されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

ルメリアナ大陸の服飾文化②時代のずれと国力の差

※今回、ストーリーや人物の去就に関わるネタバレはありません。

 

前回は『将国のアルタイル』における個々の人物の造形とファッションの関係を考えてみました。今回は、個々の国の特色をはかるために、ファッションを指標として用いてみたいと思います。

その際、徳井淑子『図説 ヨーロッパ服飾史』(河出書房新社)を参照しています。ストーリーに関するネタバレは避けたつもりです。

今回は話があちこちするので目次を入れました。 

 

ポイニキアのファッション

港湾都市国家ポイニキアは、かつての古今東西多大な影響力を持った「大海洋帝国」(3巻12話)の末裔です。名前はフェニキアを思わせますが、実質はローマを主要なモデルとしているようです。

フェニキアとローマを一緒くたにしてしまうのはおおざっぱすぎるかもしれませんが、ざっと古代地中海世界を思わせるということにしておいて、今回は先に進みます。

 

古代の地中海の文化・文明を牽引したのはギリシアとローマですが、古代ギリシア・ローマのファッションは、以後のそれとは根本的に構造が異なっています。

古代が終わってからのヨーロッパ服飾を席巻したのはゲルマン系の衣類でした。ゲルマン系の衣服の特徴は、上衣と脚衣(現代でいうズボン)、そしてマントの組み合わせからなっていることです。前回みたリゾラーニ・チェロの衣裳はいずれもその系譜でした。

一方古代ギリシア・ローマの装束は、巨大な布を体に巻きつけて衣類とするものです。ギリシアのヒマティオン、ローマのトガなど様々な種類がありました。ドレープを作るようにして体に巻き、巻き終わりを男性の場合は肩(片方のみ、あるいは両肩)で固定して身にまといます。

ゲルマン系の衣類は体にあう形にするために布を裁断し、縫い合わせないと作ることができませんが、ギリシア・ローマの衣類は巨大な布さえあればよいところが大きな違いです。

またもう一つわかりやすい違いは、下半身の形状です。足を片足ずつ別々の布に包むのは、ゲルマン系ないしアナトリア以東から影響をうけた服飾文化の特色でした。

 

 

それを踏まえてポイニキアの人びとの装束を見てみると、シルエットはもちろん肩の留め具、ドレープなど、古代ギリシア・ローマの衣類の特徴が健在です。

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3巻16話より元老院議員たちの装い

 

特に警護兵らしき者たちは、まるで古い時代のギリシアの立像のように直立しており、アルカイックに描かれます。

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3巻12話より

足元のサンダルもいかにもローマらしいものです。

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3巻15話より、帝国のエルルバルデス山岳兵に襲われるポイニキア市。

 

先述の通り、ギリシア・ローマの服飾の特徴は、結果として古代特有のものとなりました。

その認識が読者のすべてに明白に自覚されているわけではないでしょうが、しかし漠然とは共有されているはずでしょう。たとえばギリシアの神ゼウスやナザレのイエス(いわゆるキリスト)がパンツスタイルで描かれていたら、違和感を覚える人が多いのではないでしょうか。そう考えてみると、ポイニキアの人びとのトガのような装いも、古代性の象徴として機能すると期待できます。

 

もちろん全員が同じ服をまとっているわけではありません。また描写を見ている限り、構造までトガとは一緒だとは限らないように思います(もう少し着用しやすいように工夫されているかもしれません)。しかしそれでも、擬古的であるのは確かでしょうし、全体的に古風な印象があるのであれば、ファッション描写として十分な効果を上げているだろうと思います。すなわち、読者にポイニキアという国のあり方や文化を伝える役割です。

漫画において、文字で説明できる事柄は多くありません。あまりにも会話で説明しようとすると、往々にして不自然になりますし、そもそも紙幅がどれだけあっても足りないでしょう。筆者が『将国のアルタイル』について素晴らしいと思うことの一つは、絵によって伝えている情報の豊かさです。それではその情報とは、どんな情報を伝えているのか。もう少し他の例と見比べていくことで考えたいと思います。

 

 

