。絶対に焼かれてほしくないからそう思っていた。

あの頃の、むしろ私の方を焼くような感情の強さを、思い出した。

 

 

2020年の冬

12月4日、私は不意に、かつて好きだった早稲田わたりの古書店にいった。

kosho-soda-sui.com

 

私は本を買うことのできる自分に驚き、本を買っても落ち込まない自分に驚く。あれほど、今自分が本を所持していることを申し訳なく思っていたのに。

その上私は、交通費を節約して強引に歩くことなく、電車に乗ることができた。電車に乗るという贅沢を、自分に許すことができた。

 

 

その帰りの電車の中で、私は買ったばかりの本を読み出してしまった。池内紀『本を焚く』。

www.kosho.or.jp

 

明らかに、『シュトヘル』が出会わせてくれた本だ。

さらに私は自分の本棚の中から、鄭振鐸『書物を焼くの記』を掘り当てる。

 

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この本を買ったときの私は、また読めもしない本を買ってしまったと思っていた。自分はこの本にふさわしくないと思って嘆いた。

それなのに、未来のわたしはこの本を必要として、12月6日、阿佐ヶ谷に向かう電車の中で読んでいた。新書や文庫が、いかに自分になじむものか、はっきりわかってしまう。

 

嬉しい帰り道、私は阿佐ヶ谷の古書店でも本を買い込んだ。

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お店のおじさんの笑顔が嬉しかった。帰途は本の重みに潰されていたはずだけれど、ただうれしい思い出しかない。

 

これらの書店から電車に乗って帰るとき、私はつい人気のない乗換通路をあるきながら続きを開いてしまって、高校時代を思い出した。あの頃もそうだった。

改札口で、流れ作業でナンパしているお兄さんにいじられつつ、あるきながら本を読んでいた。

あの頃以上に私は幼いようで、星を見上げ、本を読み、鳥や虫の声にいちいち喜んでしまう。何をみてもきいても嬉しくてたまらない。

 

 

ブログも変わらず私を支えていた。

12月9日には『アンの世界地図』の感想を書くために、『大正新脩大蔵経データベース』を使って経典を読もうとすることさえもできた。この記事のおかげで、ブレイクや『枕草子』も繙くことができた。

ブログは、ただ混乱する自分を整理する場だけではなく、さらに読みをすすめるためのきっかけとしても、十分機能してくれていた。

 

 

しかしなお、12月の中旬に行われた、大好きな人達との読書会は、気鬱だった。楽しみなはずだが心に重たい。尊敬する人たちへの後ろめたさは、まだ抜けないようだった。

 

12月12日、直前になってどうにか課題図書を入手して、読み始めた。

ルシア・ベルリン作、岸本佐知子訳『掃除婦のための手引き書』。読み始めるとすっかり夢中になってしまって、なぜ自分はこれまでに読まなかったのか、理解できなくなった。

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『書物を焼くの記』や他の本の場合は、気が散ることもあった。面白くないからではない。

一つには、強すぎる感動が先に進むことを許さないときがあったから。そしてもう一つには、読んでいる途中で知らない言葉が出てきたり、自分の無知に気づくことがあると、そこで調べだしてしまうからだ。

 

しかしこの小説の場合、あまり知らない言葉は出てこなかった。いや、たくさん出てきたけれど、訳注がついていないところはまずは気にしなくてよいだろうと判断できた。

掌編が集まった構成は、すぐに感動して進めなくなる自分の呼吸とぴったりあっていて、息が止まらない。

ちょっと装丁が気持ちうるさい気はしたけれど、いい本だった。(装丁担当はクラフト・エヴィング商會で、納得する。世田文の『星を賣る店』、なつかしい。)

こんなことをTwitterに書いて、私はそろそろ、自分は「本を読まない」人間を自称できなくなってきていると自覚した。

 

 

2020年の年末

12月のわたしは、神田近辺をよく歩いた。図書館にも何度か行った。図書館の雑誌コーナーのふかふかの椅子に座ると、読書が大変はかどることを発見していた。

そこで私は『ユリイカ』『芸術新潮』のような軽い雑誌を読んでいた。松岡和子訳の『リチャード三世』と、河合祥一郎訳の『リチャード三世』も読んでいた。『美術手帖』も少しだけ。

 

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ことに18日は実り豊かな日で、図書館で『美術手帖』2020年8月号の特別寄稿、高橋さきの氏「文章を書くこと、翻訳すること、文章のなかで翻訳物と向き合うこと」を読む。深く反省し、我が身を恥じる。

 

指輪を触っていると文章に集中できると気づいたのも、そのさなかだった。

私は以前から指輪を好んでいたが、無駄なことだと思っていた。そうではなかった。『書物を焼くの記』のときに続いてまた、かつての自分に助けられてしまった。

 

さらにこの日は、中型の類語辞典『日本語シソーラス』を買う。

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この頃特に、私は自分の文章に倦んでいた。自分は自分の使うべき言葉を使って文章を書けていない。語彙が貧しい。だが、自分が使うべき言葉を知らないとわかっていても、知らないものを知ることはできない。

『日本語シソーラス』はそのもどかしさと、恥ずかしさから救ってくれた。

知らないならば調べればいい。調べ方がわからないのならば、調べ方を調べればいい。

そう思い当たることができて、ひとつ、頭が軽くなった気がした。

 

