されど汝は踊らでやまず

タイトルはトーマス・マン作、実吉捷郎訳『トニオ・クレーゲル』(岩波文庫)より // 漫画等の感想を書きます。記事は公開後も推敲します。

『アンの世界地図』全話再読(12)

※『アンの世界地図』2巻12話のネタバレを含みます。

 

『アンの世界地図』全話再読シリーズ、2巻12話です。

今回からはついにドイツ俘虜編に入ります。

 

扉絵

今回は扉絵なし。

その代わり、なのかどうかわかりませんが(きっとそうではないでしょう)、12話の直前のページには、「うだつ家のレシピ」というおまけ漫画があります。

最近ようやく食事に関心が出てきた私としては、今読み返してよかったなと思いました。

 

12話の流れ

最初は「こんにちはうだつの家です」という、語り手の挨拶から始まりました。

あいかわらずうだつの家はアンのことを「金色の女の子」、アキのことを「あの子」と呼んでいます。

ここにきて初めて、私は金色の「女の子」とあの「子」の非対称性に気が付きました。

 

 

それはさておき、お話の中身はといいますと、アンとアキの「ケンカ」から始まります。一話でもでてきた派手な長襦袢姿のアキと、ドレス姿のアンが睨み合っています。

前回割れてしまったうつわの代わりを買いに行くために、一緒に大谷焼の窯元さんのところへゆく約束だったのですが、キヨ兄から仕事のお願いがきてしまったのです。

いつもはアキのほうが身支度が早いようなのですが、今日のアンはすでにドレスをまとい、髪型はセーラームーンのコーアンのようにアレンジしています。

とてもかわいいです。アン、楽しみにして早起きしていたのですね。

 

しかしアキはそれどころではありません。忙しそうに流水紋の着物をまといます。台風がきたとき、去っていったときなどもそうだったのですが、アキはよく「パタパタ」という擬音をたてていて、なかなかせわしない子です。

なお、着物は前回の11話で着ていたのと同じものですが、前回は「次のお休み」に出かけようと約束していましたから、それから数日たっているのでしょう。

10話まではアンが徳島に来てからの日数をだいたい数えられていましたが、11話あたりからあいまいになってきていました。この、だんだん曖昧になっていく日付の感覚が、以降のファンタジックな展開を支えています。

 

 

そんな次第でアキはアンの先約よりもキヨ兄からの頼み事を優先してしまいました。アンはご立腹です。怒りつつ、マサ兄に車で駅まで送ってもらいました。

このあたりが最初はぴんとこなかくて、それならまた別の日に一緒に行ったらよいのにと思ったのですが、つまり、車を使わないと駅まで行けない距離なのですね。リスケしようにも、マサ兄にお迎えを頼んでしまっていたのでしょうか。

 

お互い助け合うのも、きっとこういう土地柄ゆえの人間関係なのでしょう。東京からきたアンには、よけいにピンとこないかもしれません。

私自身東京に住んでいますが、自分の体感でいうと、隣近所の人とそこまで深く関わらないかわりに、お店の常連同士だったり、あるいは通りがかりの人だったり、知らない人同士助け合うのが東京の距離感なような気がします。

あくまでも私の場合にすぎませんけれども、東京の方が地元よりも親切にしてもらった思い出がたくさんあるのですが、ほぼすべて名前も知らない人です。

 

でも平凡な私と違って、ロリィタファッションのアンは、もう少し人に距離を取られてしまうこともあったでしょう。子供の頃、自由にお風呂に入れなかった頃などは、ましてそうだったでしょう。

他人同士のあいだですら、こういう助け合いには慣れていないかもしれません。アンにとってのマサ兄宅での経験の重みが、改めて思われます。

 

 