ヴェネディックのファッション

今度は同じく海洋都市国家である、ヴェネディックの様子を見てみます。 

ヴェネエディックの人びとは船に乗る時、どうも揃いの装束をまとっているようです。

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3巻16話より船員たち

船員だけではなく、船団を率いる船団長も、同じ模様のマントをまといます。浅学の私にはこれが何の文様なのかわからないのですが、故実があろうことと思います。

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11巻58話より元首・総船団長・船長たち。マントは皆同じデザインであることが確認できる

ヴェネディックという国はもともと居場所を失った者たちが肩をよせあって築いた国ですが、帰属意識と協調性が極めて高く、統率が取れています。そのことが、装束にまで現れているのでしょう。前回みたリゾラーニの人々がてんでばらばらだったのと対照的です。 

画像はあげているときりがなくなってしまうので控えますが、共和国会に参加する貴族たちも、船長たちは別の揃いの服を着ています(それはどうやら、ヨーロッパに実在したヴェネチアの共和国会で用いられた装束と同様のものであるようです)。

 

しかしそれにしても、指揮官クラスの人物が装束を揃えている例など、作中ではほかにバルトライン帝国常備軍しか見当たりません。しかも彼らの意匠が船員にも共通しているとなると、類例はほぼないのではないでしょうか。

バルトライン帝国領エルルバルデス公国の領主側近、グララットが他の山岳兵たちと同じものを着ているのが唯一の例外かもしれませんが、エルルバルデスは公国内の様子が絵としては描かれておらず、グララットがどのような身分で主に仕えているのかもわからないので、考察は難しいように思います。ただ、グララットが文武様々な領域で活躍しているところを見ると、どうも厳密な分業はなされていないようです。

作中描写がない以上はっきりしませんが、ともあれヴェネディックのような、整ったシステムと団結の結果として皆が同じものを着ているのとは、性質が違うのではないかと推量しています。

ぐらラットのような長期に渡って登場する人物の話は、見落としがありそうではなはだ不安です……

 

ヴェネディックに戻って元首、アントニオ・ルチオにも注目します。彼の衣裳は保守的で優雅、体のラインを露出しません。貴族や知識人らしい印象を与える装いです。

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13巻扉絵

 

丈が長いチュニック型の衣類の上にマントをまとい、さらに丈の短いアーミンの毛皮を重ねているようです。

実は、ヴェネチア共和国の元首の肖像画を調べるとよく似た装束をまとった実例があることが確かめられます。頭上の冠も、共和国章に描かれるヴェネチア元首特有のそれによく似ています。おそらく、決まった型があるのでしょう。

 

ただし『将国のアルタイル』というのは現代描かれている漫画作品であって、記録ではありません。基づいた典拠があったにしても、それをどの程度新たに描く作品に活かすかどうかには、作者の判断と狙いがあるはずです。史実を材にとっていた場合でも、「これはこういう文献や絵画資料をそのまま取り込んだものです」というだけで終わりにすることはできません。

一読者である私には、あくまでもこの作品の中で元首の装束がどんな意味を持っているかを考える必要と自由があります(そしてそれしか考えることはできません、ヴェネチアとヴェネディックは別の国なのですから)。

 

さて話を戻しますと、アーミンの毛皮は貴重品であり、富と権威の象徴として中世ヨーロッパの王侯貴族の肖像画に頻出するものです。後述しますが、バルトライン帝国の皇帝もこのアーミンのマントを用いています。この共通点からは、バルトラインとヴェネディックが文化や価値観を高度に共有していることがうかがえます。

 

チュニック状の衣類にはいくつか種類がありますが、ルチオがまとっているものはウープランドと呼ばれる、15世紀前半上流階級の間で流行したものでしょうか。

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10巻54話より、アクティブな元首ルチオ。おかげで袂が長いのが確認できる。

 

リゾラーニ、フローレンスの人びとを見るに、この時代のセントロ・クオーレではより体のラインを見せる種類の衣類が流行していたようです。それはメフメト二世の時代(15世紀頃)のヨーロッパでも同様でした。

対するルチオのたたずまいはなかなか古風で、人によっては女性的にも見えるかもしれません(たしかな根拠を出せず恐縮なのですが、ウープランドはブリオーと呼ばれる、12世紀のチュニックにも似ています。男性の着るブリオーを、女性的すぎると批判する同時代の文書が確かあったはずです)。