 

良き友を迎えたとなれば、それにふさわしいすまいが必要だ。

19日、私は本棚の整理に手を付けた。

そして、日にちは定かではないけれど、エゴ・ドキュメントへの関心から、論文集にまで手を出すことができた。二篇だけ、されど二篇、ちゃんと読み通せた。

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27日には、久方ぶりに神田の古書会館にも行って、またまたヘヴィー級の買い物をした。使う駅までだいぶん距離があったから、冬の町中のベンチや椅子をつかまえては、本を読んで休憩した。

それがあまりにも幸せで、どうして今まで外で本を読まなかったのか悔やんだ。

こういうときを逃してはいけない。私は本を家に置いてインナーダウンを仕込み、もう一度出直した。夜も更けるまでずっと外で本を読んで、界隈を散歩して帰った。

 

 

2021年の早春

新型コロナウイルス対策のため、今年は帰省しなかった。

元日、一人で湯島聖堂にゆき、素読始に参加して、野外読書に勤しむ。

 

東京の正月は静かで人少なだ。空は青く抜けて幸せだったけれど、野外読書は案外過酷だった。日差しがまぶしいし、風が吹く。

手だけはきつく冷えて、見事なしもやけになった。

一時間ほどで日ざしは私の体を離れて、寒くなったので、カフェに移動した。名店のひしめく神田御茶ノ水界隈といえど、この日はおやすみのお店が多い。

 

 

その後、野外読書の恐ろしさを知った私は、家のベッドがリクライニング対応であることを思い出す。

これは、もともとひどい息苦しさに悩まされていた私が、少しでも楽に眠ることができるように選んだものだった。2018年頃だ。かつて私は、毎年秋冬になるとひどい息苦しさに襲われて、横になることができずに座って眠っていた。

今でも息は楽ではないけれども、横にはなれるようになったので、無駄な買い物をしたと後悔していた。

 

それが今、読書用のデイベッドとして活躍している。あまりに快適なので気が散らない。腹筋を使う体勢になるので、体がよくあたたまって、眠くならない。ページをめくる指も痛くならない。

鄭振鐸、指輪につづいてまたしても、過去の自分の買い物が無駄ではなかったと知ってしまった。

早春の日差しの中、エアコンを切って、毛布にくるまって本を読めば、節約にもなってしまう。

 

私はお正月の間ずっと、このベッドと、本と、それから水道橋の千鳥で大晦日に買ったこの器に、支えられていた。

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実際1月の6日、私はちゃんと借りていた本の延長手続きをすることができた。

1月の9日、私は新年はじめて図書館に行った。本をむやみに借りてこなかった。しかも、借りてこなかったことを後悔できた。そんな自分を喜ぶ。

 

 

仮のやどり

そして1月の10日、すなわち今日、私の視野は唐突にひらけた。

 

 

自分の頭は、思考をおさめておくには小さすぎる。 

私の思考は、私のものであって私のものでない。私の思考と感覚は、外界のあらゆるものに触発されて受動的に、自動的に動く。

私が思考するとき、展開するものは私ではなくて、これまでに私が読んできたものや、見たもの、聞いたもの、すべてだ。

日本語でも、中国語でも、さらにその西の言葉でも、何でもいい。とにかく、私よりも先に生きて死んでいった人たちの蓄積が、私をいっときの宿として、ひろびろと手足をのべる。それが私の思考というものである。

私はそこにいない。

 

だから思考は、文章に書くときはじめて、思考の形を取り始める。文章を書く前に、思考というものは存在しない。思考は私の頭にはおさまらない。

私は、言葉というものが旅をする中の、仮の宿りである。

言葉を使う者であるとき、わたしは空しく、わたしはわたしであることから解放されている。

 

 

こう思い当たった。

 

 

私はかつて、自殺を考えたことがある人間だった。一度ではない。きっかけも、そのとき考えたことも、いろいろだ。

だが、「消えてなくなりたい」「わたしというものをなかったことにしたい」という願望が、結局私を引き止めた。

自分にピリオドを打つことは、自分を文として成り立たせることであり、明確な輪郭をもたせることだからだ。消失と死は似て非なるものである。わたしは自分を全部なくしたかった。自己主張の対極にゆきたかった。

だから、それと相反するかのように、文字を書き、名前を持つ自分に苦しんだ。ずっと名前を捨てたい、忘れられたい、見られたくないと思っていた。

 

 

だが、そんなことは、望むまでもなかった。

私はなるべく描かれたことしか読みとりたくない。読み取ったことだけをできる限りそのまま言葉にしたい。描かれていないことから妄想を広げるのも、こじつけるのも、過剰に飾るのも全部嫌いだ。

 

この姿勢のもとに感想を書いているとき、文字を書く自分と消えたがる自分は矛盾していない。自分でも気づいていなかったけれど、おそらく私は、自分の望みに近いところを目指してゆけるのだ。わたしが生きていて、文字を書こうとする限り。

 

考えてみれば何も難しいことではなくて、今頃気づいたと書くのは愚を晒すことでしかないかもしれない。だが私は愚を隠すことを恥じても、晒すことを恥とは思わない。

何よりこの心境を、私は浄福としか呼べなくて、言葉に残さずにはいられないのである。

 わたしは生きてゆかれてしまいそうだ。