マサ兄に送ってもらった先の駅で景色にみとれるアン。どんなに怒っていても、美しいものを見る目は曇りません。アンのこういうところがとても好きです。

電線がない、線路が一本しかない、一両しかない……未知の乗り物汽車に戸惑いながらも、アンはマサキさんに助けてもらって乗車することができました。

電車……ではなく汽車の中で、「……私いつからこんな アキがいないとダメな子扱いになっていたんでしょう……」とひとりごちています。

 

東京で一人きりだったアンは徳島にきて人に甘えることを知りました。これからその二つのバランスをとっていくのでしょう。そして上記の独り言のなかにあらわれている気づきが、その一歩となっていくのでしょう。

となると、この場面で未知の乗り物である汽車が描かれているのは、単純な作劇上の都合だとか、実際モデルになった窯が遠方にあるだとか、そういうことだけで説明されてよいものではないように思われます。

実際にアンはここから、さらに次の人生のステージに歩をすすめていくのであり、旅をしてゆくのです。 その象徴としても、一人乗る汽車は大切なものなのではないでしょうか。

 

 

さて汽車は古代ローマからあるアーチ型の橋(きっともう少し端的な呼び名があると思うのですが)を渡り、アンを目的地まで導きました。

ジージーイ」と蝉がないていて、アンいわく「ふしぎなお家」があります。切妻造の平屋の建物の周りに大きな瓶のようなものがたくさん並んでいます。

一見傾いて崩れかけているように見えましたが、少し小高くなっているところに、傾斜をあわせるようにして建ててあるようです。

私は既読のくせに今の今まで気づいていなかったのですが、もしかしてこのつくりは……バ……?!?!

 

 

さてその「ふしぎなお家」の奥には、同じく切妻屋根の、細長い平屋の建物があります。

そこがお目当てのお店だったのですが、どうも中はただならぬ雰囲気。ビクビクしながらアンは内省します。「アキに出会う前は何でもひとりで……」と思い起こした彼女の身を、強く風が吹き抜けていきました。

しかしアンはキリッと顔を上げて、「あたりを冒険」し始めます。このあたりの、自ら楽しみ冒険しようとするアンのことが大好きです。個人的な話ですが、私が敬愛してやまない先輩に少し似ている感じがするのです。

 

そしてアンは「こわれた瓷と古いレンガが大量に積み上げられ」たところを発見し、洞窟か防空壕のようなところに足を踏み入れます。

そこでアンを待っていたのは水琴窟でした。「今まで聴いたことがない……星の図鑑に載っていた写真みたいな音です!」というアンの表現、すばらしい共感覚的表現ですね。音を聴いているのに、同時に星の美しさも発見しているかのようです。

私は心のなかで「建礼門院右京大夫~~!!」と声をかけました。ボディビルディングの観客の気分です。バ……?!?!の発見からテンションがあがりに上がっております。

 

 

「静かすぎ」るその音を聴いているうちに、いつの間にか涙していたアン。

星のようにきらめく音と、星のようにこぼれる涙が美しく調和しています。

そこにあらわれた「…………どうしマシタカ?」という声。

私は心のなかで夢幻能~~~!!と声をかけました。既読の身である上に、今読んでも発見に満ち溢れているのですから、もうテンションが高まってしかたがないのです。

というよりこのあたりは本当に夢幻能なのです。それだけで感動して泣きそうです。

 

 

現れた声の主はアンいわく「金髪碧眼の王子様」。王子様は優しく、アキとの出来事の話を聞いてくれました。

しかし、「でもアキにとっての一番はわたしじゃないの」と聞いたときの彼の顔には、一瞬影がよぎったようです。気がかりですが、アンはそれどころではありません。

 

彼女はアキに対する怒りから、おなかのなかに「絶対に言っちゃいけない」汚い言葉がうずまいているのを、必死でおさえているといいます。

「王子様」はほほえみながら息をついて、「ドンナ言葉?」と聞いてくれましたが、アンの言葉を聞いて「……………………それは絶対言えナイネ」と頭を抱えてしまいました。相当な言葉のようです。four letter wordの類でしょうか。

 

 