ヴェネディックはアドリア海ならぬ「央海の女王」の異名を取る国です。もしかしたらルチオの装束は、その国家元首としてのイメージ戦略の一環なのでしょうか。

 

ルチオの装束を女性的なものとして受け取ることが可能かどうかはともかく(何を「女性的」「男性的」とするか規定するのは文化です)、彼がこの衣装を元首という立場から選んでまとっていることは、確かだろうと考えます。

それというのも、彼は一度、おしのびでマフムートを訪ねたことがありました。そのときにはアーミンのマントをぬぎ、日頃着ているウープランドよりも丈の短いチュニックを着ていたのです。模様が入っているのはおそらくスラッシュ装飾(後述)と呼ばれるものかと思いますが、中世の肖像画を見ているとしばしば見かける装飾です。

 

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9巻47話より初めてシーシャを喫ってみた元首ルチオ

これに比べると、ふだんのルチオの装束はずいぶんと動きにくそうです。

ひらひらとしたウープランドも、大陸南方の海洋都市国家という、地理条件に合わないアーミンのマントも、身体の保護という観点では機能的なものではないでしょう。

しかしヴェネディックは貿易によって成り立っている国であり、周辺の国と絶えず交渉する必要に迫られる国です。実際、作中では、反帝同盟の会議やバルトライン帝国との講話会談、リゾラーニ調略など、ルチオが他国との交渉で実力を発揮する様子がたびたび描かれています。「央海の狐」(9巻)などと蔑まれるのは、彼が弁舌によって他者を動かすことに長けていることの裏返しでしょう。先程引用した13巻の扉絵で書簡とともに描かれているのも、彼のあり方をよく示しています。

 

そんな中、貴族的な権威――富、名声、伝統、優雅さ、教養など――をアピールする力を持つ装いは、交渉の場で彼の力を増幅させる効果を持ちえたのではないでしょうか。

ルチオの装いは古風ですが、実のところのヴェネディックは、他のクオーレ諸国に比べて歴史の浅い国です。ルチオの衣装は、歴史の浅いヴェネディックの弱みをカバーしつつ、「央海の女王」を体現してその威信を示すために、自己演出する効果を持っているように思います。

衣類の機能性というのは、身体を保護するだとか、ポケットがついているといったような観点からのみ評価されるものではないはずです。

 

 

フローレンスのファッション 

ファッションの持つ文化的権威の話をしたならば、次は花の都、フローレンスに進まないわけにはいきません。フローレンスのモデルと思われるのはイタリアの都市国家フィレンツェ。やはり、中世イタリアのファッションに基づいて、フローレンスの人々がどんな衣服を着用しているのか確認したいと思います。

 

まず、フローレンスの男性の一般的な装いの例として、とてもわかりやすいのがこの2コマです。

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10巻51話よりモブの会話。


上のコマ、左の方にいる剣を佩いた者たちは、傭兵なのでしょうか。色の濃い上衣の袖に、白い線が見えます。これはスラッシュ装飾といって、切れ込みを入れた布の隙間から裏地や下着を見せるもの(もっと小さく切れ込みを入れて、その間から下の布地を引き出すということも行われます)。

また右の方にいるランタンを持った男の上衣は大変丈が短く、タイツのような脚衣(ショース)が目立っています。

下のコマのように、座るとおしりが丸出しになってしまうのは、左右ばらばらのショースをおしり部分のパンツ(ブレー)にとめ、さらにそのブレーを上衣に紐などで固定する仕組みだからです(このショースの左右がくっついておしりがカバーされるようになり、かつ前のコッドピースと呼ばれるパーツと一体化すると今日のズボンになります)。

上半身の左肩をみても、袖と身頃が縫い合わされていないことがよくわかります。前回述べたように、まだ袖を身頃に縫い合わせる技術がなかったためですが、中世らしさをよく示しています。

 

続いて、郷に入っては郷に従ったマフムート一行をみてみます。

みな前開きのプールポワンにショースの組み合わせです。キュロス、マフムートの袖には大きなスラッシュ装飾がはいっています。脚を大胆に見せる重心の高いファッションは、さきほどのヴェネディックのルチオと違って斬新で軽やかです。

マフムートの肘から下を見ると、リボン等を使って袖を体に添わせているようです。

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10巻51話よりフローレンス風のマフムート一行

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10巻51話よりフローレンス風ファッションのスレイマン

レイマンの装束はさらに堂々としたもので、まとっているものの組み合わせとしてはヘンリー8世の肖像画と似ているように思います。スレイマンはさすがにコッドピースはつけていないようですが……。

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ホルバイン画・ヘンリー8世(1491~1547)

 

これまで女性の装束をみてきていませんから比較が成り立たないのですが、フローレンスの大統領、カテリーナ・デ・ロッシの装束もみてみます。

 

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10巻51話より、お顔が見えていなくても美しさが伝わってくるカテリーナ

 

エストを絞るコルセットと、スカートを膨らますペチコート(ファージンゲール)を用いているのでしょうか、細い腰と大きく広がったスカートのコントラストが印象的です。首周りの襟とレース装飾も見事。大きく広がった袖の形は「羊の脚型」とよばれるもので、やはり身頃とは別仕立て。紐で結わえつけた上に肩飾り(エポーレット)を付けて結び目を隠しています。

モノクロの画像ではわかりませんが、このドレスは黒地をベースとしつつわずかに赤を入れています。それはもしかしたら、ロッシという家名と何か関係があるのかもしれません――rossiとはイタリア語で「赤」を意味します。ヨーロッパのフィレンツェに実在した貴族、ロッシ家の紋章も赤地に獅子というものだったのだそうです(秦野啓『図解 紋章』〔新紀元社〕、「仄めかし紋章」の項より)。色彩感覚については、改めて考えたいと思います。

 

カテリーナのドレス姿には、大統領にふさわしい、威信の表出という側面がもちろんあるでしょう。ただ、フローレンスという国のあり方と装束の関係というのはヴェネディックの場合と違って自明のことですから、同じことは繰り返しません。 フローレンスは、古代ポイニキア以来の文化の中心地を自認してきた国です。

 

今はそれよりも、フローレンスの文化的な先進性が、装束からも感じ取れることに注目したいと思います。男性の衣類はヨーロッパでいうところの15~16世紀のそれに似ていますが、先述のスラッシュ装飾や、カテリーナの巨大なドレスの形状は、ヨーロッパでは16~17世紀に流行したものでした。

ルメリアナ大陸のファッションをヨーロッパの時間軸にあてはめてみると、ヴェネディックのルチオの装いが(典拠どおりとはいえ)15世紀前半頃の流行。リゾラーニのドナテッロ、ジーノたちの装いも15世紀頃のもので、ポイニキアに至っては下手をすると紀元前です。それと比べてみると、フローレンスの、そしてカテリーナの先進性がよくわかります。

 

 

バルトラインのファッション 

ファッションが先進性を示している国は、もう一つあります。バルトライン帝国です。

帝国の版図は広域にわたっており、人々の身分的階層も複雑です。すべてひとしなみに扱えるものではありませんが、ここでは、皇帝と軍人たちのことを主に考えたいと思います。

まずは皇帝、ゴルドバルト11世。

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18巻95話より、珍し全身がよく見えているゴルドバルト11世

彼については、特に装飾に注目してみたいと思います。

まず、アーミンのマントはヴェネディックの元首ルチオと同様ですが、驚くべきボリュームです。このボリューム感は、さきほども引いたヘンリー8世同様、威厳を感じさせます。

袖にもめいっぱい詰め物がされており、スラッシュ装飾の隙間からつまんで下地が引き出されています(ヘンリー8世の袖や身頃に見えるのと同じようなものです)。

スラッシュ装飾と総称されているものには、①大きく切れ込みを入れて下の布地を見せるものや、②無数に入れられた裂け目そのものを装飾とするもの、あるいは③細かく裂いて下の布地をつまみだすものがあるようなのですが、フローレンスでは①、バルトライン帝国では③が多く用いられる傾向にあるようです。

 

マントのすぐ下に着ている上衣には別布か刺繍だかでぐるりと保護兼装飾が施されているようですが、下の角のところに、フラ・ダ・リ(フルール・ド・リス、「百合の花」)に似た紋章があります。

フラ・ダ・リは12世紀からフランス王権と密に結びついたことで知られています。もしかしたら、このゴルドバルト11世の紋章にも、何か典拠があるのかもしれません。

 