この、言葉についての一連の会話は、第一話で私も注目したアンの言葉遣いと、そして今後の展開とも深く関わるもので、とても重要なものです。重要すぎておいそれと引用するわけにはいきません。

 

ただ、本筋にあたらないであろうところだけを引いておくと、アンは「わたしの言葉はぜんぶ借り物なんです」「本音でぶつかりなさいとよく言うけれどわたしには一生そんなことできないんです こんな自分だいきらいです…………」といいます。

アンが自分のことを「だいきらい」というのは、たぶんここが初めてで、唯一ではないでしょうか。誇り高く逆境に立ち向かってきたアンでしたが、やはりこのように思えてしまうところもあったのですね。

 

また、このときのアンの怒り方は、アキとはずいぶんやり方が違います。この違いが、二人がそれまでどういう暴力を経験してきたかを反映しているように思えて、2018年に記事にしていたことがありました。

今は見直したくて非公開にしていますが、いずれまたしっかり考えてみたいと思っています。

 

 

しかし王子様はほがらかに、のんびりと「……考えすぎじゃナイデスカ?」と返します。先を知っている私としては、ああ、この人のこういうところがこの人をこの人たらしめたのだと、いとおしくもあり、眩しくもあり、でもちょっと呆れてしまうし、不憫でもあり……

感情が忙しくなったところで、彼はついに正体を明かします。

一番最後のコマは、彼の屈託のない笑顔でした。

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2巻12話より引用

さりげない一言ですが、アキのことを「あなた(=アン)の思い人」と呼んでいます。その前に、アンはアキのことを迷うことなく「女の子ですよ」と説明していましたし、この「王子様」はアンに「フロイライン」と呼びかけています。

彼はアンとアキが同性同士であると認識しているはずですが、このように呼びました。

アンのアキに対する認識、 また他者からみたアンとアキの関係をうかがう手がかりとしても、今回は重要な一話だったと思います。

 

 

まとめ

私も何度も読んでいるはずなのですが、改めてみてみると発見がたくさんある回でした。

気になる点はたくさんあるのですが、まずは主要なポイントだけまとめておきます。現時点ではずいぶんぼやかした書き方になってしまうのですが……

 

  • うだつの家と大谷焼のお店の位置関係は?住人の間に親戚関係などはある?
  • 「王子様」がいた場所はどこ?大谷焼のお店?バ……?なぜそこにいた?
  • 「そんな私を愛してくれるヒト」が暮らした場所はどこ?大谷焼のお店?それともあの家?
  • 「そんな私を愛してくれるヒト」という認識は、いつの時点の話?その認識は歪んでいない?

 

今回はアンとアキの関係の中でも一つのポイントでした。「ケンカ」もそうですが、アンが「ほんとうのおかあさん」(1巻4話)であるアキから自立しようとする姿勢を見せたことが大きな変化です。しかし、それだけではありません。

育った家で身につけてしまった言葉をめぐるとても重要な問題が示されたほか、上記のような謎も出てきました。

 

これらの謎は、既読のわたしが今まで解決できずにいるのですから、わからずとも物語の進行上差し支えありません。しかしこうして読み返しているとやはり気になってきました。これから意識しながら読んでいきたいと思います。特に建物の作りには注意したほうがよさそうです。

 

さて、いよいよ『アンの世界地図』本領発揮のドイツ俘虜収容所編に入りました。さらにたくさんの謎がまかれてゆきますが、大切に読んでいきたいと思います!

ここをネタバレしてしまうのはミステリーの犯人をばらすのにも似た罪深い所行ですから、書き方には工夫が必要です。

しかも、私が言いたいことをものの見事に言ってくれてしまうキャラクターがいるので、彼が出てくると書くのがとても大変になりそうです。これも修行です。楽しく頑張ります!

  

【追記】せっかく感想を書いているのだから、もうごりごり宣伝しようと思ってリンクを貼ることにしました。私にお金は入りませんが作者さまと出版社さまには入ります。よろしければ。