 

しかし、バルトラインのあり様を一番わかりやすく示しているのは、皇帝の装束ではありません。それは常備軍や海軍の将校たち、それからレレデリク公や彼女の側近・グララットなどのそれです。

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3巻12話のグララット。美しい装飾の施されたジュストコールにベスト、キュロットの組み合わせです。この後、主のレレデリク公も同様のいでたちで現れます。レレデリクの場合は男装というべきでしょうか。

彼らがまとう服に似ているのは、リゾラーニのドナテッロや、フローレンスでのスレイマンの場合のような、プールポワンではありません。

ヨーロッパではさらに後、17世紀頃以降に流行するジュストコールです。ジュストコールは前開きで膝丈くらいの上着。ジュストコール・ベスト・キュロットの3点セットは、のちの三つ揃えの原型となったといいます。

マフムートは上に引用した場面で、グララットとすれ違いながら「帝国の正装だ……」と考えていました。それが正装だということは、ジュストコールはある程度の量が生産されていた衣服だということです。

バルトラインの海軍の将校の装いも、ベースはジュストコールでしょう。

前回のロニ・ボッカネグラと比べてみると、衣服の構造の違いがよくわかります。

 

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8巻41話のボルツマン号の船長。前回確認したロニ・ボッカネグラと違って、袖と身頃の間に隙間が見えない。背中に切れ込みの入ったジュストコールは、後の燕尾服の原型になる。

 

 

ファッションに現れた技術差

ジュストコールは袖つきの前開きの上衣です。上に引用した帝国海軍の将校の袖を見ても、身頃と縫い合わされています。

帝国の人々が体に沿った作りの袖を身頃に縫い合わせる技術を持っていたことは、次に引用する場面で一層よくわかります。

 

ルイ大臣の後ろにいるシモンは、前のページでは服をまとっていませんでしたが、このページではもうシャツを羽織っています。どうやら前開きのようです。

中世ヨーロッパでは袖を体に沿わせるために、身にまとってから袖の上腕のあたりを縫うということがごく当たり前に行われていました。しかし、自分で縫っているのであれば、さすがにこんな速さでは着られません。

 

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18巻95話より。ルイ大臣の朝は早い。

 

またルイ大臣のまとう服の肩口には縫い目が見えます。二の腕、上腕には縫い目は見当たりません。この肩口の縫い目は着てから縫える位置ではありませんから、シモン同様、ルイ大臣の着ているシャツははじめから袖と身頃が縫い合わされたシャツなのでしょう。チュニック型のようですが、その袖は体に付かず離れず、ちょうどよく沿う太さです。

 

比較対象として、ムズラク将国の将王バヤジットの着替えの場面をあげておきます。

 

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19巻100話より、新春に新しい服をまとう様子。

バヤジットのまとう服の肩周りはゆったりとしていて体に沿っていません。前腕はぴったりとしたデザインですが、服を体添わせるために、大量の細かいボタンが利用されています(ちなみにヨーロッパでは、縫い合わせたりリボンの類で体に結わえ付けるのが古来のやり方で、ボタンを用いる方法はイスラム圏に学んだものなのだそうです)。

 

シモンやルイとバヤジットの衣類の差は、文化の違いです。しかし同時に、技術力の差もあるでしょう。

 

 

中世ヨーロッパでは袖と身頃を縫い合わせる技術がなかったというと、「日本では古くから着物を仕立てられていたのに」と思われるかもしれませんが、着物のような平面的な衣類なら、縫うのはかんたんです。しかも着物は袖と身頃の間に大きな隙間を持たせていますし、袖の形状も腕には全く沿わないものです。

袖は身動きする際邪魔になりますから、活動的な衣服である水干には袖くくりがつけられていました。中世末期~近世以降はたすき掛けが広まっています。

 

問題は、最初からじゃまにならないような袖を作りたい場合です。

着物のように紐を巻き付けて体に固定するのではなく、服がそのまま体に沿って、動きに追従し、勝手に脱げたりしない衣装を作りたい場合です。当たり前のことのように感じますが、考えてみれば難しい。現代のようなストレッチ性のある繊維が開発されていない時代となればなおのことです(8巻から、おそらく綿花の栽培利用は西ルメリアナではあまり盛んではないものと推察されますので、ウールかリネンの利用が多かったのではないかと想像しています)。

腕に沿った形状の袖を作って身頃に取り付けるには、どうしても立体的な型紙を作成し、アームホールを作って複雑に縫い合わせる必要がありました。

ここまで見てきた例はいずれも袖が腕の太さにぴったり合っていますから、布地は立体的に裁断・縫製されているはずです。帝国の軍人や政治家たちのまとう衣服には、すぐれた仕立ての技術(テーラリング)が認められます。

 

その上で、これは専門性を持たない人間が根拠もなく言うことなのですが、特に帝国常備軍の制服の縫製技術の高さは突出しているような印象を受けます。

前開きであることが確認できるので、ベースはやはりジュストコールなのでしょうが、個々人の体型にぴったりあうよう作られており、ベルト一本で前をとじているように見えます。目立たない形状のボタンがあるのかもしれませんが、そうだとしてもとてつもない技術です。シルエットといい装飾といい、初めて読んだ時には相当近代的な軍服のように見えました。

階級ごとに分けられた肩章は、国内の治安維持の任にもあたる帝国常備軍の厳格さ、合理性、整ったシステムを端的に示しています。

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14巻69話の軍団長フレンツェンとアダム。上着の前をあけて羽織っている。もはや近代のジャケットと呼んでも差し支えのない作りのように見える。

 

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14巻73話より鞍の上に飛び乗るリリー・ココシュカ軍監。こんなにも体型に合わせて仕立ててあるのに、軍服は軽やかな動きを妨げない。肩章は大将クラスと同じもの。

 

総合すると、バルトラインの服飾の技術レベルはこの時代にしては優れすぎており、ポイニキアとは逆の意味で時代錯誤的です。

しかしそれは、もちろん本作の時代考証の難ではありません。そういった、Oパーツ的な技術が作中に脈略なく登場しているならば、それはたしかに問題でしょう。しかしそれがバルトライン関係の人物にしか用いられていないということは、そのままバルトラインという国のあり方を示す描写だと捉えるべきではないでしょうか。

 

特に注意したいのは、ここで例にあげた者が旧貴族と軍人であることです。特に常備軍の制服が近代的に見えますが、それはこのバルトラインが常備軍に国費を傾け、注力してきたことの表れでしょう。

13年前、常備軍がトルキエに侵攻したときの軍服は、実は現在のものとは若干異なります。

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14巻76話より。現在のようなベルトがなく、下に前あきボタンつきのベストを着ていることがわかる。現在の軍服のベストにはボタンが見えない。

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同じく76話より、後ろ姿も確認できる。

 

現在の軍服がジャケットに近い形状に見えるのに対し、13年前のものはよりジュストコールらしいデザインです。理由もなく変化したわけではないでしょう(描き手からすれば、当然設定を変えないほうが楽なはずです)から、ここに、服飾技術の向上と常備軍の体制そのものの整備・強化を読み取ってよいように思います。

そしてひいては、軍を中心として発展してきた国のありようが、そのまま服飾技術の発展から読み取れるのではないでしょうか。

 

実際、作中何度か登場しているバルトラインの庶民たちの衣類は、まったく質素なものです。 

また、バルトライン帝国の中でも時代遅れの存在とされる(17巻90話)新貴族たちの装いは個人差が激しいのですが、構造としてはフローレンスなどで用いられる中世的な衣服と変わらないものが認められます。

たとえば吹雪の町の領主一族の装いを見てみると、装飾の意匠にはアントニオ・ルチオのそれとの共通点が見え、肩にはカテリーナ・デ・ロッシ同様、身頃と袖の結び目を隠すエポーレットが見えます。

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17巻93話より、新貴族ディートリッヒ・マイスナー。

 

新貴族たちは同じバルトライン帝国の軍人であっても、「今日の戦場では通用しません」(17巻90話)と言われる存在です。

そんな彼らの衣服は、帝国の海軍・常備軍や旧貴族たちの先進性を浮き彫りにしています。

 

 

ファッション描写の力

以上のように、衣装に注目すると、バルトライン帝国の中央と周辺諸国の技術差は圧倒的です。ざっくりと見積もっても、ヴェネディック・リゾラーニと200年、フローレンスと100年分の差があるのですから。直接一戦交えてしまったポイニキアとの差は、数えるのが辛いほどです。

しかし、本作の時代がおおよそオスマン帝国でいうメフメト2世の時代にあたるならばクオーレ・セントロの国家群の装束は時代相応であり、遅れているのではありません。ただただバルトラインが早いのです。

 

文化的な技術力の差が、国力の差と無縁であろうはずはありません。こうしてみると、11巻で、タウロの市長は「この期に及んで2,3番手の国家同士が寄り集まっていったい何ができるってんだ?」と言っていたのが思い出されます。

初めて読んだときは、やはり主人公のマフムートに感情がよっていますので「そんなことない!帝国は内憂を抱えてるし海軍弱いし交易も……」などと思ってしまったのですが、市長の見立てはたしかに的確でした。

 

筆者が今のように連想したということは、つまり、本作の視覚的描写が、せりふの裏付けとなって説得力を与えているということの現れだと思います。国と国の違いは言葉で逐一説明されずとも、一つ一つの文化、一つ一つの画面に反映されています。そのことが、作中の人物により語られた言葉や、構築された国家間の関係に真実性を与えているのです。

同様の事例としては、たとえば10巻51話に見えるせりふ、「(フローレンスの)大統領が交渉するべきは我らと同じルメリアナの文化を共有する帝国だ」が注目に値するでしょう。

たしかにバルトラインの皇帝とヴェネディックの元首はともにアーミンのマントをまとっていましたし、バルトラインの新貴族、マイスナー伯周辺の人々の衣服にもヴェネディック・フローレンスのそれと同じ構造が認められました。

 

 

人間の生活・文化の基本といえば衣食住ですが、主人公マフムートが大陸中を転戦する本作では、なかなか家でゆっくりしている場面は見られません。食事も同様です。そんな中、どんな場面にも必ず登場する衣類が、文化面での描写に大きく貢献しています。

  

もちろん、画面の中にどれだけ文化的な差異が描き込まれていたとしても、気づかない人はずっと気が付かないでしょう。しかし、意識の俎上にはのぼらなかったとしても、視界に入っていないわけではありません。何となくでも、「帝国の軍隊は服がそれぞれ決まってるなあ」「帝国の服は今の服に近い感じがする」といった漠然とした印象を受けることはあるはずです。

今まで述べてきた筆者自身、ヨーロッパ史も服飾文化も専門外です。ただ、専門外の人間にもこれだけ興味をもたせ、考えてみようという気にさせてくれたフックが、描写の中にたくさんちりばめられていました。初めて『将国のアルタイル』を読んだときから、ずっとドナテッロやアマデオの毒々しい装いであったり、帝国常備軍の近代的な出で立ちであったりが気になっていました。

 

そうして数年越しで調べ、考えてみたことの結果は、結局のところ初読の時に抱いた印象――今回の記事の範囲で言えば、「帝国常備軍だけ時代が新しく見える」ということの追認でした。しかしそれは、今私が考えたことが無駄だったということではありません。逆です。『将国のアルタイル』の描写は、知識を十分に持たない人間にも、伝える力を持っているということを確認できたのです。

 

筆者はここまで、中世ヨーロッパの服飾文化とルメリアナのそれを引き比べることで考察を試みました。それは、「この国のモデルはここ!だからこういう服を着ている!終了!」と結論づけてしまうためではなくて、「この国のモデルが読者にも極めてわかりやすい形で示されているのはなぜだろう?そこから何が読み取れるだろう?」と考えた結果です。

私の場合はその結果、衣食住の中の衣に注目するに至りましたが、きっと他にも読み取れる情報はあることでしょう。たとえば『将国のアルタイル』の国々の命名方法は、それ自体が非常にすぐれた表現の工夫であるように、私には思えます。

いつも感嘆してしまうのは、この作品の連載が始まった一番最初から、この大陸の姿かたちがデザインされ、国が配置されていたという事実です。連載が進む中で大陸の形が見えてきたならばともかく、最初からこんな形の大陸があって、国が配されていたなんて……神業、と思ってしまいます。

大陸の姿のことは以前も書きました。今回、服飾のことを書けたので、次は命名方法のことを考えられればと思っています。